とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

僕の歩く道 第8話 感想めいたこと

2006-11-30 22:17:07 | 障害児教育
前回の終了寸前、幸太郎に教えられた道に、亀田のロードレーサーを見つけたテルは、亀田の喫茶店に向かうことができます。喫茶店の前で待っているテルに、偶然通りかかった里奈と店の中から出てきた亀田に声をかけられ、喫茶店に入ることができる。また一つ新しいことができるようになっていきます。「兄は初めての場所だと緊張するので…」と心配する里奈に「大丈夫!」と言って入っていくテルです。新たな広がりがまた一つ見えた瞬間です。

 喫茶店のどこに座るのか、BGMは大丈夫なのか?出されたコーヒーもゆっくり飲むことができないのではないか?飲んだら「コーヒーを飲んだら帰ります」と言って里奈を困らせるのではないかなど、少し心配な部分はあるのですが、細かいことを気にしてたらドラマが成立しなくなりますね。

 一方、幸太郎親子はは親から絵の具をプレゼントされて、絵画教室に通うことを許可してもらうという改善の道へと向かい始めます。

 動物園に誕生した双子のレッサーパンダの赤ちゃんの名前を一般公募した中から決めようとする。「大竹さんも一緒に選んでくれる?」と聞かれて、エコラリアなしにさっと仲間に入っていくテルにちょっびっくりしました。

 久保(大杉漣)は本社に呼ばれている園長の話で「出世かー!」という会話を聞いて、「出世かー…」と繰り返すテルです。このつぶやきが、ドラマを観ている人に「人間何が大事かよーく考えてみよう」と語っているような気がしました。

 来園者数が減っている原因を問われていた。本社に戻り出世したいと思っている久保だったが、このままでは園長のポストすら危ないと言われ、早速、レッサーパンダをマスコミに発表するために、名前を早く決めるよう古賀指示します。

 マスコミ発表の日、双子のうち一匹・クッピーの元気がない。心配する古賀は久保にマスコミ取材の延期を求めるが、「別に死ぬわけじゃないだろう」と古賀たちの意見を聞かず無理やりマスコミ取材を行った。

 その後、クッピーの容態は心配な状態に…。テルもクッピーを見守るが、勤務終了時間になったため帰宅。久保も心を残しつつ帰宅するが、途中、焼き芋を食べているテルを見つけ隣に座り、「私達以外は一致団結のようだね」と独り言のようにつぶやく。

と、テルは思いたったように立ち上がる。「テルは動物園の飼育係です。テルの動物園の動物たちが元気で過ごせるようにお仕事がんばってください。約束です」と都古との約束を口に出して、動物園に戻る。
戻ってきたテルに三浦と古賀が笑顔を向ける。クッピーの容態が回復しテルを家に送った古賀は、都古の退職後、動物園に迷惑をかけていないかと心配する里江に、「飼育係の一人としてちゃんとやっていますよ」と伝える。

 帰ろうとした久保に古賀は、息子が自閉症であることを打ち明けた。「ありのままの息子を受け入れられなかった」と後悔を語る古賀に、「ありのままの息子を受け入れなかったあなたはありのままだったのではないか」「自分はありのままでいたことがない」望んでいない出世をしなければならないことや動物に愛情があるふりや障害者雇用にも理解あるふりをしなければならない本音をもらす。

 翌日、里江の感謝の手紙が輝明から久保に渡され、そこには理解ある園長に出会えた感謝の気持ちが綴られていた。里江への返事がなかなか書けない久保は、改めてテルの仕事ぶりを眺める。

 そんなある日、動物園に視察に訪れた本社の上司が、リンゴを切っているテルから定規を奪った。久保は、これは彼にとって必要な物と言って定規をもぎ取りテルに返す。見ていた古賀は、「さっきの行動は障害者に理解がある“ふり”ではないですよね」と久保に言った。その日、里江への返事を書き終えた久保は、テルと一緒に焼き芋を食べながら、テルが話し出したフラミンゴの解説に微笑みながら耳を傾ける。

