とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

犬山城下

2013-04-29 23:35:11 | 写真日記

今年の夏ぐらいあちこち出かけたことはないかもしれません。

しかもほとんどが週末だけの大忙しの旅です。

そう言えば気楽な観光のように思われるかも知れませんが、目的は会議だったり研究会だったりする旅です。

その一瞬の合間を縫ってあちこち旅をしました。

1回目は先日報告した7月下旬の脱原発国会包囲網の旅です。

今回は、障害児学校の寄宿舎学習交流集会が名古屋であったので、ちょっと足を伸ばして国宝犬山城へ出かけました。

犬山城へ来たのは本当に30数年ぶりです。学生の時に一度来たことがあります。

研究会のあった金山から名鉄に揺られて犬山に向かいました。

犬山遊園という駅で降りて川沿いを犬山城へ歩きます。

 

古い商店もあります。

熱い中、歩いて行くとだんだん犬山城が見えてきます。

一人で気楽に歩くにはいい気候ではありません。とにかく暑い。

 

犬山城の中に入ると狭い…急…といことで息が切れるほどです。

天守閣からの眺めはなかなかのものでした。

天守閣から降りて、今度は城下町を経て犬山の駅に向かうことにしました。

天守閣の下の広場では観光客サービスの趣向を凝らしていました。

子どもたちと忍者の記念写真です。

自動販売機にもいろいろ趣向が凝らしてあります。

よくも悪くも愛知県です。

 

 

犬山城の入場券にからくり人形の記念館の入場券もセットしてあったのでせっかくだから行くことにしました。

 

犬山城の城下町は古い通りにいろんなお店が並んでいます。

町はすっかり整備されています。

このての町は全国どこにでもあるけど、やっぱり好きです。

 

 

 

 

所々に観光客向けのサービスがあり、お年を召した方が相手をしています。

甲冑を着て記念写真のコーナーにはおじさんが座っています。

 

町を歩いていると時々胡散臭いものにも出会います。

愛知、岐阜には化石の発掘で有名な場所があります。

それにあやかっているかどうかわかりませんが、マンモスの骨を売っていました。

しかも特売品だそうです。

ゆるキャラのぬいぐるみも売っています。

もう一つパン屋さんらしいけど、本当はなんでしょう?と首をかしげてしまう店にも出会いました。

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DVD「かぞくのくに」を観ました

2013-04-29 20:56:40 | 映画

  

2012年 キネマ旬報 日本映画ベスト・テン 第1位の作品です。何とか観たいと思っていたら久しぶりに行ったTSUTAYAにありました。

ヤン・ヨンヒ監督が今なお北朝鮮で暮らす家族を思い、書き上げた「兄~かぞくのくに」小学館の映画化です。

ヤン・ヨンヒ監督はドキュメンタリー映画はドキュメンタリーで自らのルーツや家族を描いていましたが、監督初のフィクション映画です。

監督・脚本ともにヤン・ヨンヒです。

この映画は監督、ヤン・ヨンヒさんの実体験をもとに作られたフィクションです。

ヤン・ヨンヒさんは在日コリアン2世です。1964年生まれの女性映画監督です。

かつて、1970年代に差別や貧困に苦しんでいた在日コリアンが、当時“地上の楽園”と謳われた北朝鮮へ集団移住した帰国事業がありました。

吉永小百合の映画「キューポラのある町」でも描かれています。もちろん、井筒和幸監督の「パッチギ!」にも描かれています。

これに参加した兄が病気治療のために25年ぶりに日本へ帰国することになります。

25年ぶりに帰ってきた兄を取り巻く家族の状況を描きます。

父親は、朝鮮総連の東京支部の副支部長です。母親は喫茶店を経営しながら家計を支えています。

妹は、日本語学校に勤めています。父親の生き方に対してどこか納得のいかない家族の前に兄が帰ってきます。

日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄が帰ってきます。

そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許されます。

25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから日本の社会で自由に育ったリエ(安藤サクラ)とは微妙な溝が生まれます。

