とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

登米の街 散策

2010-05-18 22:36:08 | 写真日記
教育資料館に思ったより長居をしてしまいました。

登米の街を全部廻ろうとして、荷物を観光物産センターに預けて
身軽なところでレンタサイクルを借りることにしました。
レンタサイクルは水沢県庁記念館にあります。
1台300円と格安値段です。



廃藩置県のごたごたの中で宮城県にもいくつかの県庁が置かれました。
登米町にも県庁が置かれました。
明治8年まで使われていたようです。
その後は小学校、裁判所として使われたそうです。

久しぶりの自転車はとても気持ちの良いものでした。
武家屋敷が至るところに残っており、
古い街という雰囲気は伝わってきました。



ほとんどの武家屋敷は現在も人が住んでいるものが多くて、中までは見ることができません。
春蘭邸は、中までみることのできる数少ない武家屋敷です。

 

自転車で廻っているとびっくりするような屋敷の中に車が入っているような様子が目につきます。

    

 

  
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登米に行って来ました2

2010-05-17 23:44:10 | 写真日記
前回の続きです。
教育資料館があまりにも興味深くていろいろと撮影してきました。
この建物を設計・監督をしたのは山添喜三郎という人だったそうです。



山添の仕事ぶりは、妥協を許さない仕事で、屋根瓦は水に一晩漬けて、
一定以上水を含んで重くなったものははね、
材木についても検査が厳しかったのでハネ材だけでもう一つ学校ができるほどだったそうです。

建材業者の中には、倒産したり、家産を傾けた人も少なくなかったそうです。
洋風建築に慣れていない大工たちも、手間ひまが予想以上にかかり過ぎ、
生活に困窮した者も出て来たといいます。

その苦労の甲斐あって現在も堅牢のままの校舎でいられるのかもしれません。
あの宮城沖地震を経てもそのまま維持しているのだからすごいです。

門は赤門と呼ばれているそうです。

 

他にも校舎の内外とも実に見事な調度になっています。

  

チャイム代わりの鐘がありました。
鐘も立派なものでした。



教科書もたくさん資料として残してあり、興味深いものがありました。

 

 

教室に掲げてある地図や図解の中に、奇妙なものを見つけました。
「世界人種相貌全覧」というものです。



非常に、差別的な描き方がしてあります。
神国日本がもっとも優れた人種であるかを説明するために用いられたものではないかと思います。
ナチスがゲルマン民族のみを優れたものとして、ユダヤ人を虐殺したものと近いものかもしれません。

グロテスクですが、少しアップも紹介します。

  

次回もう少し登米の街を紹介します。  

  


 

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登米に行ってきました。

2010-05-16 16:27:42 | 写真日記
日曜日の会議が終わっても、帰りの飛行機に間に合わないために、
この日も仙台に泊まりました。

次の日の午後4時半の飛行機で広島に飛ぶ予定だったので、月曜日を1日過ごさなくてはいけません。
仙台市で過ごすのは、やめにしてどこか適当な場所を考えました。

松島はあまりに観光っぽいのでやめて、
宮城の明治村というキャッチコピーに釣られて登米に行くことにしました。

前の日にバスを調べると仙台を朝7:05発か、9:20発のどちらかで行って、
12:20発のバスに乗って帰らないと間に合わないことがわかりました。

どっちで行くか考えていましたが、年寄りの早起きです。
7:05発のバスで向かうことにしました。
ホテルは朝食つきだったのですが、朝食は7時からだったので食べずに出かけました。

高速バスで97分だそうです。
仙台は、広い街です。
空き地がまだたくさんあるような感じがします。
地下鉄の工事をしている真っ最中で、開発途上という感じです。
工事現場に面白いものを発見しました。
ポールを支えているものがカエルなのです。
なんでカエルなんだ!



