みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#69 終末預言 by R.C. Sproul

2022年03月22日 | 終末預言 
Defending the Faith

43分14秒から47分14秒まで

◇◇

達観的確信をもって、私はそれを知っています。

それが真実であることを私は知っているだけではなく、あなたもそれが真実であることを知っていることを私は知っています。

月曜日、火曜日、水曜日にそれが真実であることを知っているだけではなく、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日にもそれが真実であることを知っています。

私が長老派であろうと、バプテストであろうと、メソジストであろうと、それが真実であることを知っています。

4+3は7であるのと全く同じ。

それは全宇宙的真理であります。

すべてに優先される真理であります。

それは、それ以上分析の必要がない真理であります。

それは、定義上真理なのです。

それが真理でないことはあり得ない。

それと相対する事象の不可能性の尺度から判断しても、それは真理。

この種の真理を凌駕する確信は存在しません。

私たちの心に埋め込まれているのは、自己単立の存在であり永遠なる神に関する真理であります。

この真理は何処から来るのでありましょうか。

神ご自身から来るのです。

デカルトは、我々が真理について考えることができるのは唯一神によると言いました。

神はご自身の啓示を私たちの心の中に焼き付けるのです。

さて、啓示については、キリスト教信仰の中で話しているが、一般啓示と特別啓示の違いを理解しておきたい。

特別啓示とは、聖書から得られる啓示のことであり、聖書を通して、救いの順、イエスの人格と御業、そして私たちが如何にして救われるのかを知ることができます。

一般啓示とは、全世界に対して、あらゆる人に対して、神が与えて下さる啓示であります。

聞く人すべてという意味において一般的ということです。

その内容という意味において一般的ということ。

一般啓示は主の十字架について教えません。

昇天について教えません。

一般啓示が教えるのは、神ご自身が全世界に明らかにする神の天性とご性質、神の永遠の御力と神性であります。

一般啓示には2種類あり、この違いは重要です。

最初は、間接的(mediate)一般啓示と呼ばれる啓示であります。

2つ目は、直接的(immediate)一般啓示。

間接的とか直接的とか言っておりますが、ここでは時間について言っているのではありません、やや関係はありますが。

私が小さかった頃のこと、私が砂場で遊んでいると、夕食の時間となった。家の裏にある窓のところにやって来て、私を呼び、「子、家に入りなさい」と声をかけた。砂の中にミニカーやいろんなものを埋めて遊んでいて、おもちゃに心が奪われて、しばらく家に入るのが遅れてしまった。次いで、母は腰に両手を立てて、「ハイ、今すぐ家の中に入りなさい」と言った。母の言うことは理解できた。彼女の言いたいことは、「遅れちゃダメでしょ。今すぐ、家の中に入ることになっているのよ。」それで、私はそうしたのです。

直ちに(immediate)と言いましたが、一般啓示の場合にはそういう意味ではありません。

間接的一般啓示とは、ある仲介を通して神がご自身を明らかにするという啓示であります。

例えば、新聞を通して、ラジオを通して、テレビを通してなど、しかしテレビやラジオや新聞よりもはるかに広範囲にわたるものを通してであります。

神がご自身の存在を放映するために使う手段は、すべての自然であります。

使徒パウロはローマ書1章で私たちに教えてくれています、「神の見えない事々、永遠の御力と存在は、創られし事々を通して知られる。」

山々を見てはいるが、直ちに、あるいは直接的に神を見ることはない。

その山を見ることによって、その山の造り主の刻印を見るのです。

天は神の栄光を宣言します。