とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

トワイライトエクスプレス「瑞風」

2020-04-29 21:44:49 | Nゲージ撮り鉄

Nゲージ撮り鉄の2番手に選んだのは、JR 87系寝台ディーゼルカー「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」です。

買ったときにはトミックス社しか出ていなかったのですが、Nゲージの二大メーカーKATOからも出るという情報は入っていました。

KATO贔屓ということもあり、KATOの製品を買うのですが、トミックスは初めから室内灯がついているということで、トミックスを選びました。

本来であれば、10両編成なのですが、我が家のジオラマはベニヤ板1枚しかレールが敷いてありません。

仕方なく5両編成の基本セットにしました。

 

 

基本セットは先頭と後方のキイテ87以外は3両しかない編成になります。

従って1号車、4号車、5号車、6号車、10号車という奇妙な編成ということになります。

ちなみにですが、(もちろん乗ったことはないし、今後も絶対無理!)

4号車はロイヤルシングルとロイヤルツインで、実際はリビングスペース、専用の洗面台・トイレ・シャワールームにより構成されているそうです。

客室にいながら列車の左右両側を眺望できるレイアウトになっています。

5号車はラウンジカーです。バーカウンターや立て札の茶の卓、ブティックスペースを備え、木を多用し、落ち着いた空間になっているそうです。(よくわからん~)

6号車は食堂車です。実車の車内はオープンキッチンとなっており、車内調理のライブ感を感じ、流れるような景色が堪能できるそうです。

Nゲージでもオープンキッチン部のデザイン壁は見えるように作られています。

先代の「TWILIGHT EXPRESS」を受け継ぎつつも沿線の風景に溶け込むようにグリーンの車体に金のエンブレムとラインを配したそうです。

先頭部には展望デッキがあり、5本のラインからなる流線形形状や丸めのヘッドライト、往年のボンネット型のような高い運転室など、昭和感する感じさせるデザインです。

車内はアールデコ調をベースとして中国地方5県の木材を使用した扉や、各地の伝統工芸品などを配置しているそうです。

 

 

私は、JR九州の「台特急七つ星」に始まった「美し日本をホテルが走る」的なコンセプトがあまり好きではなく、JR西日本が2017年に運行を開始したのにもかかわらず、一度も撮影に出かけていません。

山陽側を走るときには家のすぐ近くを通るにもかかわらずです。

しかし、九州にローカル線を撮影に行った帰りに下関駅で偶然。目撃してしまいました。

あまりのデザインの見事さに目を奪われました。

自分が絶対乗れないという恨みはさておいても、自らのコレクションには入れたくなってしまいました。

 

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九州一周鉄道の旅9(2019.6.14撮影)

2020-04-29 11:02:53 | 鉄道旅

久留米から特急「ゆふ」に乗ります。キハ185系です。四国と九州で走っています。

元々は四国で走っていたものを九州に譲渡したものらしいです。でも九州では、独特の色使いで走らせています。

三角線を走る黒く塗った特急「A列車でゆこう」は内装まで全部設計を変えています。
沿線は、温泉や観光地があり、手を振って送ってくれます。
久大本線には私の大好きな豊後森駅があります。SL用の回転車庫跡地があり、この地を撮影するためにわざわざ立ち寄ったことがあります。

駅からは木があって近くに見ることはできませんが、雰囲気だけでも伝えたいと思った1枚です。
他にも「夜明け」というロマンチックな駅もあります。一度車で立ち寄ったことがあります。

駅にはノートが置いてあり、いろんな思い出が綴られていました。

 

「ゆふ」は意外と混んでいました。今までの特急はほとんどと言っていいくらい空いていたので、ちょっとびっくりでした。

でも、その乗客のほとんどが湯布院で降りて行きました。さすが湯布院と思いました。

湯布院で停車時間があったので「ゆふ」の写真を撮りに行きました。

降りていく方達はほとんどがとても大きな荷物を持っていることから中国か台湾の方かな?と思いました。

福岡国際空港からの直行くみでしょうか。とにかく最近は観光地は外国の方が多いようです。

昨年は良かったけど、今年のコロナ禍では大変な被害受けているだろうと心を痛めます。

九州は台湾や中国の観光客で持っていたと言っても過言ではないほど、たくさんの外国の方を見ました。

湯布院を過ぎると湯平(ゆのひら)に停まりました。「寅さんゆかりの待合所」と書いてあります。

「男はつらいよ」は同じ作品を何度も見ている「寅さんオタク」の私でもパッと見ただけでは浮かびません。帰ってからDVDで調べました。

「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」1982年 第30作に登場していました。
沢田研二と田中裕子が共演した映画です。二人はこの7年後に結婚します。
湯平温泉は沢田研二扮する三郎青年のなくなった母が昔女中として勤めていた温泉宿があります。

