とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

沖縄平和ツアー報告①

2006-12-31 23:47:30 | 写真日記
 組合青年部の主催の沖縄平和ツアーに参加させてもらいました。もちろん自分が青年でないことはわかっています。12月28日~30日ということで、世の中も我が家も最も忙しい時に、沖縄に行ったわけです。

 北九州空港を7時過ぎに離陸するという日程なので、下関の書記長の家に前泊させてもらいました。一緒に参加するおじさんたち全員一緒に泊まったので、前の日からすでに前夜祭の感じで盛り上がってしまいました。私事ですが、信頼していた他県の仲間が自ら命を絶つという事件があったちょうどお葬式の日だったので、お酒がいつもより入ってしまい、少し迷惑をかけたようで反省しております。

 そういうこともあり、今回のツアーは少し入り方が変だったのかもしれません。予定通り、北九州空港に全員が集合して、飛行機に乗り込みました。



 昨日の酒がきいてきたのか、離陸直後からすでに眠りに入っていました。窓側の席だったのに外を見る余裕もほとんどありませんでした。曇っていたこともあり、ほとんど見えなかったせいもありますけど…。どうでもいいことですけど、起きている時はシートベルト着用の時ばかりで、途中のジュースお茶サービスはとうとう受けることができませんでした。

 那覇空港に着いて、無性に喉が渇いていたので、トロピカルジュースのコーナーに行きました。でも頼んだのは、ゴーヤジュースです。店員さんが「パイナップルを混ぜた方がいいですよ」というアドバイスをしてくれたのに「いいです」とストレートで飲んだら、その苦さはなかなかのものでした。昨日の酔いが全部消えてしまうほどの苦さです。ほとんどバツゲームの世界かもしれません。でも、個人的には癖になりそうな味でした。

 空港からはバスで移動です。運転手さんと現地のガイドさんです。ガイドさんは沖縄平和委員会のメンバーで長年平和教育の実践をされていたバリバリの元教師です。分厚い手作りのテキストを持ってこられて、バスの中でさっそく説明をされはじめました。私の席は当然不良の席、一番後ろです。聞きたい時だけ聞くという不真面目な生徒を演じてきました。



 不真面目な生徒の目に一番最初に目がいったのは豚の丸焼きの看板です。25000円~と書いてあったのが沖縄に来たのだという実感でした。



 バスが最初に向かったのはひめゆりの平和祈念資料館です。ひめゆりの塔の前でガイドさんが説明をされていたのですが、聞きながらも気になったのはそばにある大きなガジュマルの木です。独特な幹の太さと、広く広がった根っこと垂れ下がったひげが気になって仕方ありませんでした。確かキムジナーという妖怪が住むのはこの木だったよなーと余計なことばかり考えていました。

 

 でも、資料館の中に入ると外の風景のことなど忘れて頭の中はいろんなことでいっぱいでした。住民まで巻き込まれていった沖縄戦の悲惨さは筆舌尽くしがたいものがあります。ひめゆりのことは何度か映画になりましたが、真実はあんなものではなくもっと壮絶だったと聞きました。

 

 ひめゆりの塔周辺の喧噪からすこしはなれて、駐車場の裏手にでいごの塔が建っています。学徒として動員され死亡した私立昭和高等女学校の生徒をまつっているそうです。ひめゆり学徒以外にも5校の女子学徒隊が戦地へ動員されたそうです。
 
 その場所に移動する前にある自転車が目に入りました。余計なものへ目が向かうのが習性のようになっています。自転車には「生かそう平和憲法」のステッカーと日本最北端の宗谷岬のぼりが立っています。北から南まで自転車で?と興味を持ってカメラを向けると外人さんが近寄ってきて「面白いですか?」と日本語で話しかけてきました。「これはあなたの自転車ですか?」と聞くと「たぶん」と答えてきました。変な会話だと思いましたが、少し話をしました。日本全国を自転車で旅をしていると言っていました。現在地は沖縄でもほとんど南端に近い所なのですごい外人さんだと思いました。