 今回のテーマは、テルと知り合えた人が、自分自身の生き方を見つめ直していくというテーマだったのだと思います。「うそはいけません」と教えられたらその通りにしか生きられない自閉症の人たちとふれ合うことで自分自身を見つめ直すというテーマなんだと思います。
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僕の歩く道 第7話 感想めいたこと

2006-11-29 08:17:26 | 障害児教育
 精神科医から、アドバイスをもらった妹がテルに「結婚とは?」と詳しい説明をしようとします。テルが答える。結婚とはお互いが仲良く暮らすことを約束すること、都古ちゃんは河原さんだけ約束した」「僕も都古ちゃんと約束した」約束というキーワードがテルの仕事の支えになっていく。

 古賀から「大竹さん、今日は新しい仕事をしてみようか?」と提案され、天竺ネズミの爪を切ることに挑戦する。ネズミが動いて混乱しかけると、「大丈夫、大丈夫、もう一度やってみようか?」温かいことばをかける。古賀がテルの新しい支えになっていくことが予想される場面でもあります。

 動物園の仕事を見事にやり遂げていくテルだけど、幸太郎は塾の試験に追いやられる。

 会話を交わすようになったバイカーとテルのシーン。バイカーはテルの自転車のかごのウィンドブレーカーを見て、「これ僕の。返してもらっていいかな?」「動物園の飼育員さんだったね。今日は休み?僕の店すぐ近くだからコーヒーでも飲んで行ったら?」「知らない人について行ってはいけません」のテルの答えにぎょっとする。
 すぐに、「僕、亀田」テルも続いて「僕亀田」「僕の名前は亀田」テルも続いて「僕の名前は大竹輝明です。よろしくお願いします」立ち去ろうとする亀田に「コーヒーのお砂糖はスプーン一杯です。」と答える。にこっとして、テルをリードしていく。

 母親の家での会話「電車なら時刻表が読めるからかなり遠くまで行けるけど、自転車では決まった道しか走れない。決まった道を外れることはかなり大変」という説明があります。

 テルの自転車が突然止まります。店に着いた亀田がふと振り返ると、着いて来ていたはずのテルがいません。テルの自転車での行動には決まったパターンがあり、知らない道には進めないのです。テルはその場所で亀田の進んだ方向をじっと見てましたが、来た道を引き返します。

 プレッシャーから塾でカンニングをしてしまった幸太郎は、母親に怒られてその次の日から、、塾に行くふりをしながらテルの動物園に行くようになります。動物園では幸太郎の描いた絵を評価され、自己実現の機会を得ることになります。

 帰り道で別の道に誘われるテルは、どうしても進むことができません。塾からの電話で幸太郎のサボりを知った真樹はショックを受けます。でもなかなか幸太郎は帰ってきません。動物園に来ていた事を話したテルは、真樹に詰め寄られてツールドフランスの優勝者の名前を口にしながら自分の部屋に戻っていきます。

 探しに出かけた秀治らと入れ替わりに幸太郎は帰宅しましたが、眼鏡が壊れています。真樹は幸太郎を問いただしますが、幸太郎は黙ったままテルの部屋へ。 しかしそこにテルの姿はありませんでした…。

 引き止める真樹の腕を振り払い、幸太郎はテルをを探しに飛び出します。なかなか見つかりません。りなは、テルが幸太郎を探しに行ったのではないかと指摘します。ピンときた幸太郎は、動物園からの帰り道に輝明が止まって動かなかったあの場所で輝明を見つけます。「僕を探そうとしてくれたんだ」と幸太郎。声をかけようとしたその時、小刻みしていた輝明の自転車が前へと進み出します。テルは自分の力と意志で新しい道を走り出したのです。

