とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

あおげば尊し

2006-06-26 22:06:15 | 映画
 「あおげば尊し」この歌は好きではありません。歌わされたイメージが強すぎる気がします。「仰げば尊し、我が師の恩…」そんな思いをしたことがありません。今この年で振り返れば、いやなことばかりではなかったようにも思えますが、その時代は苦痛でしかなかった関係でした。中学時代は特に暴力と体罰しか思い出せません。愛のムチということばは知っていましたが、愛を感じたことは1度だってありません。

 さて、映画ですが、監督は「トニー滝谷」の市川準さんです。静かな研ぎ澄まされた感覚で心の動きを描いている監督という印象をもった監督です。主演はテリー伊藤さんです。テレビでやたら怒っているイメージが強い人だったのですが、実に淡々と演じている姿には共感を覚えました。テレビで見るのとはまったく別人という印象を強く持ちました。実に頭の良い人なんだと思います。奥さんには薬師丸ひろこがキャスティングされていて、これまた淡々と演じていました。

 主人公光一(小5の担任)は、末期癌の父親(元中学校教師)のターミナル治療に家庭を選択する。どんどん弱っていく父を毎日見ていく。往診に来る医師もほとんど気休めのような治療をしていく。「何とかならないのか!」といらだつ光一に対して「もう…何にもできないの…」とつぶやく妻。このあたりのところはターミナル医療についてもなかなか考えさせられるシーンです。

 光一のクラスの男の子にインターネットで死体画像を集めている少年がいる。その子に対して、的確な指導ができないでいる光一…。次第にクラスの中に荒れた状況が蔓延し始める。校長、教頭、生徒指導主任、養護教諭が光一の指導を批判する。それに対して、一切の反論もしない光一…。

 クラスの少年は、何度も葬儀場まで出かけて行って苦情が学校に寄せられる。光一は末期癌の父親の姿を子どもたちに見せることによって、生きることの意味を子どもたちに伝えようとする。なかなか子どもたちにその真意は伝わらなくて苛立ちが隠せない。

 人間の死とは懸命に生きることの先にあるもので、誰もが受け入れなくてはならないものそういったテーマを淡々と、映像で語っていく。

 最後の最後で父親を煙たがっていたはずの教え子がたくさん集まって、お決まりの「仰げば尊し」を歌うシーンは、あまりに予定調和なのだけど、涙してしまった自分に笑えました。やっぱり教師の一人なんだと思いました。

 この映画を、どういう立場で見るかによって確かに受け取り方は変わると思いました。

 もう一つ気になったシーンは、冒頭子どもたちが光一に「先生の目ってどうしてそうなっているの?」と聞くシーンがあります。子どもは正直で残酷なものです。テリー伊藤さんの目は確かに奇妙に写ることがあります。それに対して光一は「学生の時に、ちょっと怪我をしてな。でも、この目のせいでいろんなところが同時に見えて、お前たちの悪いところだってすぐに見つけることができるんだぞ!」と返していました。

 ぜひ、一度借りてみてください。今レンタル屋さんでは新作の所に並んでいます。


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