走っているバスから遠くに山並みが見えます。
五月なのに何と雪をかぶっているのです。
山口では見られない光景です。

 

予定時刻になって登米明治村に到着です。
8時35分に着いたので少しゆっくりしなくてはいけないだろうと思っていました。
教育資料館の門は開いていて校舎そのものは撮影できそうだったので、
写真を撮っていました。

 

 

教育資料館は、旧登米高等尋常小学校の建物です。
明治21年に建てられた、当時の洋風学校建築を代表する建物です。
純木造の2階建てで正面に向かってコの字型に作られています。
両端には六角形を半分に切った形の昇降口があります。
特徴的なのは2階バルコニーで、校舎全体の中心的な位置にあり、
シンボル的な役割を果たしています。

写真を撮っていると、ここを管理している女性が
「中も見て行かれませんか?」と声をかけてきました。
開館時間まで10分以上あったのですが、入れてもらえることになりました。

他の資料館(全五館)と合わせて800円を払って見学させてもらいました。
非常に興味深い建物と資料で、ずっと見学したいくらいでした。

 

今でもぴかぴかの木造の階段が印象的です。

  

最初の部屋は裁縫室です。
火鉢の向こうに座り机が並んでいます。
その後ろには足踏みミシンが並んでいます。

もう一つの部屋の壁には忠と孝の掛け軸がかかっています。
戦前の教育勅語の感じですかね。

教室の後ろにはだるまストーブがあり、宮城らしい雰囲気かもしれません。
もちろん、机と椅子は木製です。
この机に近いものは小学校の時に使っていた記憶があります。

 

昭和30年代~40年代にかけての典型的な給食という掲示がありました。
校歌がかかげてありました。
印象的な歌詞だと思ってみていると、
やっぱり作詞は「荒城の月」の土井晩翠ですね。

 

別の教室に行くとドキッとしました。
マネキンを使った授業風景が再現されていました。
これは、ちょっとやりすぎという気もします。
顔がいただけませんね。

 

この歴史的建造物のすぐ後ろに現在の登米小学校がありまs。

   

まだまだ興味のあるものがありますが、長くなったので次回にします。   
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仙台に行ってきました3

2010-05-14 22:59:20 | 写真日記
瑞鳳殿は伊達政宗のお墓です。
1636年に亡くなった正宗の遺志により、その翌年に建てられたそうです。
桃山様式の豪華絢爛な建築として、戦前には国宝に指定されていたそうです。
仙台は戦前陸軍第二師団が置かれたところだけに、
大きな空襲にあい、ほとんどの歴史的な建造物が焼失しています。
この瑞鳳殿も例外ではありません。
現在の建物は1979年に再建されたものです。

入り口で、無料駐車場係の人から「荷物は無料のコインロッカーに入れたら?」と声をかけられました。
カメラと財布だけにして、後はロッカーに入れさせてもらいました。
歩いてみて確かに正解でした。
けっこうな坂道が続きます。

最初に瑞鳳寺というお寺があります。
そこに西南戦争で投降した旧薩摩藩士の墓がありました。
投降した薩摩藩士たちは、東北の各藩に幽閉されたようです。
「勝てば官軍」とはよく言ったものです。
何か寂しい感じがしました。



少し前をにぎやかな家族が歩いていました。
この家族とほとんど同じペースで廻ることになってしまいました。



坂道をやっと登り終えて550円の入場券を買って中に入ると最初に見えてくるのが、
涅槃門です。
「涅槃」とは、「煩悩を取り払った悟りの境地となる状態」を意味し、「来世」という意味にもなるそうです。
この門から向こうが涅槃の世界なのかもしれません。
絢爛豪華な装飾で飾られた華麗な門です。

 

 

 
門を入ると瑞鳳殿があります。
涅槃門よりもさらに豪華な装飾が施されています。

 

 

ここまできんきらきんだと逆に食傷気味のところがあります。
修学旅行で東照宮を初めて見た時もあまりいいイメージは持ちませんでした。

会議の時間も気になるので、この日の駆け足仙台観光を終えて仙台駅に戻り、
地下鉄で会議の場所へと向かいました。
会議の場所へは少し前に着いたので近くのラーメン屋さんで昼食を取りました。
盛岡ちりちり麺と書いてあったラーメン屋でしたが、
山口の人間の舌にはちょっと合いにくいラーメンでした。