兄を送った両親との家族だんらんも、微妙な空気に包まれています。

兄のかつての級友たちも、奇跡的な再会を喜びます。

その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられます。

なんとか手立てはないかと奔走するリエたちです。

そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってきます……。

感想を一言で言えば、真実が描かれていること、それも家族の視点から描かれた真実にに言葉を失います。

ヤン・ヨンヒ監督には、実際に北朝鮮への帰国事業で離ればなれに育った3人の兄がいるそうです。

映画が始まると、ドキュメンタリー映画の監督らしい雰囲気がたっぷり伝わってきます。

ソンホ(井浦新)は物静かで日本では言えない真実をいっぱい持ってきているんだろうということを感じさせます。

キネマ旬報の主演女優賞を獲得したリエ(安藤サクラ)の演技は圧巻です。

リエの目線を借りて、私たちは映画の世界に入っていきます。

時がまるで止まっているような、自分から思考を停止しなければ生きていけないと語る兄の姿に戸惑いながらぶつかっていく姿は圧巻です。

リエが北の監視人ヤン同志(ヤン・イクチュン)に対して「あなたもあの国も、大っ嫌い!」と言い放ちます。

これに対してヤン同志は、怒りもせず静かにリエに語りかけます。「あなたの嫌いなあの国で私もあなたのお兄さんも生きているんです」と切り返します。

このシーンは監督自身の映画を通して本当に言いたいことだったのかもしれません。

ソンホとリエの別れのシーンは、緊張感、緊迫感を伴った何とも言えない名シーンです。

ソンホは父親の立場を考えて帰国事業に参加します。儒教思想からくるものか、あの国に関わる人たちならではの問題なのか簡単には理解できません。

でも、ソンホが思考を停止して生きていかなければならない現実は?と考えると想像できません。

でも、戦前の日本にもこういう状況があったのだと思います。

学徒動員で徴兵された学生たちも、やはり思考停止していたのだと思います。

今私たちが曲がりなりにも思ったことが言えるのは日本国憲法があるからです。

基本的人権を生まれながら持っている私たちと、ソンホの生きている現実の違いを深く感じてしまいます。

「かぞくのくに」の“くに”は日本でもなく、もちろんあの国でもなく「かぞくのくに」なんだと思います。

 

 

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DVD「ふがいない僕は空を見た」を観ました

2013-04-28 15:13:51 | 映画

DVD「ふがいない僕は空を見た」を観ました。

このDVDはキネマ旬報の2012年日本映画ベスト10の7位に入っていたので観ました。

この雑誌はずっと読んできていて、ベスト10はいつも気にしています。

若い頃はベスト10に入っていると言うだけで絶対観るという気になっていました。

観ると自分の感性にかなり近いものがあって、いつも満足していました。

この頃は、半分くらいかそれ以下かな?「この映画が…?」という映画も増えてきました。

まあ、考えてみれば評論家それぞれがベスト10に選んだものをポイント制にして合計するんだからいい加減といえばいい加減です。

映画に対して、順位をつけることがどうなのか?という気もしています。

それでも、ちゃんと購入してじっくり読むんだからそこもどうですかね?

映画のタイトルからして、主人公は男性ということなんだけど、映画は里美(田畑智子)目線で描かれていきます。

コスプレ好きの専業主婦と若い愛人(しかも高校生)と何たるスキャンダルの映画です。

それは、それで興味深い設定なのですが、見始めると目線が少し変わってきます。

「空を見た」「ふがいない」人は、「僕」ということで場面が転換するところで青空が出てきます。

観客の目線をふがいない僕にしていこうとしているのだと思います。

3人の目線が入れ替わりながら映画が進んでいきます。

コスプレ好きの専業主婦の里美(田畑智子)と、高校生の卓巳(永山絢斗)は、いわゆる「愛人関係」で、卓巳と良太(窪田正孝)高校の同級生です。

皆それぞれつながりはあって、そこからドラマが展開されるわけですが、そこが複雑な展開です。

里美と卓巳のエピソードは破局の場面から描かれて、改めてなれそめから語られていきます。

時には卓巳の視点から、時には里美の視点から描かれます。

そして、良太の生活が描かれていきます。

里美と卓巳の二人だけの関係を描いているだけでは、宙に浮いた話になりがちだが、良太の生活を描くことによってリアリティーが増します。

初めは、主婦と高校生の「愛人ドラマ」の切り口で観るべきなのかな?と思っていましたが、途中からそういう見方はできませんでした。

卓巳の母親が助産士ということもあって常に生命誕生の場面が出てきます。

しかもその卓巳が助産士の手伝いをしているということも何かの意味を持つのかと考えてしまいます。

その卓巳が年上の主婦に引っかかって、避妊をしない体の関係を続けるというのはどういう意味なんだろう?と考えてしまいます。

良太が後半で逃げ出した母親を訪ねて「どうして俺(私)なんか生んだんだよ!生んでくれって頼んだ覚えもないのに!」「欲しくなかったんなら堕ろしてくれれば良かったのに」とつぶやきます。

