Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編255. 札幌ラーメン

2016年01月17日 | diving
 週間天気予報をみると最高気温が10°を下回る日が続く。これから節分までの2週間が一番寒い冬。でっ、こういう酷寒のときに仕事は忙しくなり、忙しい時には夜食が恋しい。夜食の王道はラーメンだ。暖かいし、塩分が眠気を誘ってくれる。
 どさんこチェーンが東京に進出してきたときの札幌ラーメンは大変美味だった。いまのように焼豚やシナチクなどという東京ラーメンの具ははいっていなかった。タマネギとモヤシとコーンが山盛りになって太い面の上に乗っており、それをニンニク等の入った濃い味噌スープで仕立ててあった。だからタマネギ固有のうまみがスープに出ていて麺と辛み大変美味だった。
 例えばタマネギを細かく砕いて1時間ほど弱火で炒めた物を、カレーなどの具に入れると俄然旨くなると言うことをご存じだろうか。タマネギにはそうした力があるのだ。
 今Googleで画像検索すると、焼豚とシナチクは東京ラーメンの発想だからこれを除外すると9割は消える。残った中でタマネギとモヤシがはいっていそうなのを探すともう1%もない。もちろん大方はスープを味噌仕立てにしてあるが、スープでうま味をだすのは九州ラーメンの発想である。それでは淡泊なのであり、暑い風土の食べ方だ。
 本来の札幌ラーメンとは、玉ネギのうま味とモヤシとが特有のスープと麺とにからまって味わえるコンビネーションにこそ特徴がある。だから麺は麺、スープはスープ、具は具と分断した味わい方では札幌ラーメンにはならないのだと言っておく。当然スープが旨いの、麺が旨いのというのは東京人の貧しい味覚のなせる評価である。そして今はなかなか昔の札幌ラーメンをみかけない。
 当然のことながらスープを味噌仕立てにすれば、札幌ラーメンになるわけではない。結局東京の味覚の中で札幌ラーメンは、つまらなくなってしまった。大体東京の味覚というのは、すべてを簡単にして平準化しつまらない味にしてしまう。
 だから今は旨い札幌ラーメン屋が日本にはないといってよいでのはなかろうか。大体スープだけで味わうという九州ラーメンが大都市で跋扈している現象自体がおかしいのである。九州ラーメンのほうが調理は簡単なんだけどね。何でも簡単さをもとめるあたりが、東京人的貧しさの所以なのである。
 料理というのは、その土地の気候風土と密接な関係を持っている。だからその土地固有の調理の仕方がある。
 京都人としては、せいぜい東京人に侵食されないように、京都の味に固執するほかないですね。京料理はいろいろあるが、手近なところでは河道屋の芳香炉などは京野菜の典型だし、錦市場の総菜屋井上に行けば京都の家庭の味覚だ。実際これらの店は地元の人しか行かないですしね。

沖縄県慶良間諸島
ニコンCoolpix AW130
ISO200,焦点距離11mm,露出補正0,f/4.4.1/30
コメント
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