 

 昼食は駐車場のすぐ横の食堂で食べました。ガイドさんの教え子が働いているそうです。メニューにタコライスとあったのでそれにしました。映画「涙そうそう」の時に小泉今日子がやっていた店がタコライスの店だったことを覚えています。タコライスは、ベトナム戦争時の沖縄県金武町キャンプハンセンのゲート前に広がる米兵を相手にした飲食店街で生まれた、というのが定説になっているそうです。タコスの具をご飯にのせたものです。「たこ入ってないじゃん!」のお決まりのつっこみも聞かれました。ここでも一人だけオリオンビールを注文して少し白い目で見られていたような…。



 食事が終わって、次に向かったのが糸数アブチラガマです。アブとは深い縦の洞窟、チラとは崖のこと、ガマとは洞窟やくぼみのことをさすようです。バスの中で説明受けているだけでもこれからの行程は精神的にきついことになると思っていると、入り口に少しだけ気持ちが和むようなものがありました。

 石敢當です。沖縄では一般的に見られるもので魔除けに使われるもので中国から伝わったものらしいのです。一般にはシーサーの方がポピュラーな気がします。シーサーと石敢當のタッグはもっと強力になるかもしれません。

 

 入る前に、ガイドさんが爆弾の破片を持って説明してくれました。こんな砲弾が所狭しと打ち込まれたのだと説明されました。

  

 糸満アブラチラガマは、大変広い鍾乳洞なのですが、真っ暗で中は所々狭くなkっているので、入り口で懐中電灯を100円が借りて、無料貸し出しのヘルメットを借りて入ります。急な坂道になっていたり、天井が低いので運動靴とともに必需品だと思います。

 ここは病院として使われ、実に多くの人たちを収容したそうです。中にはライトなど全くなく、懐中電灯だけが頼りです。ひめゆりの人たちもここに配属されたそうです。ここも危なくなった時に動ける者だけが移動し、残された者には青酸カリが配られたそうで大変悲惨な状況だったという説明が暗闇に響き、それでなくても息苦しいのに「もういい。出してください」という状況でした。カメラは勘でストロボ撮影をしたものです。

 

 「ここが病室」「ここは破傷風の患者がいたところ」など、聞きたくないような話の連続でした。そして究極は人骨や歯を見つけた時でした。

   

 外に出られた時は、開放感でとても幸せな気持ちがしました。空気がこれほどおしいかと思いました。

  

   

 




 
 



  






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年も押し詰まって東京へ

2006-12-26 01:36:13 | 写真日記
 12月23日~24日という大変な日程の会議に参加してきました。この団体は毎年この時期にやっているそうなのですが、本当に久しぶりに出ました。全国の懐かしい顔にも会えてなかなか面白い2日間で参加して良かった会でした。

 さて、この会の参加は復旧氏と一緒に参加ということになりました。復旧氏とは奈良の全国大会も車でご一緒したので、ブログでも紹介しています。今回の旅行日程は全て復旧氏が手配してくれたので、彼の言う通りに行動することにしました。

 まず夜行寝台での旅からスタートしました。


 B寝台のソロという座席に初めて乗りました。それぞれが個室になっていて鍵もちゃんとかかるのです。1階=奇数、2階= 偶数 という具合になっていて、復旧氏は1階、私は2階でした。

 

 なかなか景色も良くて、良い感じでした。ゆっくり話をしようということでしたが、酒ばかりが進んでしまい12時にはぐっすり眠っていました。朝目がさめるともう静岡でした。でもそこから東京までがけっこう長いのにはちょっと…。でも横になっていたらいつの間にか眠ってしまいました。相当ゆっくりしたような気がします。

 東京に着いてまず、宿に荷物を置こうということにしていました。宿も復旧氏にお願いしていました。最高に安い宿ということで一泊素泊まり3000円という宿です。東京浜松町海員会館と言います。浜松町から徒歩数分という立地条件が魅力の宿です。泊まった感想についてはまた後で…。



