とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

近場の旅(上関)

2006-06-27 23:08:04 | 日記
 土曜日のことです。予定されていた用事がなくなり、DVDで『あおげば尊し』を見ていたら、だんだん空が明るくなりました。晴れ間さえ見えてきました。「こんなチャンスはない!」と思い、前々からねらっていた上関に向かうことにしました。

 このブログを見ている友人から、「花の写真もいいけど、町角のちょっとした風景を撮っている画像がいいです。もっと載せてください。」と言われてちょっと気を良くして、またチャンスがあったら撮りに行こうと思っていました。

 車を走らせて少し行くと、平生町佐賀というところです。ここで正面にぱっと青空が広がりました。久しぶりに見た青空だったのでうれしくなって1枚パチリ。ついでに眼下の港もパチリ。



 上関大橋を渡り、港の付近に車を止めて、歩いて古い町並みをめざしました。車が通れる道はほんのわずかで後は、人間が2人やっと離合できるほどの道幅です。しかも全部坂道です。


 
 坂道をどんどん上っていきます。本当に狭い道幅です。ここだけ、時代が止まっているような感覚に陥ります。上関は原発誘致で町全体が揺れ動いて、何十年もたつけど、こんなに狭い地域でいがみ合ってたらきついと思いました。


 
 しばらく歩いていくと井戸のような場所がいくつか見つかりました。この地域には大きな川がないので井戸は大変貴重だったんだろうなと思いました。でも、すぐに頂上についてしまいました。道は反対側の海へと通じています。ほんのごくわずかな土地にみごとなでほど、小さな家が密集しているのです。



 古い町は、人々が暮らしている町であり、人々が捨て去った町でもあります。歩いていたら廃屋がいくつか目につきます。ほんのわずかな土地に家が建っていたんだろうかと思わせるほどの土地です。その空き地には水道管が突き出ていたり、お釜が置いてあったり、手押し車の残骸があったりとそこはかとない寂しさが漂う町でもあります。



 再び町に戻って、海運の町らしき名残も見つけました。この上関は古くから港町として栄え、江戸時代は朝鮮半島からの朝鮮通信使の迎賓館があった所としても知られています。萩毛利本家はここで、将軍が変わるたびに訪れていた朝鮮通信使を接待していたそうです。毛利家の大切な仕事の一つだったようです。雨上がりらしくカラフルな傘が軒下にぶら下がっている情景もなかなかでした。



 狭い狭い海峡を船がたくさん往来していきます。幕末には大勢の志士たちがここから船に乗っていろんな所へ旅立ったたと言われています。吉田松陰もここに滞在した後、外遊したそうです。歌碑が残っています。



 近くに室津小学校がありました。古い建物で昭和のにおいがたっぷり漂った学校でした。校庭では何人かが遊んでいて、昔ながらの学校でした。



 室津まで戻ってくると気になる建物があります。4階建ての奇妙な建物です。四階楼という建物で、明治初期に建てられた建物のようです。明治初期の文明開化の波が上関の地まで伝わったという証でもある建物のようです。中は見学無料なのでぜひお近くにお寄りの際は見学を勧めます。


 
 中に入るととても奇妙な光景に出会います。4階部分にはステンドグラスがはめられていて、和室にステンドグラスという何とも怪しい雰囲気になります。横溝の世界か、江戸川乱歩の世界に紛れ込んだような世界です。今にも柱の陰からおかっぱ頭で絣の着物を着た背の高い女性が出てきそうなそんな感じなのです。


 

 
 不思議な光景を満喫しながら、帰りの道すがら逆光の海のキラキラがとてもまぶしくて、いかにも瀬戸内の海らしいと思い、車を停めてまたまたパチリ。

















コメント (4)
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