その温泉宿に寅さん、東京のデパートガールの田中裕子、児島美ゆきが同宿するというストーリーです。
次の日、駅まで一緒に歩いて駅のベンチで寅さんと田中裕子がベンチに座って児島美ゆきが写真を撮るというシーンが出てきました。
湯布院ではなく、湯平温泉を使うところが、山田洋次らしい場所の選び方だなと思いました。


停車中に突然見慣れぬ車両がすれ違ったので慌ててカメラを向けました。

あまりに突然だったのでうまくは撮れませんでしたが、ジョイフルトレインの「或る列車」です。豪華の一語に尽きる2両編成の観光列車です。

外観は金色に黒、それに唐草模様をあしらい、車内もめちゃくちゃ豪華で2号車は全て対面座席の個室になっています。
フルコースの食事を用意し、めちゃくちゃな料金を取ります。
自分で乗れるものではないけど、とにかく撮影できたのはラッキーでした。

 

特急「ゆふ」は別府行きです。私は大分で降りて乗り換えになります。運転手も大分で交代するようです。

引き継ぎはちゃんとやってからの笑顔になるようです。

 
3枚目の少年は、中国の方らしいのですが、かなりの時間私と先頭車両で一緒に過ごした少年です。

言葉は通じませんが、時々目を合わせて進行方向の鉄路を楽しみました。

鉄道好きは半世紀離れていても国籍が違ってもあい通じるものがあるようです。

最後は手を振って別れました。

大分から小倉までは青いソニックです。最後を締めくくるにはジャストセレクトです。

向かいのソニックはミッキーマウスが慌てて走っています。「これって大分では常識なんだ」と笑いました。

 
もう一つくだらないことに気づきました。宇佐八幡宮で有名な宇佐駅はUSAなんですね。

やっぱりみんな片足あげて踊ったのでしょうか?


小倉からは徳山止まりの新幹線が便利ではないため、各駅停車で帰りました。

小倉〜下関、下関〜岩田。最後まで長い旅でした。(完)

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九州一周鉄道の旅8(2019.6.13撮影)

2020-04-28 23:30:22 | 鉄道旅

有田から鳥栖まで特急「ハウステンボス号」で行きます。塗りつぶしとできるだけたくさんの特急に乗るという今回の目的です。
「ハウステンボス号」は特急「みどり」と一対になっていて博多からハウステンボス方面にゆく下りはオレンジの派手な車両が先頭になります。博多方面に向かう登りはみどりの地味な車両が先頭になります。同じ車両なのですが、色合いによっては全く違う印象になります。
ハウステンボス号は現在は783系が使われていますが、かつては485系が使われていたようです。4枚目の写真は30年近く前に職員旅行でハウステンボス(オランダ村)に行った時の写真です。若いんだかその頃からおじさんなのかよくわからない写真です。

 

 


有田駅のホームには有田焼のモニュメントがたくさんありました。できるだけ撮影してみました。でも、有田焼と言えばやっぱり赤がいいですね。

 

 

 

九州の鉄道塗りつぶしの旅も最終版です。最後の宿泊は久留米です。次の日に久大本線に乗るためです。もう一度大分に戻るのは無駄なようですが、特急「ゆふ」に乗らなければならないのでこういうルートになります。
久留米駅は昔の印象とは全く違っていて近代的なおしゃれな駅になっていたのに驚きました。カラクリ時計があり、青木茂の壁画があり、ブリジストンの大きなタイヤのモニュメントもあります。

 

 
久留米は駅前すぐのホテルにしました。久留米といえば豚骨ラーメン発祥の地です。夕食はやっぱりラーメンです。
生ビールと餃子、豚骨ラーメンで最後の夕食を締めました。

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九州一周鉄道の旅7(2019.6.13撮影)