 荷物を預けてさあ、どうしよう?という時に、浜松町と言えば東京タワーということになりました。何度も東京には足を運びますが、さすがに東京タワーともなると、30年以上行ったことがありません。どんなものかなと思いながらつきあうことにしました。再び駅をめざして、反対方向へ向かいます。目印は見逃すはずはありません。まず大きなお寺大本山増上寺に着きます。このお寺は芝公園の中央部にあり、1393年(明徳4)創建の浄土宗の大本山です。江戸時代には将軍家の菩提所、浄土宗の総録所、関東18檀林の首座として、常時3000人の僧侶がいる大寺院だったそうです。1622年(元和8)に建てられた三解脱門[さんげだつもん](重要文化財)は、かつての偉観を偲ぶことができる建築物です。

 

 お寺に入ると、すぐに右手の方にたくさんの風車が目に飛び込んできました。もしかしたらと思いましたが、やっぱり水子供養のお地蔵さんでした。でもその数は半端な数ではなくてちょっと驚いてしまいました。入り口には絵馬がかかってあって「産まなくてごめんなさい」など、朝から見るには少しヘビーな中身がたくさん書かれてありました。中には英語も中国語もハングル文字も見られました。

 少し重たい気分を引きずって東京タワーに着きました。東京タワー前では竹馬のパフォーマンスもあって「メリークリスマス」ムードが漂っていました。

 

 せっかく来たのだからと展望台まで行くことにしました。展望台からの眺めはなかなかでした。30年前にはありえなかった高層ビル群が目の前に見えました。さらに上には特別展望台がありますが、エレベーターの待ち時間が40分ということであきらめることにしました。

 

 東京タワーの展望台から写真を撮っていると面白い光景に出会いました。タワーの陰が街並みに映ってなかなかでした。その先に見える緑の絨毯はサッカー競技場です。まるでおもちゃのように見えました。



 東京タワーを下りるとちょうど12時くらいでした。そろそろお昼でも食べて、会議のある大森に行けばちょうどいい頃だと提案すると、復旧氏は「まだお昼には早いですよ。僕は行きたいところがある」とまたまた言い出しました。今日はこの人に合わせると決めていたのでやっぱりつきあうことにしました。言い出したのは何と「汐留に行きたい」でした。汐留というと日テレがある所JRの跡地ということは理解していたのですが、どこにあるのかは知りません。
 
 復旧氏は「品川だと思います」というので浜松町から下って行きました。品川に着くとそれらしきものはありません。駅員に聞くと「新橋です」と答えました。何と反対方向です。あきらめるかと思いましたが、彼は行くと言います。何とか着くと超高層ビル群です。

 

 彼の目的は何だろうと思っていると「あった!ここだ!」と案内された所は何とラーメン屋さんです。テレビで何度も紹介されているラーメンだそうです。

 

 しかし、ラーメン屋さんの前には長蛇の列。彼はすぐに並び始めます。「僕が並んでいるからDylanさんは写真を撮ってきていいですよ。」そこまでしてラーメンを食べたいのかと彼のこだわりに敬意を表しながら、日テレの売店をあちこちと歩いてまわっていました。日テレの番組のグッズが所狭しと並んでいて、笑点とエンタの神様と伊東家の食卓のグッズが目をひきました。伊東家からは、まぼろしのミートボールメーカーをついに見つけることができました。



 これにふりかけとごはんを入れてまんまるおにぎりを作るのです。適当に空気が入ってふんわりとおいしくできるのです。学校の子どもたちには大人気の商品なのです。

 そうこうしているうちにやっと順番が回ってきて店に入ることができました。店頭でやっていた『限定百食の味噌ラーメン』はすでに完売。何にしようかと考えましたが、かに味噌ラーメンにしました。かにと味噌はどこで切れるのか考えましたが、出てきたものは普通のラーメンにかに味噌の風味が入ったものでした。麺はまあまあと言うところでしたが、スープのおいしさは半端ではありませんでした。