 幸太郎に反抗されて落ち込む真樹。「また絵画教室に行きたい」と幸太郎から打ち明けられていた秀治は、絵画教室に通っていた頃の幸太郎の絵を真樹に見せます。真樹はその中の『大好きなお母さん』と書かれた笑った自分の絵を見つけ、泣きます。そしてその頃、幸太郎は輝明と一緒にツール・ド・フランスのビデオを楽しそうに観ていました。

 文字通り「新しい道を自分で切り開く」ことと、都古のサポートから新しい道へ進もうとするテルと母親の病気という新しい陰が近づいてきているようなそんな回だったように思います。
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僕の歩く道第6話感想じみたこと

2006-11-28 00:37:51 | 障害児教育
第6話は、「僕が代わりに笑ったげる」という感動的なシーンからスタートします。テルは仕事にも慣れてきて、三浦の仕事上のリードも的確になってきました。動物園を離れる決意をした都古も安心して見ていられるようになってきています。

 都古から「本当は自閉症のことをよく知っているんでしょう?」と尋ねられた古賀(小日向)は自分にも自閉症の息子がいることを初めて打ち明けます。「自分の息子が自閉症だっていうことをどうしても理解できなかった」と続けます。家では母親が、が都古が動物園に来なくなることを教えていたが、理解しているかどう難しいと思えました。それでも、都古の退職後も輝明は覚えた仕事をちゃんとこなしているように見えました。

 「明日はどうする?」と尋ねる母親に「都古ちゃんの所に行く」「「今まで通り都古ちゃんの所に行けなくなったの」「どうして?」「都古ちゃん結婚したから」「どうして?」「そういうもんだから」このあたりの会話はドラマゆえの会話だと思うけど、テルの状態をみていると、母親は子どもの時からもっと具体的な指示をしていださろうにと思えてならないのです。

 次の日、テルは都古の新居を訪ねます。「どうぞ」「入ったら?」でも入れない。そこへ河原が「ただいま」と帰ってきます。河原の「ただいま」の一言はかなり衝撃的なものだったと思います。一気に現実のものとして現れてきたのではないかと思います。二人が昼食を取っている間、ずっと横で立っている。「これを食べたら河原さんの動物病院に手伝いに行かなくてはならないの」「どうして?」「動物病院で獣医をしているから」「どうして?」「約束したから」「結婚したから」「結婚というのはずっと仲良くするって約束することなの」「私河原さんと約束したから」

都古の新居から帰ってきた時から、輝明の様子が変化します。帰ってから母親に「行かない。都古ちゃんの所にはもう行かない」といつもなら一度だけのうがいを2度してしまう。

 次の日、動物園で学習しているテルの所に古賀が近づく「お父さんはどんな人だった?お父さんと遊んだ?」「遊ばなかった。お父さんは仕事です」古賀は自分の子どもの記憶をたどり始める。

 テルは一人で思い出の木の所を通って家に帰るが、遅くなってしまう。食事中の兄のことばに何度も席を立って洗面所でうがいをしたり、都古への葉書が一日二通に増えたり、こだわりが強くなってきます。

 次の日玄関の前で行ったり来たりを繰り返し、動物園に遅刻します。玄関前で行ったり来たりする動作は自閉症の人たちとつきあうと何度か見る動作です。誰も気にとめない中で、古賀だけが時間に正確なテルの変化に気づきはじめます。テルのこだわりはイスを直したり机上の文房具の位置にこだわるような同一性保持が顕著になってきます。

 動物園で残業をしている古賀に園長から何気なく投げかけられたことばに、別れて暮らしている息子の記憶が蘇ります。商店街の花屋の店先で奇声をあげている我が子を前に何もできずに立ちつくしてしまう。その場面を妻に見られてそのまま立ち去ってしまう…