2020-04-28 14:58:09 | 鉄道旅

島原外港駅近くのセブンで朝食と、もしものための昼食のパンも仕入れました。諫早まで島原鉄道でUターンします。地図で見ると前日の朝大騒ぎした三角線とは直線で結ぶと20kmくらいです。それを1日かけて鉄道で巡ってきたのです。

島原鉄道は島原の子守唄の作詞作曲者の宮崎耿平氏が社長だったことで知られています。宮崎氏は『まぼろしの邪馬台国』の作者として邪馬台国論争を巻き起こした人でもあります。映画にもなり、竹中直人と吉永小百合で演じられました。
間近に見られる諫早湾も時間によって違って見えるもので、朝の景色はやっぱり一番です。

 

 

諫早から佐世保まではシーサイドライナーで向かいます。この路線からは大村湾が展望できます。
九州に入ってから周防灘、伊予灘、臼杵湾、佐伯湾、太平洋、日向灘、志布志湾、錦江湾、東シナ海、不知火海、島原湾、有明海と繋がっているはずなのにたくさんの呼び名の海を見てきました。 

この大村線はハウステンボス駅があります。前後を走っているとこんなところにあるんだと思うくらいの人口の「夢の国」です。
昔、20数年前にオランダ村と呼ばれている頃に職員旅行で行ったことがあるくらいです。

 

佐世保からは松浦鉄道西九州線で伊万里に向かいます。北松浦半島をぐるりと周ります。この車両にはトイレがありません。46駅2時間30分の旅だからどこかでトイレタイムがあるんだろうと思っていましたが、なかなか止まりません。たびら平戸口でやっとトイレタイムです。

 

たびら平戸口は2本の線路の電車駅としては日本最西端の駅になります。西大山駅もそうでしたが、沖縄のゆいレールを数えるとどちらも日本最南端、日本最西端とは言えなくなっています。西大山駅はJR最南端と書いてありあましたが、ここではまだ日本最西端の駅と謳ってありました。
平戸島や生月島への観光の窓口になる駅です。

 

 松浦鉄道は駅と駅の間が近い。地元密着型の路線です。佐世保駅を出ると佐世保中央、中佐世保、北佐世保とバス停のような駅が続きます。

 

 伊万里駅から松浦鉄道有田行に乗り換えます。折り返すことなく終着駅マークから始発駅ムードに変わります。線路の幅でも違うのかなと思うほどの変化です。前の46駅に比べると今回は10駅です。30分ほどの乗車で車窓には焼き物の窯元らしい建物が並び眺めているだけですぐについてしまうほどの感覚です。

 

有田からはまたJRに乗り換えます。時間があるのでホームから出てみました。
焼き物の店に立ち寄り、コーヒー用のマグカップを買おうと思いましたが、これほどの数が並ぶと選べません。これも良い、あっちの方が良い。値段と比べながら結局何も買わずに出てしまいました。ここら辺がかつての何でもさっと決めてしまう自分とはちょっと違うような気がします。
顔看板がありましたが、周囲に頼めるような人がいなかったので看板だけにしておきました。

 

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九州一周鉄道の旅6(2019.6.12撮影)

2020-04-28 14:15:27 | 鉄道旅

熊本駅に着くと目の前に特急「かわせみやませみ号」がちょうど到着したところでした。この列車は熊本〜人吉間を走っている特急です。SL人吉と同じ区間を走っているので、前回の肥薩線の旅ではSL人吉を選びました。写真は何度も撮っているのですが、まだ未乗車です。
いつか絶対に乗りたい憧れの特急です。
球磨の自然を模した和モダンな列車になっていて基調になっている色は渓流・球磨川の碧色と球磨地方の森をイメージした深緑の2色です。
車内は床に杉板、カウンターやテーブルは檜、暖簾は八代産のイグサなど手作り感満載です。停車中に乗ったことはあるのですが、動いている車両にはまだ乗っていません。

 

 
今回の旅で乗れなかった豊肥本線と熊本電鉄、もうすぐ完全復活するだろう南阿蘇鉄道と併せて乗車したいと思っています。もう一つ、吉都線がありますが。

熊本から鳥栖まで移動します。九州新幹線を使えば短時間で移動できるのですが、九州鉄道塗りつぶしの旅に妥協は許されません。鹿児島本線区間快速で1時間半の旅です。
鳥栖で1時間ちょっとゆとりがあります。

