Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LEFE1248. 琉球の風

2016年01月06日 | Okinawa
 沖縄県史をを読んでいると冊封(さくほう)体制という言葉にしばしばぶつかる。以下に解説を引用しよう。
「中国,歴代王朝が東アジア諸国の国際秩序を維持するために用いた対外政策。中国の皇帝が朝貢をしてきた周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて君臣関係を結んで彼らにその統治を認める(冊封)一方,宗主国対藩属国という従属的関係におくことをさす。」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典。
 県史に沿って記述すると大まかだが以下のようになるのだろうか。ただし古代史は省くが。
 14世紀初頭、尚皇帝が琉球王朝を形成しだした頃から、中国・明と冊封体制を結ぶとともに、東南アジア諸国との交易を盛んに行い、それ自体が琉球王国の主産業であった。つまり海外交易を主とする独立国家である。以来500年琉球王朝の繁栄が続くことになる。
 19世紀初頭から琉球の内政問題として農村の疲弊化があげられ、外交問題として西欧列強の東南アジア進出という内外の問題を抱えつつ琉球は新たな局面を迎える。そんな中で王朝は滅び明治政府に統合され沖縄県となり、始めて日本の領土となる。
 農村が疲弊したのは過度の年貢の取り立てなのだが、なぜそうなったかは解明されていないし、また新たな局面という言葉は通俗的で便利な言葉であり、実は私自身変容の構造を理解しているわけではない。 先を続けよう。
 明治政府の愚作の中で沖縄県は次第に疲弊してゆき、第二次世界大戦に巻き込まれ、やがて日本の敗北とともに米国領土となる。このとき米国は、ヘーグ陸戦法規に定められた占領地の財産尊重に違反して過大な米軍基地を建設し沖縄を軍事活動の拠点とした。やがて1971年に日本に返還され再び沖縄県となって今に至るが、いまだに駐日米軍基地の75%が沖縄にあるままだというのが県史が教えてくれるところである。そうした1県だけの過剰な負担は、おかしいのではないですかというのが今の沖縄県の問題提議なのだろう。
 駆け足で読んできた私なりの琉球の風である。その風は、今後どこに吹いてゆくのだろうか。

沖縄県那覇市
OLYMPUS EM-1,LEICA ELEMARIT DG45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f2.8.1/800
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