Defending the Faith
配信第1回:34分01秒から36分28秒まで
◇◇
分かりやすい解説:
内容が難しくなってきているように見えるが、決して難しくはない。
「私たちは限定的原因の無限連続の結果としてここにいる」とラッセルが主張する理由は、言うまでもなく、彼が無神論者であり、神の存在を徹底的に否定したいからだ。
この主張は以下にあるように、四角い円を描くことができると主張するに等しい。
自己創造ということばも分かりにくいが、先のメッセにもあったように、自己創造を自然発生と考えれば簡単に理解できる。ある日突然ウジ虫がどこかに湧くのと全く同じように、我々もある日ある所に突然発生するということ、またはそういう無神論的考え。
われら伝統的改革派の先輩たちは、無神論者、反聖書学者、反キリスト教徒らと最前線で闘い続けている。あらゆる試みに敢然と立ち向かった主イエスの姿を垣間見る。頼もしい限りだ。
荒れ野をさまようこと30年、無駄な時間と労力、そして無駄な金を沢山使った。しかしながら、ここにきて、神の光に照らされ、進んでゆくべき方向が明瞭に示されている。神に大いに感謝する。
ハレルヤ!
◇◇
「私たちは限定的原因の無限連続の結果としてここにいると私は考えている。」
これは、フレデリック・コプルストンとの公開討論の場でバートランド・ラッセルが用いた主張です。
フレデリック・コプルストンはラッセルに次のように言いました。
「限定的原因の無限連続とは、考えられない、理解不能、馬鹿げた考えだ。」
すると、バートランド・ラッセルは次のように言い返した。
「まあ、私だからこそその考えを思い描くことができるのだ。」
さて、そんなことを聞いて、あなたは何と言うでしょうか。
コプルストンが答えた。
「あなたがその考えを思い描くことができると言うことと、他の人々がその考えを思い描くことができるということは別の話しです。」
四角い円を思い描くことができると誰かが私に言ったとすれば、その人は思い違いをしているということになります。
明確な方法で、その人はそのことを説明することはできません。
何故なら、四角い円というのは、表現上矛盾しているからです。
限定的原因の無限連続とは、無限に拡大する自己創造という問題になります。
それは、知識人によるステロイド剤乱用問題と同じことであります。
ステロイド剤を叩くつもりは毛頭ありません。
この2週間というもの、この薬のおかげで、私はなんとかこの命をつなぎとめています。
この薬を承認することに何ら問題はありません(笑い)。
私の名はベリー・ボンドではない(笑い)。
私はここに来る前にステロイドを飲んだので、今こうしていられるのです。
さて、オーガスチンは、全事象をこれら3つの可能性へと整理してくれました。
これら3つのうちの2つは・・。スティーブ、ここにジャンプして、眼鏡を掴んでくれないか。
彼は私のキャディーです。
きれいに拭いてくれるかい(笑い)。
さて、これら3つの可能性というのは・・。
これら3つのうち2つは永遠、永遠のような何かと関係があります。
そして、残りのひとつは自己創造という考え方そのものであります。
3つの選択肢のうち、2つは自己創造に関するものと私は言いたい。
それが、恐らく99%の無神論者が主張する考え、つまり神の存在を否定する考えなのです。
無神論者を引っ掻いて見ればわかるが、ある意味で、彼らは自己創造の代弁者です。
配信第1回:34分01秒から36分28秒まで
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分かりやすい解説:
内容が難しくなってきているように見えるが、決して難しくはない。
「私たちは限定的原因の無限連続の結果としてここにいる」とラッセルが主張する理由は、言うまでもなく、彼が無神論者であり、神の存在を徹底的に否定したいからだ。
この主張は以下にあるように、四角い円を描くことができると主張するに等しい。
自己創造ということばも分かりにくいが、先のメッセにもあったように、自己創造を自然発生と考えれば簡単に理解できる。ある日突然ウジ虫がどこかに湧くのと全く同じように、我々もある日ある所に突然発生するということ、またはそういう無神論的考え。
われら伝統的改革派の先輩たちは、無神論者、反聖書学者、反キリスト教徒らと最前線で闘い続けている。あらゆる試みに敢然と立ち向かった主イエスの姿を垣間見る。頼もしい限りだ。
荒れ野をさまようこと30年、無駄な時間と労力、そして無駄な金を沢山使った。しかしながら、ここにきて、神の光に照らされ、進んでゆくべき方向が明瞭に示されている。神に大いに感謝する。
ハレルヤ!
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「私たちは限定的原因の無限連続の結果としてここにいると私は考えている。」
これは、フレデリック・コプルストンとの公開討論の場でバートランド・ラッセルが用いた主張です。
フレデリック・コプルストンはラッセルに次のように言いました。
「限定的原因の無限連続とは、考えられない、理解不能、馬鹿げた考えだ。」
すると、バートランド・ラッセルは次のように言い返した。
「まあ、私だからこそその考えを思い描くことができるのだ。」
さて、そんなことを聞いて、あなたは何と言うでしょうか。
コプルストンが答えた。
「あなたがその考えを思い描くことができると言うことと、他の人々がその考えを思い描くことができるということは別の話しです。」
四角い円を思い描くことができると誰かが私に言ったとすれば、その人は思い違いをしているということになります。
明確な方法で、その人はそのことを説明することはできません。
何故なら、四角い円というのは、表現上矛盾しているからです。
限定的原因の無限連続とは、無限に拡大する自己創造という問題になります。
それは、知識人によるステロイド剤乱用問題と同じことであります。
ステロイド剤を叩くつもりは毛頭ありません。
この2週間というもの、この薬のおかげで、私はなんとかこの命をつなぎとめています。
この薬を承認することに何ら問題はありません(笑い)。
私の名はベリー・ボンドではない(笑い)。
私はここに来る前にステロイドを飲んだので、今こうしていられるのです。
さて、オーガスチンは、全事象をこれら3つの可能性へと整理してくれました。
これら3つのうちの2つは・・。スティーブ、ここにジャンプして、眼鏡を掴んでくれないか。
彼は私のキャディーです。
きれいに拭いてくれるかい(笑い)。
さて、これら3つの可能性というのは・・。
これら3つのうち2つは永遠、永遠のような何かと関係があります。
そして、残りのひとつは自己創造という考え方そのものであります。
3つの選択肢のうち、2つは自己創造に関するものと私は言いたい。
それが、恐らく99%の無神論者が主張する考え、つまり神の存在を否定する考えなのです。
無神論者を引っ掻いて見ればわかるが、ある意味で、彼らは自己創造の代弁者です。