駅前で昼食を食べる所を探していると大きなスーパーが見えました。スーパーに付随している食べ物屋を探しました。ハンバーグや肉系はあまり食べたくなく、冷やしつけうどんにしました。でも真っ先は生ビールです。車に乗らない列車の旅の醍醐味は昼間のビールです。


鳥栖の駅で待っていると向かいにこの旅で何度か乗った817系の電車が止まっています。黒い顔に白いボディーは初めてだったので新鮮でした。九州は交流式なので電車も目新しいものばかりです。


鳥栖から長崎までは特急かもめ23号です。長崎に向かう885系が「白いかもめ」大分に向かう885系が「白いソニック」と呼ばれています。2000年デビューの車両です。
駅に停まっているのは何度か撮影しましたが、乗るのは今回初めてです。車内もやっぱりおしゃれにできています。

 
次のことを考えると諫早で乗り換える方がスムーズなのですが、塗りつぶしの旅のためには長崎本線の終点まで行く必要があります。
そして終着駅マークを確認して10分で乗り換えです。この終着駅マークですが、今年から長崎駅は高架駅に大変身したので大変きちょうな映像になりました。


長崎まで来て観光も全くありません。
ただ、長崎は何度も訪れているので今回は観光しなくても何の未練もありません。

長崎は改札口さえ出ないで長崎本線で諫早まで戻ります。
でも、ただ戻るだけでなく、この旅の柱でもある快速シーサイドライナーに乗ることができます。キハ66・67系に乗ることができます。
この車両は筑豊地区の通勤の改善を目的に1975年に作られたものです。キハ66系とキハ67系でペアを組んで運転をします。
試作車としての性格が強く、結局は各15両しか作られませんでした。その30両が全て長崎地区に移り、長崎と佐世保を大村線経由で結んでいます。言い換えれば、世界に30両しかいないレアな気動車と言えます。その30両が全てシーサイドライナーとして走っていると言うことです。
去年、担任していたレイルマンくんと一緒に見ていた鉄道の図鑑で見ていろと形に惚れ込んでどうしても本物が見たいと言う思いに駆られていました。
地元の人たちは普通に利用している古ぼけた車両かもしれませんが、私はずっとアドレナリンは上がりっぱなしでした。
ディーゼル車両の中では一番スマートだと思います。

 

 
向かい側のホームに止まっているのはキハ200系快速「シーサイドライナー」だと思います。連結部分が黒いのが特徴です。三角線で紹介した赤い車両のキハ200系とは随分印象が違います。

シーサイドライナーを諫早で途中下車して島原鉄道に乗ります。諫早から佐世保までのシーサイドライナーは翌日に取っておきます。
諫早から島原外港駅まで島原鉄道で行きます。島原鉄道は何度も災害に遭って不通期間がありましたが、その都度復活してきました。
終点の島原外港には終点マークがはっきりしないで線路はそのまま繋がっているようになっています。でも、その先は営業していません。
諫早駅は「終着駅は始発駅」とまさにそのままです。

 

 
車掌が何度も往き交い、切符の確認にきます。のどかな路線なのですが、JRとはどこか雰囲気が違います。
途中で車両を切り離すと言われて慌てて前の車両に乗り換えました。
ゆっくりした速度で23駅1時間20分くらいの旅です。駅と駅の間が近いのが特徴です。
本日の宿は島原外港です。熊本県天草までフェリーが出ています。
ホテルは泊まるだけと言うホテルで、食事は外で取るようになります。フロントで聞いて駅周辺を歩いてなかなかコアなお店に入りました。九州旅では良い満足のゆく夕食に有り付けないようです。

 

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九州一周鉄道の旅5(2019.6.11撮影)

2020-04-27 23:03:25 | 鉄道旅

次の日の朝もやっぱり早起きです。城跡の周辺が公園になっているので散歩に出かけました。ホテルから出てしばらく行くとやっぱりくまモンです。市役所へ向かう通りはくまモン通りだそうです。くまモンだらけでした。熊本はくまモンに侵略されています。

 
城跡の石垣は立派でお堀とのバランスが良かったと思いました。天守跡があると言うことでちょっと登ってみました。下から石垣を見上げる方が良かったかな?