 そして次の日、動物園で仕事中、テルの姿が見えなくなります…。

 心当たりはないかと電話で聞かれた都古は、広場の大木の下を思いつき、駆けつけると、すでに古賀が来ています。横たわって眠るテルの上には、なぞのバイカーのものらしいウインドブレーカーがかけられています。

 都古に向かって古賀は静かに「大竹さんには正直驚いている。最初は一緒に働くのは無理だと思っていた。そばにいる人がどう接するかで彼の可能性はどんどん広がるんだな」いいことばです。きっと古賀の親子関係もきっとへんかしていくのでしょう。

 都古は古賀にテルへの葉書を託しその場を去った。目覚めたテルは「あ、古賀さん」「こんな所で油売ってちゃいけないよ」「こっちの台詞だ」「こっちの台詞だ」いいシーンです。こんなユーモアがかわされる時はほっとします。

 古賀は目覚めたテルに死んだ父のことを尋ねた。「お父さんは2003年に死にました。遠くに行きました。いつ戻ってくるのかな」とテルが答えたのを聞いた古賀は、堪えきれず静かに泣きます。都古の葉書には「テルは動物園の飼育係です。テルの動物園の動物たちが元気でいられるように一生懸命お世話をしてください。約束です」と書かれていました。都古のからの葉書を読んだテルは、少し嬉しそうに、「約束です」と葉書の言葉を繰り返します。

 今回のキーワードは「約束」ということばだったようです。
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僕の歩く道第5話感想

2006-11-27 00:23:07 | 障害児教育
 第5話は、今までいろんな展開をしていた物語を少しずつ、まとめていく作業の回だったように思います。

 「この前借りていたお皿返すからちょっと待ってて!」「“ちょっと”ってどのくらい?」「5分くらい」都古とテルの二人の会話で始まります。ところが都古が部屋に戻ると河原が待っていました。「女房と別れる。君と結婚する」というややこしい話は5分では終了んしません。当然のようにいつまで待たされるかわからなくなったテルは、ツール・ド・フランスの歴代優勝者をしゃべり続けます。

 取りなす都古に、「僕を怒っちゃダメ!」と激しい口調で言い始めます。この混乱も自分のせいで起こったことのように判断し、以前いやだった記憶「テルのせいでしょう」が蘇ってくる。フラッシュバックとか、タイムスリップということばで説明される現象です。これは、実践の場面でも何度となく経験することである。どうしてこのくらいのことで怒り出すのだろう?とか、養護学校では低学年の時期の検診はいつもパニックの連続の季節になります。

 この現象の説明としていつもていねいにドクターが登場するのもいつもの通りです。

 いつもの横断歩道で、自転車おじさんに出会います。「自転車60万円」「正解!これ買うの?」「今積み立ててます。」「真似寸なよ!」「まねすんなよ!」という会話が行われます。

 甥が拾ってきた猫を持って都古の家を尋ねると河原が中から出てきます。都古から「じゃあね」と言われても帰れない。食事をごちそうになって、「テルそろそろ帰らないと!」「気をつけて帰らないとネ」「帰らないと遅くなっちゃうよ」の都古の催促に「河原さんは?」と切り返す。

「俺もそろそろ帰らないとな!」河原も一緒にマンションを出てから、テルが帰るのを確認して、もう一度都古の部屋に帰る。この河原のものわかりのいい行動は本当にテルのことを理解して受けとめている結果としての行動とは思えないので、今後の都古、テル、河原の関係も何か含んでいるようなきがします。

 この場面は河原が帰らないなら自分も帰らないというこだわりをどう理解するか、難しいと思った。今後の二人の結婚をどう受けとめるのか興味があった。「もう来ないで」と言われたらどう考えるのだろうか。いろいろ考えさせられた。
 ドラマでは、次第に小日向さんの存在が大きくなってきているので、今後どういう展開になるのか興味がわくところです。

