書道家Syuunの忘れ物

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新聞社説に見る山口県光市母子殺害死刑判決

2008-04-23 17:51:02 | マスコミ照魔鏡

新聞社説に見る山口県光市母子殺害死刑判決

新聞各社の社説では、大筋では妥当という説が多かったが当然の如く朝日と毎日だけはなぜか「放送倫理検証委員会」の事を持ち出している。
まず見出しと最初に一文は、
産経・主張
「母子殺害死刑 常識に沿う妥当な判決だ」
…少年といえども凶悪で残酷な事件を起こせば、厳罰でのぞむという裁判所の強い姿勢がうかがえた。社会の常識に沿った、極めて妥当な判決と受け止めたい。
読売社説(4月23日付)
「母子殺害死刑 年齢より罪責を重く見た」
‥‥犯行の残虐性や社会的な影響を考えれば、極刑以外にはあり得なかったということだろう。
日経社説
「国民の感覚を映した死刑判決(4/23) 」
‥無期懲役では刑が「甚だしく不当に」軽いとして最高裁が審理のやり直しを命じた光市母子殺害事件で、広島高裁は死刑判決を言い渡した。
朝日社説
「母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら」
‥勤め先から帰宅した本村洋さんは、押し入れの中で変わり‥‥‥
毎日社説
「社説:母子殺害死刑判決 厳罰化の流れが強まるが」
‥山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は当時少年の被告に求刑通り死刑を言い渡した。最高裁が「量刑は不当で、著しく正義に反する」と、無期懲役の原判決を破棄して審理のやり直しを命じていた。

こんなところであるが、「産経」、「読売」は書き出しで妥当と書き、日経は題で妥当というイメージを示した。
しかし、朝日、毎日の社説はその点はっきりしない。
ここで、日経新聞は「昨年報告書が出た、司法研修所による『量刑に関する国民と裁判官の意識についての研究』に次のようなアンケート結果があった。」として、裁判官よりも一般国民の方が厳罰主義を求め、
「光市事件のような未成年者が犯した殺人では裁判官と一般国民の考える『適正な処罰』に相当大きな差がある、と推測できる調査結果だ。」と国民世論に沿った判決としている。

一方、毎日新聞では「遺族は法廷の内外で、事件への憤り、無念さ、被害者・遺族の思いが直接、伝わらない理不尽さを訴えてきた。被害感情を和らげるためにも、国が総合的な視点に立った被害者対策を進めるのは当然だ。」と犯罪被害者に対する国民世論に理解を示すも‥‥
「差し戻し裁判を扱ったテレビ番組について、NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会が『一方的で、感情的に制作された。公平性、正確性を欠く』とする意見書を出した。真実を発見する法廷が報復の場になってはならない。バランスのとれた冷静な報道こそが国民の利益につながる。メディアは自戒が求められている。」
‥‥と全く別のことを言っている。
マスコミが取り上げたのは、差し戻し裁判での弁論の異常さであり、又、今後行われる裁判員制度と犯罪被害者への人権派弁護士達の攻撃だ。
しかも、被告弁護士は、「死刑廃止運動の中心的存在として知られる安田弁護士は、オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(53)の主任弁護人(毎日新聞)」という立場であれば、報道されるというのは当然だろう。
そして、国民としてはその異常さに再び慄然とする。
朝日新聞も毎日新聞と同じように、過去の「死刑判決を事例に出して殺したのは4人だったが、今回は2人だった」と妙な屁理屈を述べている。
そして、「今回の事件が注目されたのは、本村さんが積極的にメディアに出て、遺族の立場を主張したことである。少年に死刑を求める、と繰り返した。 」と非難し、「見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。」と世論を批判している。
実は、この主張とほぼ同じだったのが、文化放送「寺島尚正 ラジオパンチ!」水曜日コメンテーターの社民党党首・弁護士の福島瑞穂氏の意見だった。
「裁判での死刑はギリギリの選択で、感情のままになる‥‥」「‥(世論)に流されやしないか‥‥」とが何やら分からないことを言っていた。
要するに、福島氏も人権と言っていながら、犯罪被害者には冷淡なのだと言うことだろう。そして、犯罪被害者にとってはやはり理性では制御しきれない「感情」と言うものがあるのが常識であり、それを非難するというのは間違いだ。

今回の裁判では、従来の職業裁判官による裁判では量刑の甘かった殺人に関して、世論が反発していたことだ。
「名古屋高裁・空自イラク派遣、憲法9条違反判決」を出すような国民の意識とは全く違う左派の裁判官がいる現状では、国民は裁判というものを信用できないものと受け止めつつある現実がある。
先の福島瑞穂氏はその判決の主文とは全く関係ない「違憲」の部分が「嬉しかった。」と発言した。
しかも、その主文と関係ない蛇足の部分を「耳を澄ませて聞くべき」と言うあたり、裁判というものが国民から見て信用できないものと助長される恐れがある。

朝日新聞では「1年後に裁判員制度が始まる。市民がこうした死刑か無期懲役か難しい判断も迫られる。事件は千差万別で、最高裁の判断基準を当てはめれば、機械的に結論が出るわけではない。
自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。」
と裁判員になる国民を脅迫するのは遺憾だ。
不思議なことに毎日も判を押したように同じ事を述べている。
「来年5月に裁判員制度が始まる。市民が感情に流されない環境作りが急務だ。死刑か無期かの判断を迫られる以上、市民は裁判員になったつもりで今回の事件を考えてみる必要があるのではないか。」
読売も似たようなこと「来年5月から裁判員制度が実施される。量刑判断に不安を抱く人は多い。極刑ともなれば、心理的負担は大変なものだろう。」と書いている。
しかし、裁判員制度は第一審だと言うことを誰も言っていない。
最近の、職業裁判官のいい加減な第一審裁判を見れば、裁判員制度の方がまだましと言うことも言えないだろうか。
その上、重大事件が一審で終わらないのは、この事件を見れば明らかだ。


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