 

八代からは鹿児島本線817系電車で宇土まで行きます。30分足らずですが、朝の通勤時間帯なのでちょっと緊張します。

宇土からは三角線(みすみせん)で三角に向かいます。車で古い教会巡りをした時に特急「A列車で行こう」にわずか一駅だけ乗ったことがあります。
今回乗車したのはディーゼル車のキハ200系でした。赤い色が九州らしい配色だと思います。車内の黒いシートがまた何とも旅心をくすぐります。

 
三角駅に着いて、三角駅の全体を1枚撮影して港へと向かいました。青い海と広い岩壁が広がります。
写真を撮っていると「三角西港には行かないのか?」と声をかけられました。「以前こちらに来た時にたっぷりと撮ってあるので、まあいいか」と言う考えと、「タクシーをチャーターしてチャッチャッと撮影してしてこようか」と迷っていました。

 
同い年くらいのランニングを終えた方から「時間があるから乗せて行ってあげるよ」声をかけてもらったのでその好意に甘えることにしました。
三角西港は観光地だから、「タクシーか駅までのバスがあるだろう」とタカをくくっていたらこれが事件の始まりでした。

 三角西港に着いて青い空と青い海とレトロな街並みと古い岸壁にカメラを走らせます。朝の空気は風景を撮るのには最適です。

 

 

 
チャッチャッと写真を撮って、「駅でゆっくりしようか?」とバス停に向かいますが、定期バスの少ないこと、観光の貸し切りバスは走っていますが、タクシーなんか全く見当たりません。時間が早かったので店も全然開いていません。開いていればタクシーを紹介してもらおうと思って探しますが、人がいない。

こうなると自分の足を信じるしかありません。大きなカメラのザックを背負って駅までの坂道を走り始めました。湾になっているために思ったより傾斜がきつくなっています。時計を見ながら走りますが、寄る年波には勝てません。このままでは予定の列車に乗れそうもありません。信号で止まっている車に三角駅まで乗せてもらえないか声をかけますが、方向が違うと断られ、うまくいきません。


何台目かにやっと乗せてもらえることになりました。中学生の子どもがいるお母さんくらいの年齢の方かな?と思いました。
その方から「“さだまさし”が走っているのかと思って二度見しました」と言われました。若い頃には言われたことがあるのですが。ひょんなことから助かりました。

三角駅はもちろん終着駅です。四国の旅からこの終着駅マークを何度も撮影してきました。「終着駅は始発駅」と言うフレーズが好きです。何度でもやり直せそうな気がします。
三角駅は、外からも素敵なのですが、待合室の天井もなかなかお洒落です。

 
あれだけの大冒険をしても三角発は10:17です。三角から熊本行きの気動車は見事に普通の昔ながらの色のキハ47(気動車)でした。
車窓から見える干潟は自然ならではの模様が描かれて先ほどの騒ぎも忘れて落ち着けました。

 

 

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九州一周鉄道の旅4(2019.6.11撮影)

2020-04-27 14:31:21 | 鉄道旅

鹿児島の手前になると桜島がぐんぐんと迫ってきます。

鹿児島中央駅から川内駅までは鹿児島本線に乗ります。日豊本線に乗っている時に踏切事故があり、列車が遅れたので、その後の列車は1本遅らせるしかないなと覚悟しました。川内駅から乗り換える肥薩おれんじ鉄道は1時間に1本しかないので、それも旅の楽しみと思っていました。
鹿児島中央からは817系に乗りました。この電車は2001年デビューでボディーも車内のデザインも何とも洒落たデザインになっています。車内のインテリアは水戸岡鋭治さん率いるドーンデザイン研究所が手がけています。さすがです。
前回紹介した787系も水戸岡鋭治さんデザインによるものです。言い過ぎからもしれないけど、JR九州の車両の魅力はは水戸岡さんによるものだと言っても良いと思っています。

