みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#61 終末預言 by R.C. Sproul

2022年03月10日 | 終末預言 
Defending the Faith

配信第1回:21分05秒から23分38秒まで

◇◇

さて、ここでオーガスチンは、達観的確信のレベルに到達するということを言っているのです。

経験的現実において、そのようなレベルに到達することは不可能であります。

ところで、知覚を通して、私は外界と接続できます。

私には心(mind)があり、思考を働かせたり、見て、聞いて、観察して情報を得ます。

しかし、確実性を得るための場所は知覚にあるのではなく、心にあるのです。

心にです。

では、心とは何でしょうか。

かつて、心と脳を明確に区別する教授がいました。

心と脳との間には密接な連結があることは知っていますが、それらは同一ではないし、同じであるはずがないことも知っています。

脳は心ではないし、心は脳ではありません。

その教授は、心と物質との違いを区別することにより、このことを説明しておりました。

その教授は「心とは何か」と自問し、「物質ではない」と答えておられました。

「では、物質とは何か」彼は言った。

彼の答えは「Never mind(気にするな、心ではないという意のジョーク)。」

この違いを理解することは重要です。

これはキリスト教信仰にとって極めて重要であります。

何故なら、私が死ぬ時、といっても、私は死ぬつもりはないが、神はそうするおつもりなのかもしれないが、私はいやです。

今朝お話をしましたが、この国の墓地は重要人物たちで満ちています。

あなたのための土地、そして私のための土地が準備されています。

しかし、死んだら、私はこの骨の入れ物を後に残すつもりですが、生きることを止めるつもりはありません。

肉体が死んだ瞬間に、私の心は私の脳との連結が解かれますが、私の心は生き続け、健康を維持し続けます。

そして、私は、この世界と来たるべき世界との間に連続して存在する体を持つことになるのです。

クリスチャン信仰のまさにど真ん中に位置する真理であります。