 ドラマの途中に子どもの時の都古と輝明のシーンが出てくる。いじめられる輝明に都古が「どうしててるは怒らないの?怒れないのなら私が代わりに怒ってあげる」というシーンが出てくる。これは何のための挿入なのだろうと思っていたら、最後に感動シーンが待っていました。

 結婚パーティー当日、輝明には都古に花束を渡す役がありました。都古と視線を合わさずに渡し、感極まって泣きだす都古に「どうして泣いているの?」「いいことなのに」。「都古ちゃん、僕がかわりに笑ってあげる」と笑った。子どもの頃、輝明のかわりにいじめっ子に怒ってくれていた都古に、今度はかわりに笑ってあげる―。ありがとうの涙が止まらない都古と、笑っている輝明だった。このシーンは感動シーンなのだけど、ちょっとだけ違和感がありました。

 最後にちょっとだけ意地悪な見方です。テルが祝う会の最中に「オードブルは好きなものを取って食べて良いのよ」と言われて「かれーはやっぱりチキンカレー」とカレーばかり食べているシーンはまだいいのだが、花束を渡す前に母親から「カレー付いているから口をふいて」と言われナプキンで口をふいてそのナプキンをテーブルの上に置く。動物園では、「ゴミはゴミ箱に!」とこだわりを見せていたのに、自分の口をふいた紙をそのままテーブルに残すのは、ちょっと違和感がありました。
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家庭のイルミネーション

2006-11-26 23:56:28 | 写真日記
 年末が近づくと、毎年恒例のようなイルミネーションが点灯し始めます。全国各地にいろんなイルミネーションの名所が点在して知る人ぞ知るという世界だと思います。昨年まではほとんど興味がなく、「100万ドルの夜景」ということばを聞いても「誰が値段つけたんじゃー!」「誰が買うんじゃー!」と一人つっこみをするくらいの世界にいました。

 今年ブログを始めてカメラをてにすることが多くなったし、ちょっと撮ってみよかな?という気になってきました。全国の名所までは行く元気とお金がありませんが、近場でがんばっているご家庭を遠くから撮影してみようかなという気になってきました。

 早速今日撮影に出かけました。まずは手始めに光市(旧大和町)のスポーツ公園の近くのお家です。ここは毎年のようにがんばっています。暗い場所で撮るので三脚は必需品です。手撮りでぶれさせたのもあります。

 

 今度は少し足を伸ばして岩国市玖珂町に行きました。国道2号線からも見えるなかなか有名なお宅のようです。田んぼから撮ったり少し近くまで寄らせてもらって撮影しました。ここまでやっている家はなかなかないと思います。

 

 

 次に周南市熊毛に向かいました。ここは、通勤によく利用するのでいつも帰りにはみごとなイルミネーションに「すごい努力だな!」と感心していました。本当に田んぼの中の一軒家なので暗い中でひときわ映えるそれはそれは見事なものです。国道2号線から田布施町方面に向かうと左手に見えてきます。

 

 最後に田布施町に向かいました。ここも田んぼの中に突然現れるイルミネーションなのです。道路が狭いのでなかなかいい撮影場所がありませんでしたが、何とか撮ってみました。

   

 こういう習慣はいつから始まったのでしょう?自分ちの電気を使ってよそ様を楽しませるというのだから何の悪いこともありません。自分ではやろうと思いませんが、努力をされている家は時々撮影させてもらおうと思っています。

 どこかいいお家があれば教えてください。  

 



  
 

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山口市紅葉

2006-11-26 00:20:03 | 写真日記
 最近投稿をほとんどしませんでした。深い理由はないのですが、自分の中にゆとりがなかったような気がします。ブログのなかの顔がまったく見えない不特定多数の人に語りかける余裕がなかったようです。