  

 ラーメンを食べ終わって、適当にグッズを買って「さあ行こう!」と思っているともう一つ注文が出てきました。宮崎駿がデザインした『からくり時計』があるらしいのです。これを見ていこうというのでやっぱりお付き合い。ブログを始めてからどうも、私も好奇心のかたまりになってきているようです。行くと確かに宮崎駿らしいハウルっぽいものがどーんとあります。係員が「もう少しでからくり時計が動きます」というので「もしかしたら…」と思っていたら、「ついでに見たい」と言い出しました。からくり時計が動くということは、「2時になったら…ということは…」当然2時からの会議には間に合いません。「毒を食らわば皿まで」ということで並びました。動き始めたけど、やっぱり私の感性には合わない物がありました。



 大森の駅についてやっと目的地に到着しました。会場のホテルの目の前に変な案内板を見つけました。大森貝塚と書いてあります。「大森貝塚」と言えば、中学校の時に習った登呂遺跡と並んで二大遺跡の一つです。今でこそ、いろんな遺跡が言われていますが、当時の古代史のシンボル的存在、ぜひ見たいと今度は私がわがままを言いました。行く線路の本当にすぐそばに石碑が建っているだけでした。

 

 会議の1日目の日程をこなして、交流会もそこそこにして、宿舎に向かいました。交流会ではほとんど食べるものがなかったので、もう一軒飲み直すことにしました。ちょっとこざっぱりした居酒屋に入りました。交流会でビール、焼酎、ウィスキーと飲んで来たので、泡盛のロックから入りました。料理もなかなかおいしい店で注文した品もそんなに遅くなく届くといういい店でした。従業員のTシャツの背中に書いてある文字が少し気になるので、支払いをする時に撮らせてくれとお願いして撮らせてもらいました。ノリのいいその男性は「ぜひ前からも撮ってくれ」というのでもう1枚パチリ!

   

 店を出た時にはほろ酔い気分でした。宿舎の前になるとラーメン屋さんの看板が見えました。よせばいいのにまたついふらふらと入ってしまいました。このラーメンがまた大変においしいので、大感激をしたのですが、あとで、後悔するはめになりました。



 宿舎は六畳の畳部屋で、布団は各自で敷く、テレビは小さい物がついていますが、明かりは天井からつるされている笠つきのスイッチはひもという昔のお家に来たという感じでした。もちろん、トイレ洗面所は外で共同です。30年前の自分の下宿にタイムスリップしたみたいな感じになりました。復旧氏は、「一泊3千円だからこれもありですよ」と言ってましたが、個人的にはこの宿はいただけませんでした。

 2日目も日程も終えて帰ろうと思っていたのですが、最後の復旧氏の願い「木村家のあんパンをお土産に買って帰りたい」という願いに応えるべく、大森駅から東京駅に急遽向かうことにしました。帰りの切符は品川からになっていたのでもう一度品川にもどらなくてはいけません。銀座が本店なのですが、八重洲中央口の大丸の地下にも店があるのです。残り時間45分で何とか任務を達成しなくてはいけません。あきらめかける復旧氏を励ましながら急ぎました。大きな荷物を抱えて走る中年おやじは不思議な光景かもしれません。何とかパンを買って品川で弁当も買って新幹線にすべりこみました。

 ところで、この復旧氏はパンを買うまでは、店の位置を知っている私が頼りというかんじだったのにパンを買った途端に、現金なものでどんどん先に行ってしまいます。荷物の量の違いなど気にしません。なかなかの男です。

 帰りの新幹線では、新山口から車で帰らなければいけない復旧氏を横目で見ながらビールをぐいっと飲み干す感じはさっきの敵討ちをしたような気分でした。

 

 









  




 

   

 