 
ところで肥薩おれんじ鉄道ですが、ちゃんと待ってくれていました。オレンジ鉄道とくまモンとのコラボ列車でした。これがなかなかの曲者でした。

肥薩おれんじ鉄道のくまモンコラボ列車は一両車両なのに何から何までくまモンでした。
何と言っても座席にくまモンがどかっと座っているのには驚きました。走っている列車の雰囲気を表現しようと流し撮りで撮影しました。ここが遊園地ならわかるんだけど、「走っている列車の客席を割いてまでこのでかい巨体を乗せるか!」ゆるキャラにはほとんど興味はないのですが、ここまでやられるとほんと頭が下がります。
インスタ映えと言うやつですかね。赤字路線だと思いますが、とにかく人を呼び込むためのいろんなアイディアの一つなんでしょう。

 

 

肥薩おれんじ鉄道のくまモンのすごさをもう少しだけお伝えします。
ここまできたら大したもんでしょう。どこをみても必ずくまモンが視界に入ってきます。2時間30分ずっとくまモンと一緒。少々食傷気味になります。

 

 

肥薩おれんじ鉄道はくまモンだけが魅力ではありません。通常の車両も走っています。東シナ海を望む海の景色も楽しめます。
肥薩おれんじ鉄道の客車はディーゼル機関車なのに、全線電化されているのです。何とも不思議な話です。種明かしをすれば貨物列車が通るための幹線も兼ねていると言うことです。元々国鉄時代は鹿児島本線だったのだから当然です。途中駅でEF81がコキを引っ張っているのに出くわしました。JR貨物コンテナをたくさん運んでいました。

 


映画「レイルウェイ」シリーズ第3弾「かぞくいろーRAILWAYSわたしたちの出発」のロケ地としても使われています。有村架純さんが運転手になって再出発する映画です。有村さんが運転するのがここ肥薩おれんじ鉄道です。
ナベヅル最大の渡来地出水の駅もこの肥薩おれんじ鉄道です。

 
球磨川鉄橋もなかなかの迫力でした。

肥薩おれんじ鉄道の終点は新八代なのですが、今回は八代で下車します。16時くらいに駅に着くと言うことで、駅から離れたホテルでも大丈夫と思い、インターネットでよく聞く名前のホテルを予約しました。
これがちょっとしたミスを招きます。八代駅は市街地とはちょっと離れたところにある駅のようです。スマホを頼りに調べるものの歩くのはなかなかのようです。
バスで移動しようと考えましたが、どのバスに乗って良いのか見当がつきません。頼みのタクシーは待てど暮らせど全く来ません。「やっぱり歩くか」と歩き始めましたが、広い道路が続くばかりでなかなか目当てのものは見えてきません。
40分くらい歩いてやっとホテルの看板を目にしました。そこは市役所の前で城跡も近く、繁華街からは離れています。部屋に着いてすぐにシャワーを浴びてやっぱりホテルに付随している食堂に向かいます。
生ビールとおつまみを頼んで、満足してたのですが、食べるものも食べないととメニューをみても普通の定食屋さんです。結局、昼に食べたとり南蛮定食を頼みました。比べてみるのも面白いと思ったのですが、大差で南宮崎で無理して作ってもらったとり南蛮の勝利でした。

フロントで次の日の列車に合わせてタクシーを頼みました。

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九州一周鉄道の旅3(2019.6.11撮影)

2020-04-27 13:20:55 | 鉄道旅

志布志駅から昨日通ってきた路線をひたすら戻ります。終着駅を目指す旅はこういうことが増えてしまいます。

JR九州の東の最南端駅から南宮崎までは海側に座り、ひたすら日南海岸を見て過ごしました。昨日感動した鬼の洗濯板も2度目となるとちょっと感動が薄い。これは、四国一周の旅で阿佐海岸鉄道と牟岐線で徳島までを往復した時に感じたものと似ています。

南宮崎では撮りたい電車(気動車)にたくさん出会いました
黄色い車両はイルカのイラストの入った「にちりん」です。気動車でキハ40です。こうすると昨日乗った国鉄色とも、JR西日本に多いタラコ車両とも全く違うものに思います。
赤い鮮やかな車両はサンシャインとプリントされ、鮮やかな赤とドアにはブルーが配色された独特の車両です。現在は宮崎空港線に多く運用されているようです。中も見てみたいです。

 

