みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#64 終末預言 by R.C. Sproul

2022年03月15日 | 終末預言 
Defending the Faith

配信第1回:31分36秒から34分02秒まで

◇◇

私には前の存在(前世)があったというブライディ・マーフィーもシェアリー・マクレーンも信じていません。

そうだとしても、私には前世の認識が全くないし、その記憶もない。

前世があろうとなかろうと大した違いではありません。

何故なら、その2つの間には関連性はないからです。

私は、1945年にシカゴの通りで立っていたあの少年との関係を説明できます。

しかし、1937年の無(非存在)との関係を説明することはできない。

私は存在しなかった。

私は有限だということを知って、私は神ではないと知ったのです。

ここまで私が確信できたことが2つだけあり、私は存在するということと、私は神ではないということです。

では、私たちはそこから神へとどのようにして到達するのでしょうか。

オーガスチンは、次のようなパターンとステップを追及した。

もし自分が存在するなら、自分の存在を説明しうる可能性は3つしかないと彼は考えた。

17世紀にデカルトが目指していた所と全く同じ場所だった。

もし私が存在するとしたら、私は永遠なる存在、私は自己創造された存在、私は永遠なる何か或いは誰かによって創造された最終的な存在、のいずれか。

選択肢はこの3つ。

私は永遠、私は自己創造された、永遠なる何か或いは誰かによって創造された、のいずれか。

選択肢はこの3つしかないとオーガスチンは言いました。

私は、40年もの間、ありとあらゆる弁証論集会の場において、このことを語り続けてきました。

そして、第4のカテゴリーがあるなら、是非提案するように挑んできました。

あらゆる試みがなされましたが、第4のカテゴリーの出現は今のところありません。

「さて、私は・・を信じる。私は自己創造は信じないが、自然発生は信じる」という人々がいます。

「ちょっと、待ってくれよ」と私は答える。

「自然発生というのは、自己創造のことですよ」と言い、彼らが満足するまで説明もします。

すると、彼らは「その3つのどれも信じていません」と言い返してきます。