 
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夕日の撮影は難しい

2006-12-04 23:22:44 | 写真日記
 いい夕日の撮影をしたいと思い、場所を決めてずっとねらっているのですがこれがなかなか難しい。山口の今の時期だと5時くらいが勝負なのだけど、この時間に目的地に着くのはなかなか至難の業です。
 
 今日は良い天気だから行こうと思っていたら、夕方近くになると曇り始めたり、今日こそと思っていたら、夕方近くから会議が入ったりとなかなか自由になりません。

 でも、今日も下松市の笠戸島に向かいました。昼間は晴れていたのですが、夕方から少し下り坂で雲が出てきましたが、取りあえず出かけることにしました。

 冬至の頃が一番良いと言われている場所です。これからも何度も挑戦したいと思っています。取りあえず今日の写真です。

     
 
 自分としては2枚目の写真と最後の写真がいいかなと思っていますが、もう一つ納得できていません。これからも天気の良い日をねらって何度か挑戦したいと思っています。  

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男はつらいよ寅次郎心の旅をみて

2006-12-03 22:46:02 | 映画
 土曜日にNHKのBSで「男はつらいよ」を観ました。毎週楽しみにして、録画までしてています。今週は、「寅次郎心の旅路」でした。今回の作品はウィーンまで行って撮影したことで、話題になった映画です。この映画はリアルタイムで映画館で観ています。当時は作品自体はあまりあまり評価しなかったように覚えています。寅さん映画は日本の風景を描いていくところが好きなのと、寅さんがウィーンにフィットするわけないと思っていたからです。

 当時のウィーンの市長が、飛行機の中で寅さん映画を観て、ぜひウィーンに来て欲しいといったという話だったと思っています。

 東北の単線で旅をしている寅さんが、自殺未遂をするエリートサラリーマンを助けることから、ウィーンまで一緒に旅をするといういつも通りの「そんなやつはおらんやろう」のストーリーです。

 自殺未遂のサラリーマンに柄本明が扮しています。自殺未遂を思いとどまらせて温泉旅館でどんちゃん騒ぎをして、次の日朝早く帰ろうとするサラリーマンに寅さんのかけることば「会社はお前が行かなければなくなるのか?」「そんなことはありません」「じゃあ休んじゃえばいいじゃないか」この会話はなかなか言い得て妙です。

 寅屋では、寅からサラリーマンの話を聞いて「心身症」とか「ストレス性…」と新聞のような解説をする博の話にみんなが「大変だよなー」とうなづくばかりで寅のような破天荒なアドバイスをする人間はいない。

 ウィーンでは、観光ガイドをしている美しい女性竹下景子に出会う。竹下景子は日本でいろいろあって飛び出して、ウィーンで一人で暮らしている。「帰りたいけど帰れない」頑張っている竹下景子に向かって「俺なんかいつでもすぐに故郷に帰ってるよ」と里心をつかせるようなことをさっと言ってしまう。

 寅さんのことばは、当時の悩める日本人たちに向かって語りかけていることばのような気がしました。そんなにつっぱって頑張らなくてもいいよ。いつでも休んでゆっくりしてごらん。故郷だってちゃんと待ってるよ。そんな気がしました。

 映画自体は場所がウィーンということもあり、「第3の男」の映画を彷彿させるようなシーンが随所に出てきます。柄本明が舞踏会からの帰りに街中で踊るシーンがあるのですが、柄本明の陰が向こうのビルに大きく写るところなど、「あれれ…」と思わず声が出そうでした。そこらへんが遊んでいるところだと思いました。

 映画は寅さんが完全に脇に回り、柄本明、竹下景子、淡路恵子ばかりが目立つような映画でした。そこらへんがつまらないと思ったのかもしれません。

 「モッツァルトってのはそんなに偉いのかね?」「銅像になるくらいだから偉いんだろうね。日本でいうと誰くらい偉いのかね。上野の西郷さんは犬連れて浴衣で立っているけど、あの人はスーツか何か着てたからね。首もとはひらひらしてたし…」と竹下にまじめに尋ねる寅さんはいつもの寅さんでした。