この台詞に近いことばは自分の居場所が見つからなかった時に、誰でも一度は口にしたか、したくなったことがあるのではないでしょうか。

このあたりがタナダユキ監督の真骨頂だと思います。 

自分が存在している現実の前で、嫌気がさしてここから何とか脱出しようと、もがいてみるけどどうにもできない。

不条理な現実を前に悔し涙を流したり、わき起こる怒りをどこに向けたらいいのかわからなくなってしまう。

そこからわき起こることばが「俺なんか生まれてこなきゃよかった…。どうして俺なんか産んだんだよ…」です。

映画を観進めるうちにだんだん良太の世界が考えを占めてきます。

前半の里美と卓巳のコスプレ不倫なんかどこかに吹っ飛んでしまいます。

貧困、老人介護、スキャンダルすさまじい閉塞感で打ちひしがれても、逃げ出したくて、放り出したくて仕方のない現実をにしても、それでも生きていくことは忘れない。

そういう映画なのだと思います。

卓巳の母親、助産師の寿美子(原田美枝子)が、神社で卓巳と偶然出会います。

里美との関係がインターネットを通じて暴露されてボロボロになった彼に、寿美子は「生きててね。生きて、ずっとそこにいてね。」と言います。

どんな事情があるにせよ、お腹を痛めた我が子を思い、「生きててほしい」と思う。そこもこの映画のテーマになっていると思います。

そこまで映画が進むならということで、気になるのは里美(田畑智子)のことです。

初めは主人公のような存在だったのですが、全体的なテーマの中では単なる前奏に過ぎなくなってしまいます。

この人は、どうしてコスプレに走ったんだろう?

専業主婦という安住の場所を軸足に残しながら自分を変えてしまいたいと思う気持ちをどうしようもない。

しかも、若い高校生を巻き込んでまで、別の世界に逃げ込んでしまう。

それは、都会の日常として存在するのか、狂気の世界がなすことなのか?

そのあたりを詰めてみると映画は別方向に向かうのではないかと思います。

いろんなことを考えさせる映画でした。

これならキネマ旬報のベスト10も納得がいきます。(まだこだわっています)

 

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映画「すーちゃんまいちゃんさわこさん」を観ました。

2013-04-22 22:41:30 | 映画

映画「すーちゃんまいちゃんさわこさん」を観ました。

「何とも無色透明な映画だこと…」というのが率直な感想です。

原作は漫画だそうで、27万部も売れているということは後から知ったことなのですが…。

すーちゃんを演じるのは柴崎コウ、さわ子さんは寺島しの、まいちゃんは真木よう子ということで実に華やかなキャストです。

個人的にはどの女優さんもひいきなので絶対観なければという次第でした。

すーちゃん(柴咲コウ)は、カフェというのかな?(ランチのある喫茶店)に正社員で努めています。

仕事はちゃんとできるのに、自信がなく挙動不審のようなところがあります。

言いたいことはなかなか言えないけど、しっかり心の中ではつぶやいています。

服装も中途半端で可愛いのかどうなのかわからないような設定になっています。(でも柴咲コウだから…)

店のマネージャーに好意を寄せているけど、なかなか打ち明けられない。

家に帰っても店の新作レシピを研究しているようなとにかく一所懸命さが前面に出てくるようなけなげな女性です。

この3人はアルバイト先で出会ったという設定になっています。

寺島しのぶは、介護の必要な祖母と母と3人で暮らしています。仕事は家庭でインターネットを使ってできる仕事のようです。

出会いがなくても大丈夫なような暮らしぶりです。

真木よう子はバリバリ仕事のできるOLさんです。スーツ姿がきりっと決まっています。

上司の言われた仕事はてきぱきと片付けるお局さん的な設定になっています。

時々心の中で吐く、上司や部下への毒舌が何とも不気味です。映画館の中では笑いが起きていましたが、もしかしたら自分も言われているのかも…とぞっとしました。

映画の中では何も大きな事件は起きません。何気ない日々の中で、迷ったり泣いたりしながら生きている3人の女性。

そういった3人に観ている人たちは共感するんでしょうね。

 

