みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#66 終末預言 by R.C. Sproul

2022年03月19日 | 終末預言 
Defending the Faith

配信第1回:36分28秒から39分15秒まで

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いよいよ、佳境のど真ん中に突入。

ここからが本番。

聖書のことばがそのまま信頼に価するのと同様に、神の存在証明もことばのみによる。

霊的領域の事々において、世俗の科学は無力であるばかりか、むしろ害毒。

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自己創造という考えは、これら3つの中で消去することが最も容易な考えであります。

そして、まずは消去される必要がある、その理由ですが、分析によってその考えが誤りであるということ、つまり定義において誤謬であるということです。

それが誤りである理由は、それ自体の重さによって自滅しているからです。

このことは何度も説明しており、すでに考え尽くしておられると思います。

理解するために哲学者になる必要はありません。

自己創造されるために必要とされる何かがあり、それはそうなる前に存在しなければなりません。

それが存在する前に、それはすでに存在している。

同時に、かつ同じ関連において、それは存在しており、かつ存在していない。

これは無矛盾性の法に違反する。

極めて不合理、馬鹿げている。

実に笑止千万なのだが、いろいろな種類の博士号を取得、あるいは極めて価値ある業績を達成した人たちが、いつもこの手の考え方に拘束されています。

私たちはもはや自然発生学説を信じないと言った西海岸出身のノーベル賞受賞者についてお話ししておきたい。

わたしたちは、何かが無から発生することはないことを知っている。

もしそこにあるのが無であれば、その無から何も得ることはできない。

弁明するがよい。

言いくるめて見るがよい。

はぐらかすことはできても、そうなることはない。

何故なら、無からは無が生じるだけ。

そのノーベル賞受賞者は、「自然発生はもはや信じることはできない。しかし、段階的な自然発生はあり得る」と言いました。

嘘を付いたら止めて下さい(笑い)。

実に深刻な戯言と言わざるを得ない。

段階的な自然発生・・。

すぐには無から何かを得ることはない。

忍耐が必要(笑い)。

待てば、海路の日和あり(笑い)。

これがノーベル賞を受賞した物理学者が残したコメントです(笑い)。

何故なら、啓蒙運動の只中において、つまり古典的統合の崩壊の只中において、Aufklärung(啓蒙思想)が宣言されました。

啓蒙思想の原則とはこうです。

宇宙の起源或いは人類の起源を説明するために、神を前提とする必要はないというもの。

いまや私たちは、宇宙は自然発生、自己創造、つまり無から生まれた何か、により誕生したということを知っている。

帽子もない、うさぎもない、マジシャンもなしで、帽子からウサギが誕生したのです。

十分な根拠もなく、正当な理由もなく、無から誕生したのです。