 職場や顔の見える範囲の人たにに語りかけたり、伝えたりすることがあまりに多くてブログに向かえませんでした。

 今後も無理をしない程度に更新していきたいと思っています。

 紅葉が気になってきましたが、京都に行くほどゆとりがないので近場でがまんすることにしました。少しだけのゆとりを見つけて山口に紅葉を探しにいきました。「山に行って紅葉を!」とも思ったのですが、建物フェチの私としては、背景か前傾に建物か、人が入っていないと構図になりにくいので、山口のお寺を目指しました。

 最初に雪舟庭で有名な常栄寺に向かいました。町をあげて雪舟没後500年のイベントをやっているので、駐車場には車があふれるほどでした。何とか駐車のスペースを見つけて、入りました。



 書院では、雪舟直筆の龍の掛け軸がかかっていましたが、風流の心得がないせいか、遠近のあまりない水墨画というのはどうも苦手です。お宝鑑定団みたいで「あ、そう…」程度の感想しかもてませんでした。

 雪舟を初め当時の僧や、絵師は諸国をスケッチして歩いて、間者(スパイ)の役割を果たしていたという話を聞いたことがあります。そっちの話の方が面白かったりします。

 庭に出てみると紅葉している木が何本かあって、なかなかでした。近づいてみると先の台風の影響で塩害を受けているらしく葉っぱの1枚1枚はあまり良い色になっていませんでした。葉に黒い点があってアップの画像が撮れないのがちょっと残念でした。

 

 庭を散歩している間に、アマチュアカメラマンが何人か写真を撮っていました。カメラマンというのは、変なところがあって相手のカメラの値踏みを必ずするものです。「勝った負けた」ということではないのですが、カメラの使い方や持ち物で腕をはかってしまうものなのです。三脚を立てるほどの凄腕はいませんでした。

  

 これが、京都や奈良だったら「素人さんはあっち行ってて!」という感じの大型カメラや中型カメラを持っている人たちに圧倒されてしまうのですが、山口はいいですね。



 次に、竪小路の龍福寺に向かいました。ここは、以前ブログでも紹介したところです。今回は町並みではなくて、境内の紅葉を中心に写真を撮りました。

 

 参道はなかなか見事な紅葉で、散歩に来ている若者や親子連れが歩いている姿はなかなか絵になります。紅葉は花見と違って、宴会がないのがいいですね。

  

 



 

 

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東京探訪(会議の合間に)

2006-11-06 00:14:10 | 写真日記
 11月4日~5日の両日、東京に会議に出かけました。朝7時前に自宅を出て徳山からのぞみに乗り換ました。

 ブログやホームページを始めてからカメラを手にすることが多くなり、そのことは、自分の中にちょっとした変化が出てきています。今まで新幹線に乗っていると、ビールを飲んでいるか、本を読んでいるか、寝ているかのいずれかでしたが、この頃、外をよく見るようになりました。

 今回気づいたことは、建物のデザイナーについてです。それぞれのマンションや体育館などは、設計やデザインをする人がいるんだろうなと思いました。新幹線から見ると建物はジオラマの模型みたいですが、全部同じかと思うとそれぞれ特徴があるのに気づきました。最近のビルは屋根がフラットではなくて切り妻型の屋根になっているものが多くなっています。これは、建物が暑くなることを止めているのかな?と思いました。

 新大阪駅を過ぎた頃に外に新幹線がたくさん止まっている場所があります。茨木市あたりのようですが、ここの写真を撮ると子どもたちは喜ぶだろうなと思いました。映画「間宮兄弟」の中で、弟の塚地が落ち込んだ時に、たくさんの新幹線が一望にできる場所が出てくるけど、あれはどこなんだろう?と思いながら、また眠りに入りました。

 東京に着いたのは12時です。会議のある場所は千代田区二番町です。市ヶ谷と四谷の間くらいです。市ヶ谷に着いて、ここの面白いのは駅前のお堀に釣り堀があることです。東京のど真ん中に釣り堀、それもたくさんの人がいるというのに、驚いてしまいます。

  

