みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#75 終末預言 by R.C. Sproul

2022年03月31日 | 終末預言 
R.C. Sproul: Post-Christian Christianity

訳出時間枠:5分43秒から9分46秒まで

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近年の歴史や最近起きているさまざまな分岐点に関して、私たちはチャールズ・ダーウィンらの強力な影響力を目にしてきました。

しかしながら、私がこのことを把握することができたのは1776年以前の神学的見解からであり、それに従って疑問となる点を考えてみたいと思います。

入植者と独立宣言は、アメリカ独立戦争と呼ばれる戦争を引き起こし、この戦争は1783年まで続きました。

多くの歴史家は、このアメリカ革命は、西洋文明史の中で最も意義ある革命であると論じてきました。

もちろん、それが意義ある革命であったことを否定するつもりはありませんが、それよりも意義ある革命があったと個人的にそう考えております。

その革命とは、独立宣言の5年後に、一人の哲学者とKritik der reinen Vernunft(純粋理性批判)というタイトルの一冊の本とともにドイツで起きました。

まだ無名だった哲学者インマヌエル・カントは、指導者の一人であるスコットランド出身のデヴィッド・ヒュームによって、この本を書くように促されました。

デヴィッド・ヒュームは、当時科学者の間で一大運動となっていた経験主義という哲学を追及していた。

それは、急進的な懐疑論の結果として登場してきた哲学でした。

デヴィッド・ヒュームは、最も基本的な思考法の一つである因果律を否定した。

因果律は、科学的企業体全体にとっては基本中の基本。

ヒュームの著作をしっかりと読み込んでみると、彼は因果律を否定したのではないことが分かります。

彼が否定したのは、因果律を理解する私たちの能力だったのです。

雨が降れば芝が濡れるので、私たちは芝が濡れたのは雨が降ったからだとすぐに判断します。

それは十分に証明できない仮説ではないかとヒュームは考えたのです。

そして、彼は言いました、「正確に事実を感じ取る知覚能力に対する懐疑が制されるのであれば、それは科学の死を招くことになるだろう」と。

そのために、ヒュームは経験主義を墓場送りにしたと揶揄されたのでした。

インマヌエル・カントは、ヒュームの懐疑論によって教理上のうたた寝状態から覚醒させられたのであります。

つまり、カントは、感覚の信頼性が科学的研究の信頼性に匹敵するかのように復活するであろう哲学を生みだす責務について語ったのでした。