読売新聞が「尖閣問題隠し」に奔走し、日本国内で盛り上がった政府批判などを報道しなかった中、代わりに何を持ってきたのかといえば「群馬県桐生市・小6女児自殺」である。朝の番組「スッキリ!!」など、尖閣問題に関する報道を突然中止して以来同じく連日「小6女児自殺」問題ばかり。
それではその報道で何の問題点を指摘して何を見つけ出したのか、又は提言したのかと言うことは一切ない。追及するのは「学校側が苛めを認めるか否か」、そして家族構成やら母親が外国人だったこと、父親の学校へ全面的に責任転嫁する姿勢など。
最終的に、連日のTV放送と読売新聞全国版による追及で学校、教育委員会は苛めがあった認定するに至る。この間他にも中学生で自殺事件があったように思うが一切報道されない。
この「群馬県桐生市・小6女児自殺」事件というのは、従来からの苛め自殺事件との関連性から見て特に重要視したり、全国的な特殊な大問題として取り上げるべきものなのかは疑問である。
それを国の一大事の様に大げさに取り上げるというのは、「尖閣衝突映像流出」事件のエスケープゴートにされたと言うことにつきる。
そして、今「尖閣衝突映像流出」事件が一段落し、国民の反応が確定。
尖閣問題に関して外務省抜きの民主党政府の中国との密約が漏れてくる状況下、あれだけ報道された「小6女児自殺事件」の顛末などは地方版以外知らぬふりである。
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実は、この件に関して地元紙「上毛新聞11月22日社会面」に詳しくその顛末が書かれている。
端的に言えば、女児の在籍していた学級崩壊から端を発し、「数人の児童が担任ではない教諭に『授業にならないことがある』と相談したこともあった。(9月)」ある。
事実として、経過には「8月27日校長、教頭、生徒指導主任らが学級を指導」ものがある。
こういう荒れた学級、しかも夏休み前の7月には手の施しようがなくなりつつある状況下での「苛め」自殺であったと言うことである。
こういう中でその渦中にいる子供達はどうするかと言えば、先生は頼りにならず自己を守るしかない状況に達した筈である。
そんな中で、感受性の強い女児が自分を守れなかったという単純な見方なのだが、誰でもそう簡単に自殺などするものではない。
昔から、自殺する原因というのは2つ以上の原因によって、八方ふさがりになることだと聞かされる。
しかし、幼稚園の時に登園拒否をしていた身から見ると、どこかに手助けをしてくれる強い見方がいれば強くいられるということである。
本来なら身を挺しても子供を守ってくれる母親が逆に身を守る存在であり、父親も頼りにならない存在とすれば、かっての友人であった女児に頼るということしかなかったということであろう。但しそれは叶わなかった。
新聞の見出しには「いじめ判断難しく」とあって、「暴力があった場合は指導しやすいが、友人関係が壊れていくような『いじめ』は判断が難しい」(桐生市内の校長の一人)とある。逆に言えば、友人関係が壊れても平気な子供もいればそうでない子供もいる。
現実問題として、戦後のベビーブーマーの頃は寄り酷い状況で、一人でもなんとしても生きて行けなければという部分があった。
それから50年、時代は変わり子供は絶えず失敗を糧にして成長するということはなくなった。親は、子供が「怪我」をしないように常に先回りして「道や、やり方を示し」、結果として小さな失敗が大きな失敗に繋がる。
そして、そんなことまで考えさせる報道姿勢ではなかったというのは、日テレの朝の番組「スッキリ!!」を見ていてもよく分かるものであった。