でも、遠くに「えっ!」と声をあげたくなるような車両を見つけました。駅の外に出て回ってみたらやっぱり日南線観光特急「海幸山幸」でした。今回の旅では荷物を最小限に抑えるためにロングズームを持ってこなかったのでこれが限界でした。(電柱が邪魔ですが仕方ない)ここから先は関係者以外立入禁止区域です。残念です。でも生で見られたからこれでも満足です。

南宮崎で昼食を手に入れないと昼ごはんに溢れてしまいます。
駅に降りてはみたものの何もない様子。でもよく見ると高架下に食堂があります。「お弁当用意します」の張り紙もあります。「お弁当ありますか?」と尋ねると「何にしますか?メニューにあるものは何でもできますよ」と言われます。目に付いたのは『チキン南蛮』でした。「何時に乗るの?」と聞かれて時間を答えると流石に朝10時だからちょっと困惑されていましたが、「よし、やってやるよ」奥から親父さんの声がしました。
出来上がったものはお弁当の蓋が閉まらないくらいのボリュームでホカホカです。今すぐにでも食べたいくらいですが、お昼まで待つことにしました。

 

南宮崎から鹿児島中央までは特急「きりしま9号」です。787系の特急です。この「きりしま」と言う名前はかつて京都〜鹿児島中央(当時は西鹿児島)まで走っていた特急の名称でした。今は、この787系が走っています。何とも言えない色と精悍な顔立ちが何とも印象的です。
787系は1992年特急「つばめ」でデビューしました。その時の名残なのかつばめのマークがいろんなところについています。
現在のJR九州の特急の名称は走っている路線によって呼ばれているため、この787系も「にちりん」「にちりんシーガイア」「有明」「かいおう」「みどり」「かもめ」「ひゅうが」「きらめき」「きりしま」と呼ばれています。
列車の撮影を楽しんでいる私のような人間にとって非常にわかりにくいことになっています。JR時刻表で調べればわかるのですが、とにかくややこしい。
霧島神宮の手前でチキン南蛮弁当を広げると良い香りがプーンと広がり、周囲の乗客はお腹が空くだろうなと思いました。

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九州一周鉄道の旅1(2019.6.10撮影)

2020-04-26 15:52:43 | 鉄道旅

四国一周鉄道の旅を終えて10日後には九州一周鉄道の旅に出発しました。とある事情から引きこもりがちだった自分を無理矢理引き出すために旅行を設定しました。鉄道とホテルの予約をしてしまうと、半強制力が伴うと感じたからです。(結果は楽しかったけれど、負荷も相当でした。やりきったことでしばらく放心状態でした。)

九州は肥薩線と枕崎線は乗車したことがあるので周辺を巡って、行ったことがない場所で、なおかつできるだけ特急に乗れる線路を目指しました。
地元山陽本線岩田駅から最寄りの新幹線駅徳山からさくらで小倉を目指します。小倉駅はいろんな路線が入っていて列車や電車も個性的でカメラを持っていると何時間でもいられるような魅力的な駅です。
次の列車まで30分近くあるので早速撮影開始です。
1枚目は817系です。アルミ合金でダブルスキン構造で通勤型の主力車種の一つです。
2枚目は平成筑豊鉄道の旅の時に乗った古いタイプの気動車キハ47です。
3枚目は813系で、最初に紹介した817系より少し前に導入されたものです。前者が黒を基調とした精悍な顔立ちに比べて正面の赤の使い方が暖かいものを感じます。
4枚目は811系です。平成元年に導入されたものです。車内はロングシートではなくて転換クロスシートになっています。

 

 

 

小倉から大分まではソニックで行きます。ソニックは何度も写真には撮っているのですが、乗車したことはありませんでした。大分くらいまでだと車の方が便利かな?と言うことでほとんどが車での移動になります。
先頭車にフォグランプをつけて色はセルリアンブルーだそうです。ソニックというのは「音速」と言う意味で、小倉から大分までの山間部を高速で走るように設計されているそうです。
正面から見るとガンダム系のロボットにも見えます。
車内も独特なデザインと色使いがされていて、ヘッドレストがなんともユニークです。さすがJR九州のこだわり車両です。

 

 

