毎日朝の会で、『昨日のお話コーナー』をやっています。話ことばを豊かにできる発達段階にある我がクラスとしては、とても楽しい時間なのです。「お話ある人?」の当番の問いかけに我先に手を挙げていきます。
話したい人がいて、話したい中身があって、聞いてもらえる仲間がいて、認めてもらえる関係そんな雰囲気を大事にしています。
話す中身はいろんなことがあって、以前ここで紹介したようにハヤシライスが通じなくていろいろ大騒ぎしたこともありますが、なかなか面白いものです。
最近ロンくんが自分で工夫してお話をしようとします。すると、ロンくんの口からは「エーとね。僕ね。昨日ね。エーとね。エーとね。」何度も「エート」が飛び出します。以前だったら「僕、やったよ。」「何を?」「ゲーム!」「どこで?」『学園で!」というように述語が先に飛び出して、それに一問一答で聞き出して真実に到達するというところだったのですが、ロンくんは、一度に相手に伝えようと頑張り始めました。その時出てくるのが「エーとね」の連発です。頭の中にはイメージがあるのだけど、それを言葉で何とか伝えようとする。でも、うまく伝えることができない。そういうもどかしさは誰でも経験しますよね。
イメージを伝えると言えば、長新太さんの絵本に『キャベツくん』という絵本があります。
キャベツくんが歩いてくると、ブタヤマさんに会いました。
ブタヤマさんは、
「あのね、おなかがすいてフラフラなんだ。
キャベツ、おまえをたべる!」
そう言ってキャベツくんを捕まえます。
「ぼくをたべるとキャベツになるよ!」
「ブキャッ!」
空を見ると、鼻がキャベツになっているブタヤマさんが浮かんでいます。
「じゃあ、ヘビがきみをたべたら、どうなるんだ?」
キャベツくんとブタヤマさんの珍妙なやりとりは続きます。
「○○がきみをたべるとどうなる?」
「こうなる!」とキャベツくんは言い切ります。
キャベツくんが頭に思い浮かべたことが空に浮かんでいます。そのことでブタヤマさんは「ブキャッ!」と気づくことができます。このようなイメージの共有化というのは大変難しいですね。その難しさをスパッと割り切れることの面白さを絵本にしたのでしょうね。
今日、学校で学習発表会(文化祭)の実行委員会がありました。学校としてのコンセプトや目標ができていないと、前には進まないと何度も言っても、形式論ばかりを説明してくる係の人間のくしゃくしゃ髪の石頭ぶりに相当頭にきて家に帰りました。どうしてもこちらの言っていることが理解できないようで、住んでいる世界が違うのかもしれないと本気で思いました。学校行事を消化主義で解釈するのと、子どもの立場で解釈していくのとでは、真逆の解釈になるようです。(まだ怒っています。)
話したい人がいて、話したい中身があって、聞いてもらえる仲間がいて、認めてもらえる関係そんな雰囲気を大事にしています。
話す中身はいろんなことがあって、以前ここで紹介したようにハヤシライスが通じなくていろいろ大騒ぎしたこともありますが、なかなか面白いものです。
最近ロンくんが自分で工夫してお話をしようとします。すると、ロンくんの口からは「エーとね。僕ね。昨日ね。エーとね。エーとね。」何度も「エート」が飛び出します。以前だったら「僕、やったよ。」「何を?」「ゲーム!」「どこで?」『学園で!」というように述語が先に飛び出して、それに一問一答で聞き出して真実に到達するというところだったのですが、ロンくんは、一度に相手に伝えようと頑張り始めました。その時出てくるのが「エーとね」の連発です。頭の中にはイメージがあるのだけど、それを言葉で何とか伝えようとする。でも、うまく伝えることができない。そういうもどかしさは誰でも経験しますよね。
イメージを伝えると言えば、長新太さんの絵本に『キャベツくん』という絵本があります。
キャベツくんが歩いてくると、ブタヤマさんに会いました。
ブタヤマさんは、
「あのね、おなかがすいてフラフラなんだ。
キャベツ、おまえをたべる!」
そう言ってキャベツくんを捕まえます。
「ぼくをたべるとキャベツになるよ!」
「ブキャッ!」
空を見ると、鼻がキャベツになっているブタヤマさんが浮かんでいます。
「じゃあ、ヘビがきみをたべたら、どうなるんだ?」
キャベツくんとブタヤマさんの珍妙なやりとりは続きます。
「○○がきみをたべるとどうなる?」
「こうなる!」とキャベツくんは言い切ります。
キャベツくんが頭に思い浮かべたことが空に浮かんでいます。そのことでブタヤマさんは「ブキャッ!」と気づくことができます。このようなイメージの共有化というのは大変難しいですね。その難しさをスパッと割り切れることの面白さを絵本にしたのでしょうね。
今日、学校で学習発表会(文化祭)の実行委員会がありました。学校としてのコンセプトや目標ができていないと、前には進まないと何度も言っても、形式論ばかりを説明してくる係の人間のくしゃくしゃ髪の石頭ぶりに相当頭にきて家に帰りました。どうしてもこちらの言っていることが理解できないようで、住んでいる世界が違うのかもしれないと本気で思いました。学校行事を消化主義で解釈するのと、子どもの立場で解釈していくのとでは、真逆の解釈になるようです。(まだ怒っています。)