ただ、主役が3人いるような映画なので絞りきれなくて、エピソードが短すぎる気がしました。

結局何が言いたいのか、ムードだけの映画になったのではないかと思いました。

漫画であれば、言いっ放しで後は読み手に任せるということもできるんだと思いますが、映画はちょっと違うように思います。

でも、メンズサービスデイに観る映画としては楽しめたかもしれません。

 

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映画「船を編む」を観てきました

2013-04-14 23:11:27 | 映画

映画「船を編む」を観てきました。

原作は2012年本屋大賞で大賞を獲得した三浦しをんの『舟を編む』(光文社・刊)です。

映画を観た感想は、なかなか興味深かったな~と思いました。

登場人物は何とも個性的な人たちだし、配役も見事に個性的なのですが、それぞれの個性を消して演技に集中していたことに好感を覚えました。

主人公の馬締光也を松田龍平が演じています。

どう見てもアスペルガー症候群の青年です。

いつもは、どこか陰を引きずって突然切れてしまうキャラクターばかりを演じている松田龍平が、今回は全然違うキャラを演じています。

まるで、お父さんの松田優作みたいに見えてくることもありました。

その馬締光也が一目惚れする下宿の孫娘を宮崎あおいが演じています。

宮崎あおいは、安心して見ることのできるようなキャラを演じています。

どうしてこの人はこういうキャラクターばかり演じさせられるんだろうと思いながら、でも見ていて安心してしまいます。

監督は「川の底からこんにちは」で注目された石井裕也監督です。

派手さや、事件もないストーリーを手堅く笑いを交えながらまとめ上げていると思います。

ストーリーは、辞書を完成させるまでの15年の歳月を綿々と語る物語です。

出版社の中で“変人”として持て余される存在だった主人公の馬締光也が、その才能が買われて辞書編集部に起用され、

言葉集め、語釈執筆、組版、校正に次ぐ校正、・・・と気が遠くなるような作業を地道に進めていく姿が描かれます。

主人公は「人の気持ちが理解できない」けど、下宿先の大家の孫・香具矢に惚れてしまいます。

「恋」という言葉の語釈に悶々としながら取り組む様子が笑いを誘います。

隣のおじさんは大笑いしていました。

辞書編集部には、ユニークなメンバーが揃っています。

監修には大御所の加藤剛が座ります。何とも浮き世離れしている存在が面白い存在です。

編集主任の荒木は小林薫が演じます。この人は、若い頃演じていた役柄とは全然違う演技ができている人だと思います。

先輩役で地味な作業を苦手とするチャラ男の西岡をオダギリジョーが演じています。

オダギリジョーが日頃は見せないような演技を見せます。

オダギリジョーもこういったコミカルな演技の方が好みです。「パッチギ!」の時のオダギリジョーを思い出します。

パートのおばさんに伊佐山ひろ子が存在感を見せつけます。

一冊の辞書を完成させるのに、どれだけの時間を要するのか・・・率直に驚きながら見ていました。

松田龍平演じる馬締光也の設定が光っています。

下宿家の1階は本棚に本がびっしりと並べられ、まるで古本屋のような状態。

本の集め方も全集中心のコレクター的な集め方になっています。

ここらあたりもアスペルガーと思わせるような設定になっています。

それにしても辞書は甘く見てはいけないのだと思いました。

 

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村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでみました

2013-04-14 18:10:18 | 日記

タイトルが奇抜と言うこともあり、話題になっていた村上春樹の新作を読んでみました。

発売日に買うということはあまりないのですが、たまたま朝のニュースで見て、本屋で見かけたので思い切って買ってみました。

職場の飲み会で「村上春樹の新作を買ったよ」と言うと、同僚たちは「意外!」という顔を向けてきました。

「~さんは、村上春樹なんか読むんだ~」反応があまりにも良くなかったので、何とかこの土日で読んでしまおうと思いました。

“大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。”