 2学期末で忙しいけど、俺が行かなくても学校はなくならないから、どこかで一日思い切り休んでみようかな?どこか景色の良い所でも散歩してみたいね。そんな気持ちにさせられる映画でした。
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高石ともやフォークコンサートに行ってきました。

2006-12-01 23:45:44 | 日記
 12月1日岩国市周東町のパストラルホールで行われた高石ともやさんのフォークコンサートに行ってきました。

 主催をしている村崎さんとは昔からの知り合いで、直々に封書で案内をもらっていたので、ぜひにと思い出かけることにしました。夜7時からなので十分間に合うと思っていたのですが、学校の会議がぎりぎりまであり、ごそごそしていたらどんどん遅くなってしまい、取るものも取らず会場に行きました。でも付いたのは30分も前に着いてしまって拍子抜けでした。

 会場に入ると、まだがらがらで前から2番目のかなりいい席に座ることができました。少しずつ席が埋まるにつれ、客席の年齢層の高さに圧倒されてきました。明らかに団塊の世代と思われる集団があちこちに現れてきました。その人たちがみんな知り合いみたいであちこちで、時のあいさつがかわされているのを見て場違いな場所にきたかもしれないと思い始めていました。

 10分くらいでも眠れるかと思って目をつぶっていたら、突然ステージに背広にネクタイのおじさんが、ギターを置いて去っていきました。もう一度出てくると何と高石さんでした。7時開演なのの15分前から登場して、いつものようにステージを歩きながら会場の声の響きを確認して歩きます。そのまま去っていくのかと思ったら「せっかくですから…」と言いながらギターを手にして歌い出したのは「風」です。「人は誰もただ一人…」と歌い出すと、あっという間に歌声喫茶化していきます。次に歌い出すのは「遠い世界に」です。これまたおじさん、おばさんは大喜びでした。

  

 続いて、「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌いながら、当時の社会の状況を話しながらフォークを語っていく雰囲気は大学の講義のようでした。おじさん、おばさんの顔は1970年代の青年の顔に戻っていました。

 

 たっぷり1時間近く歌い上げてから、山口のフォークシンガー李陽雨(イ ヤン ウ)さん、上田達生さん、村崎修二さんたちの登場です。オープニングは「島田川」です。昔凪の座が自主制作でレコードを出していたのを持っていました。なかなか良い歌なのです。歌詞もなかなかの曲です。

 「島田川」 作詞 岡本美代治 作曲 上田達生

口ずさむ 君のうたは
流れていなければならぬ
今日のくるしさ 明日の重さ
永遠を繰り返す 水であるなら

夢見る 君の願いは
流れていなければならぬ
空のにごり 地のよごれ
抱きためて洗う 水であるなら

朝ごとに あたらしく
旅立ちがなければならぬ
周防の国の 里築き
高洲のうみに 高鳴りを告げる

…ひとすじの川よ

 この3人で演奏は大丈夫なのか実は心配していたのですが、岐阜の笠木透さんのグループから応援のギタリストが来ていて、聴き応えのある演奏になっていたので大満足でした。3人とも実に個性的な歌声でなかなかでした。

  

 3人の演奏が30分近くあった時に、高石さんは楽屋に下がらずにステージの脇でにこにこ聞いていたのが、また高石さんらしいと思いました。

 それから高石さんを交えて全員でセッションして、再びは高石さんのソロになり、エンディングは全員の「ヘイヘイヘイ!」で終わりました。
 アンコールのかかっている間に、前の方のおばあちゃん2人が客席から離れていきました。トイレかな?それとも帰りの時間が迫っているのかな?と思っていたら花束贈呈ならぬ野菜の贈呈に登場してきました。これには場内大爆笑でした。

 

 最後に村崎さんの追い出し太鼓で全て終了になりました。実に気持ちのいい時間をすごさせてもらいました。もちろん、私もおじさんの一員です。 

  


 

 

   


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