会議は予定通り1時から4時まで出席して、ホテルへ戻りました。
やることがないので、外に出て夕食を取ることにしました。
夕食は、ブログの種ということで牛タンを食べることにしました。
ホテルの近くの専門店にしました。

 

いろいろメニューはあったのですが、芯タン定食(1980円)を頼むことにしました。
芯タンとは、タンの厚い部分だそうで、厚めのカットがポイントです。

味はおいしかったのですが、「牛タンは牛タンだな!」と以前仙台で食べた時ほどの感動はありませんでした。
一緒についていたテールスープは絶賛でした。
これだけでも十分勝負できる味でした。 

  
  
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仙台に行ってきました2

2010-05-13 23:08:10 | 写真日記
仙台城址から下りて、市立博物館に向かいました。
朝早くから動いていることもあって、開館の9時にはまだ早い時間でした。
博物館前の庭に、初代伊達政宗の胸像がありました。
天守閣付近にある馬に乗った像は2代目だそうです。



開館時間にはまだ時間があったので、庭にある魯迅の記念碑を見ていました。
魯迅は、仙台に二年くらい滞在していたようです。

 

博物館正面には非常に興味深い巨大なオブジェがありました。
郵便配達の人なのか、よく分かりませんでしたが、面白くて何枚も撮影しました。

  

開館までは座って、文庫本を読んでいました。
けっこう贅沢な時間だったように思います。
開館の時間になると行列ができていました。
特設展示として「チベットの仏教文化」の特集をしていました。

今回の私の目的は伊達政宗と支倉常長だったので、常設だけにしました。

仙台市博物館は、なるべく本物を見てもらうという考えで、展示品のほとんどを複製ではなく本物で構成していることが特徴です。

写真でしか見たことのない伊達政宗の黒漆五枚胴具足の鎧甲や伊達政宗のストライプの陣羽織などどうしても見たいと思いました。
実際見ると驚くほど程度が良くて、正宗の南蛮好みのおしゃれが伺えます。
おしゃれな男を伊達男という語源になったのもよくわかります。

慶長遣欧使節としてローマ教皇に謁見したとされる支倉常長の資料も、見事に残っています。
しかもこれが全部本物ということで、わくわくしてきます。
教科書の挿絵でしか見たことのない資料です。

行って良かったと思いました。
博物館の資料と、クリアーファイルを買って帰りました。

次に、伊達政宗のお墓である瑞鳳殿へ向かいました。
博物館で道を聞くと仙台駅に戻るように言われましたが、
時間のある身なので、歩いて行くと言うと少しあきれた顔をされましたが、教えてくれました。

博物館を出て広瀬川を渡る最初の大きな橋も魅力的な橋でした。

 

橋のたもとにはキリスト教の殉教者の像が立っていました。
ローマにまで使節を派遣しながら、キリスト教を弾圧する当時の政策の過酷さはひどいものです。



道を歩いていると気になるポスターを発見しました。
仙台の街は、右翼的な人たちが多い街なのでしょうか。
仙台城址の護国神社でもそんな気がしていました。



道を歩いていると面白い店を見つけます。

 

「かつどんのかつどん家」ってどういう意味やねん!と一人でつっこみを入れながらさらに歩いていきます。

裁判所の前に原田甲斐の屋敷跡がありました。
伊達騒動の張本人『樅の木は残った』という小説や大河ドラマでも有名な人です。
大河ドラマでは石坂浩二さんが演じたと思います。



いよいよ、瑞鳳殿に着く頃になって、乗ろうとした「るーぷる仙台」のバスに出会いました。



長くなったので瑞鳳殿は次回にまわします。 
   
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仙台に行ってきました

2010-05-12 22:38:46 | 写真日記
週末仙台に行って来ました。
いつものように会議が入っていて、そのついでに観光もしてくるというパターンです。

会議は日曜日の1時から4時までというスケジュールだったのですが、
私の住んでいる所からだと、広島空港から飛ぶしかありません。
広島から飛行機だと1時間半くらいなのですが、一日一往復しかありません。
それも広島発午後6時と仙台発午後4時半しかないのです。