小説の書き出しは、いかにも村上春樹らしいものです。

主人公は多崎つくる36歳の独身男性です。

少年の頃からの駅好きが嵩じて、鉄道会社の駅舎の設計管理部門に勤めています。

名古屋で高校に通っていた頃、彼には赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵里という親友4人の親友がいました。

5人は、それぞれ性格も全く異なっていたが、まるで正五角形のように完璧な親密さを形成していたとします。

つくる以外の4人は、姓に色が入っています。

あだ名は「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」。つくるだけ色彩を持っていなかったというのが、いかにも村上春樹らしい色彩が伴った作品です。

つくるだけが、東京の大学に進学することになります。

そのことが原因か、色がない自分、空っぽの容器のような自分だけが突然、二十歳を前に4人から絶縁状を宣告されます。

理由は全く思い当たりません。彼は、死を強く望むほどのショックを受けます。

でも、何とか死の淵から帰ることができます。でも、現実世界に戻ってきた時には、ほとんど別の人間と言ってもいいくらいの変貌(へんぼう)を遂げていました。

それ以来、16年間、彼はかつての親友たちと一度も再会していません。

でも、彼は、2歳年上の沙羅から、遠い昔の、5人組からの追放の真相を、今こそ確かめるべきだと勧められます。

こうして、多崎つくるの「巡礼」の旅が始まることになります。

こういった流れが展開されていきます。

でも、読み進むにつれて、登場人物たちに共感できない自分がいました。

登場人物のどの人物も田崎つくるの側から描かれていて、世界観も田崎つくるの側から全部描かれることになります。

土曜日の夜に全部読み終わりましたが、感想はやっぱり自分の世界観とは違うなということです。

読み進めたいという気持ちを持たすには優れた作品だと思います。

世界的に人気の作家ということは、確かなのです。

てということは、自分が世間の人たちと感覚が違うということになるのでしょうね。

 

 

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無謀な取り組み

2013-04-13 22:15:01 | 写真日記

昨日は職場の歓迎会でした。

酒を飲むことは最近ほとんどなかったのですが、今回は飲んでみました。

職場にそのまま車を置いていたので、今日取りに行ってきました。

最寄りの駅は、櫛ヶ浜駅です。

そのままでも良かったのですが、もう少し歩いてみようと思って、光駅から歩いてみました。

これがとんでもない企画でした。

光駅から海岸に沿って歩いたのですが、恋ヶ浜の長いこと…長いこと…どこまで行っても続いています。

下松駅から職場までも結構あるので、やれやれでした。

車でそのまま帰るのもなんだし…朝家で見ていた山口のローカル番組「週刊ちぐまや家族」でやっていた周南市長穂の龍文寺に行ってみました。

  

花もいろいろ植えてあり、整備が行き届いたお寺さんだと思いました。

近くに池があり、蛙の鳴き声が響いていました。

 

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幼稚園の職員研修につきあってきました

2013-04-06 23:47:49 | 日記

幼稚園の職員研修の講師をしてきました。

以前から特別支援教育に関わる要請訪問で何度か行っている幼稚園です。

今年度も、配慮の必要な園児を数名入園させて実践されるということで、その前の研修ということでした。

中心は「子どもの見方」いうことで話をしました。

子どもが本当に言いたいこと、言えないでいることをどうしたら理解できるのか。

そういった話をを具体的な事例を交えて話をしたつもりです。

でも、園長や主任などが同席する場での職員研修(フォーマルな研修)では、先生たちの表情ががなかなか崩れません。

ここは笑いをとる所なのに~と思うところで笑いが取れないと、ウケない芸人みたいでちょっとカッコ悪く思えてしまいます。

それでも、1時間全力で話したつもりなので、何かしら伝わってくれたらと思っています。

 

 

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桜も見納めかな?カタクリが咲いてました。

2013-04-05 23:55:02 | 写真日記

今年の桜は長持ちがすると言っていましたが、さすがにもうちらほらと緑が見え始めましたね。

土曜日は嵐になるというので一気に花びらが散ってしまうのでしょうね。

今日は、午後にちょっと用事を済ませて思い切って鹿野に行ってみました。

桜は何とか保っている感じでした。

ただ、青空をバックに撮影できなかったので色の表現は難しいものがありました。

  