大分から宮崎までは特急にちりんで行きます。
国鉄から分割民営化されたJR九州が初めて開発した特急型の車両です。1988年に営業を開始しました。
俗に783系と呼びます。写真は782になっているのが謎です。
ソニックに挟まれると、ちょっと地味で貧相な顔立ちに見えてしまいます。
車内も動物の耳のようなヘッドレストをつけていたソニックとは違い、質実剛健と言う作りになっています。

 

 
昼ごはん抜きになってはいけないので、小倉駅で買っておきました。福岡独特のかしわ飯です。これは美味しかった。(あくまでも個人の感想です。)

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四国一周鉄道の旅(2019.5.30撮影)

2020-04-26 15:13:37 | 鉄道旅

徳島で一泊したのは、牟岐線・阿佐海岸鉄道に乗るためです。この路線は往復するしかありません。もちろん、バスやタクシーを利用すれば、前の日行った奈半利に行けないことはなかったのですが、鉄路だけにこだわってみたかったのです。

貧しい朝食スタートです。

 
徳島県は全国唯一全線非電化路線です。徳島駅もディーゼル車だらけでみているだけで楽しくなります。

 


徳島駅で輪行バッグを持った同い年くらいの男の人がいたのでちょっと話しかけてみました。「室戸岬まで行くんですか?」と尋ねると、やっぱりお遍路周りでした。自転車を使って何回かに分けて廻っているそうです。この日は日和佐(お城のある駅)まで電車で行って自転車で廻ると話されていました。知らない人に話しかけるのは成功しましたが、長い距離をずっと話し続けるのはお互い負担が大きいと思い、ちょっと離れて座りました。
海部行き普通列車28駅2時間ちょっとの旅です。

JR海部駅で下車して阿佐海岸鉄道乗り換えまで15分くらいあります。鉄道旅の関心事は昼食をどうするかです。パンでもなんでもいいから何かないかと駅の外に出てみました。見事に何もありません。

 
阿佐海岸鉄道の終点は甲浦(かんのうら)です。
一縷の希望を持って列車に乗り込みました。この鉄道はたった二駅で終点です。
運転手さんに甲浦駅周辺でどこか食べるところありますか?と聞くと絶望的な返事でした。そのまま折り返してしまうことも考えたのですが、それでは面白くないということで、次の列車まで1時間街をブラブラすることにしました。高架駅から降りるとすぐに「室戸岬行きのバスに乗られませんか?」と声をかけられました。
余裕があれば行きますけど、後の鉄道スケジュールが詰まっているのでごめんなさいをしました。
海に向かって歩いて行きましたが、なかなかたどり着きません。学校の跡地を通り抜けると古い町並みが少しだけ見えてきました。その先に「ザ・田舎のスーパー」と思しき店がありました。
そこで、おむすびとその店手作りの揚げ物のお惣菜を買って「どこか座って食べて大丈夫な場所はないか尋ねました。
首を傾げながらさっき通った学校跡地を教えてくれました。
なんとも普通の昼食です。

 

徳島最南端の駅から高知最東端の駅まで旅をした割には質素な昼食を取り歩いていたら雨がポツポツしてきました。こうなったら駅のホームで待機するしかありません。
30分くらい待っていると同じ車両の同じ運転手さんでした。「何にもなかったでしょう?」「スーパーでお弁当を買って食べました」と答えるとなるほどと言うような顔をしていました。
家に帰ってもう一度調べると隣の宍喰駅には阿佐海岸鉄道の本社があり、駅長の行きた伊勢海老が待っているそうです。駅には売店もあったようです。
つまりは、甲浦まで行き、乗ってきた車両で折り返し、宍喰駅すれば良かったと言うことです。まさに後の祭りです。

 
同じコースを徳島まで戻り、特急「うずしお22号」で岡山まで行きます。高松駅を過ぎ、国分駅で進行方向が逆になります。お客さんは一斉に椅子を進行方向へと倒し始めました。親切(お節介?)なおばさんが教えてくれたので私はその指示に従いましたが、近くに座っていた若者は「別にいいです」とちょっと空気を澱ませていました。


家に着くのが9時になるので岡山でまた駅弁を購入して新幹線に乗り込みました。
これにて四国一周鉄道の旅は終了です。

 
今回乗っていないのが徳島から鳴門方面に向かう鳴門線と特急が走らない海岸線を走る予讃線(夕日で有名な下灘駅を通る線)の一部です。これは、また後日に残しておきます。

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