結局、土曜日の午後6時広島発の飛行機で仙台に飛ぶことにしました。
広島空港で待っていて気づいたのですが、
広島発の飛行機は、仙台を4時半に飛び立った飛行機がそのまま仙台に帰る便だったのです。

小さいことは予想していたのですが、どんな飛行機だろうと思っていました。
予想通り小さい飛行機です。

タラップまで歩く飛行機は初めてでした。

 

昔の映画にこういうシーンがあったような気がしました。
ANAの飛行機なのですが、会社は違ったようです。

 

飛行機に乗ると天井が低くて、機内はとても狭い感じがしました。
まるで自家用ジェットくらいの大きさだと思います。
飛行機が到着する間にビールを飲んでいたので機内ではあっという間に眠りに入りました。

仙台には予定より少し遅れて到着しました。
仙台空港からは、乗り入れ便のJRで仙台駅まで向かいます。
この電車がまたユニークで写真に撮りました。

 

 

仙台駅に着いたのは8時をすでに大きく過ぎていました。
広島でのビールが手伝っていたし、あまり食欲が湧かなかったので
取りあえずホテルに入りました。

ホテルに荷物を置いて、もう一度街に出ましたが、
この日は牛タンという気分にはならなかったので、
コンビニで簡単な食事とお酒を買って部屋に帰りました。

次の日食事を済ませてから、会議の時間を仙台の街で過ごすことにしました。
市内の観光地を回るルーラル仙台という市営バスに乗ろうと思っていたのですが、
始発は9時ということで、時間がもったいなかったのでタクシーで仙台城址に向かいました。

仙台城址に着いたものの、何もない所でした。
伊達政宗が築いた城ということで少し期待して行ったのですが、肩すかしでした。
まず目に着いたのが、護国神社でした。
それも、戦艦大和など戦前の軍国主義を彷彿させるような雰囲気の神社でした。

 

戦争関係の慰霊碑が建っていて、あまりいい感じは受けませんでした。

  

ここでは、やはり伊達政宗の像で記念写真をするのが定番のようです。
団体さんが朝早くから交代で記念撮影をしていました。

 

もう一つ山頂には土井晩翠の石碑がありました。
「荒城の月」の歌詞と一緒にありました。
土井晩翠は仙台出身なのです。

  

そそくさと下りるルートへと向かいました。
でも、歩いていると仙台城址の良さを再発見です。
石垣が大変立派なのです。
ここを見ながら歩いて上がってくると違う考えに至ったかもしれないと思いました。

  

城の下にある仙台市博物館をめざして歩いていきました。
次回は博物館からまた紹介します。  

 
  
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こんな場所にイノシシ!

2010-05-12 00:06:59 | 写真日記
火曜日の朝のことです。
いつものように車で通勤していると、信号を過ぎたところで右側に異様な物体が!
見るとはなしに見ていると何とイノシシです。
しかも2頭も!

  

通勤の車が何台も通る交差点のすぐ傍の民家の庭先なのです。
こんな所にどうしてイノシシが…。

  

どうしようかと迷いましたが、後部座席にカメラを積んでいるのを思い出して
車を駐めて撮影しました。
最初は窓越しに撮っていたのですが、
車から降りて撮影しました。

イノシシもこちらの様子に気づいたらしく目があってきました。
こっちに突進してきたらどうしよう…と思いながら撮影しました。


 
 
朝7時過ぎだったし、雨上がりということで撮影条件が良くなかったので、
後で見ると手ぶれになっています。
ちょっとびびっていたのかも知れません。

後で考えると、
バッグの中には望遠も入っていたのでレンズを取り替えれば良かった…
車でしっかり固定して撮れば良かった…
いろいろ考えたけど、やっぱり現場ではびびります。

それにしても、ここまで里に下りてくるということは、里山が荒れているということなんでしょうか。
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