 取りあえず昼食を取らないといけないので何を食べようと思ったのですが、やっぱりラーメンにしました。東京のラーメンは自分の舌には合わないことが多いので心配していたのですが…。従業員は中国の方だったので中華風かなとも思ったのですが、結果は、麺はしこしこで腰があって良かったのですが、スープはちょっとしょっぱいように思いました。結果は☆一つ半でした。

 
 
 午後からの会議ということで、眠くなることが予想されるので酸素濃度5倍の水を購入して会場に入りました。この高濃度酸素水は眠気防止には役に立つような気がします。

 午後の会議で話し合われた中身は障害児教育についてはかなり重要な中身だったのですが、このブログを見ている人たちが障害児教育関係者ばかりではないので、中身についてはあえて省きます。

 会議終了後、いつものように懇親会がセットされていたのですが、体調と精神的に今ひとつだったので今回は欠席することにしました。いつもホテルは水道橋にしています。この日は日米対抗野球と学校祭がたくさんあったので街はごったがえしていました。ホテルに入って少しだけ休憩して飲みに出ました。以前いったことのある店にいきました。この店はレトロを売り物にしていて、昔の看板や映画のポスターがたくさん貼ってある店なのです。かかっている音楽も戦前の音楽がかかっているのです。
  

 メニューも変なものが多いのですが、店の中もごったがえしていたので写真はとれませんでした。メニューの中には、チキンラーメンだったり、ボンカレー永谷園のお茶漬けとか不思議なものが多いのです。最初はビールを頼みましたが、次からは焼酎のホッピー割を頼みました。キャベツだけ食べ放題というのもこの店の売りです。とにかく安いのが取り柄の店なのです。

 
 
 でも、この日は学園祭のからみで店の中は、自分以外全員が20代という非常の居心地の悪い状況でした。ゆっくり飲むには難しい状況なのでそうそうに場を後にしてホテルに帰りました。
 ホテルに入って風呂に入ったり、本を読んだりして過ごしていたら、今日は土曜日ということに気づきました。NHKのBSで寅さんをやっています。キネマの天地で1年休んだ後の寅さんシリーズです。マドンナは志保美悦子さんです。長渕剛との結婚を意識させる映画です。この映画の中では有名なシーンがあります。区役所に向かう寅さんと源ちゃんが「あなたの声を聞かせてください」の箱の前で「わー!」と言って何の変化もないのに首をかしげるシーンがあります。これは、自閉症の人たちのもっている障害“心の理論”の問題でもあります。

 次の日、会議は11時からだったので神楽坂周辺を散策することにしました。雑誌で文人たちが愛した街ということで特集されていたことを覚えていたからです。もう一つは神楽坂芸者で有名なので、ある意味京都に通じるかもしれないと思ったからです。
 
 
 飯田橋で降りていろんな所を歩いていたのですが、なかなかシャッターチャンスに巡り合いません。雑居ビルやマンションが建ち並び、かつてのイメージからはほど遠いかもしれません。街自体は坂が多いし、路地が入り組んでいるので大きな建物は難しいみたいで中小のビルや家がこれでもかと密集しています。それでも格差ははっきりしていて、大きな立派な家もしっかり存在していました。しばらく行くと宮城道雄記念館がありました。

 
 
 とにかく歩き回っていると、新潮社の本社ビルがありました。「これが新潮社かー!」という感慨がありました。神楽坂芸者の稽古場がありました。何年か前に東京駅で芸者さんの団体にでくわして、びっくりしたことがありました。若くてきれいな方から、よくきれいにお作りになった方までいろいろいてなるほど…と思ったものでした。

          

 飯田橋の駅前には、フリーマーケットがたくさん店を開いていました。いろんなものを売っていましたが、「さすが東京!」という感じでした。木彫りのアクセサリーでちょっと悩んだのですが、時間も迫っていたので結局何も買わずに会議の場所に向かいました。

      

 
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