しだれ桜が道路にはみ出していますが、みんな枝をカットすることなく観賞用に保存しているようです。

 

望遠レンズを使って桜の花びらを中心にして撮影しました。

  

 

後ろの緑をぼかすことによって何とか花びらを浮かすことができたかなと思っています。

二所山田神社の境内には山野草が植えてあるのですが、小さなカタクリが咲いていました。

  

この花は好きで、以前は寂地山まで登って撮影に行っていました。

花弁が反っくり返るところが何とも可憐です。

他にもいろんな花が咲いていましたが、名前を調べて載せたいと思います。

 

 

 

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映画「だいじょうぶ3組」を観てきました

2013-04-03 22:56:52 | 映画

映画「だいじょうぶ3組」を観てきました。

ずいぶん前に原作は読んでいました。

作者はもちろん、乙武洋匡さんです。

乙武さんは、東京の小学校で実際に教師をされた経験があります。

その経験をもとに小説を書かれていて、私は文庫本で読みました。

ストーリーをごくごく簡単に紹介すると、

乙武さんが自ら演じる教師赤尾とその介助者である白石(国分太一)が小学校に赴任したところから始まります。

初日から遅刻するというおまけもついています。

教室にはすでに副校長が入っていて子どもたちを見ています。

初めて見る手も足もない教師に驚きと混乱を隠せない子どもたちを前にに自己紹介もそこそこに出席を取り始めます。

介助者の白石(国分太一)が出席簿を見せようとすると、赤尾は子どもたちの顔をゆっくり見ながら名前を呼び始めます。

初日が始まる前にすでに全員の顔を全て覚えていたのです。

教室の中を電動車椅子で移動していく赤尾先生の姿に、子どもたちは戸惑い気味です。

子どもたちと次第に打ち解けていく1年間を描いていく感動ものです。

1年間の中では、「上靴隠し事件」「障害をどう見るか」「何が変で何が普通か?」「運動会でクラスが一つになる話」「障害のあす先生も一緒に登山遠足」

などなどとエピソード満載で流れていきます。

劇場には涙を流して観る場面が幾度となく出てきます。

乙武さんが主人公として演じていることは、演技なのかドキュメントなのかわからなくなってしまいます。

乙武さんの存在そのものに圧倒されて本当は感想なんかおこがましいような気がしますが、あえて言わしてもらうと・・・

特別支援学校に勤務している教師の立場から言うと、よくぞこういう映画を作ってくれたと大絶賛したいと思います。

こだわりの映画好きから言わしてもらうと、気になる点がいくつかあります。

上にあげたエピソードが乙武さんの目線だけでしか伝わってきません。

子どもたちの苦しみとして伝わりにくいのです。

乙武さんのことばで語られることがあまりに多いことによるものだと思います。

乙武さんの涙のシーンはあえて必要なかったのではないかと思います。

白石が赤尾に「僕は赤尾先生のように強くなれないよ」と言うシーンで、赤尾先生が「僕は強くなんかないよ。強く見せているだけだよ」というシーンがあります。

本当はもっと掘り下げて描いてほしいと思いました。

子どもの痛み悩み、障害を背負った教師の痛み、悩みそこらへんを描いてほしかったように思いました。

介助員がいないと勤めることのできない障害、そのことを受け入れることのできる社会がどこにあるんだろうと今更ながら思ってしまいます。

障害者雇用はそこを解決しないと一歩進めないと思います。

私が勤めている特別支援学校に卒業生が教育実習に来たことがあります。

障害があるので、なかなか通常の教育実習生のようには実習が進みませんでした。

その時に心ない教師の一部からは「自分のことは自分でできるくらいになってから実習に来てほしいよね」などと言っている声が聞こえてきました。

障害をもっている子どもたちを相手に教育をしている教育者のことばとは思えません。

もちろん、現場には同僚のことを思いやるほどの余裕がないことは確かですが、そんなことでは障害者雇用は学校では全く進みません。

今年度は、電動車いすを使用する卒業生が教育実習に来られます。

受け入れはちゃんとできるのか、今から心配です。

介助者が一人ずっと張り付きの状態で教師を勤められた赤尾先生のような制度が特別なものでない時代がくることを願ってやみません。

 

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