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書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

コラム 「岡村仁美の日々計算外」のナイーブ度

2011-04-22 22:20:44 | 雑感・どうでも良いこと

コラム 「岡村仁美の日々計算外」のナイーブ度

讀賣新聞社東京版夕刊に・コラム 「岡村仁美の日々計算外と言うのが毎月第一金曜日に掲載される。
書いているのは、岡村仁美というTBSアナウンサー。

このコラムは何時もたわいもなくて、ほとんど気に留める内容もない随筆なのだが、
2011/04/22の記事の題は「韓国人の思いに触れる」というものだった。
話の内容は、東日本大震災直後の3月14日日本を離れて韓国へ「教育関係の取材」に行ったと言う話。韓国に滞在したのは5日間と言うことで、皮肉なことを言えば東京での放射能汚染で一番心配された時期に日本にいなかったという幸運な人物である。
そんなことでも書いてあるのかと言えば、全く無い。


教育で取材というのだから、今韓国で問題になっている最高学府の学生の自殺問題。そんなことさえさらさら書いていない。
書いてあるのは、韓国人が東日本大震災を心配して義援金を集めた。
「寄付額は、これまでの災害被害への寄付額の中で最高になったと言うことです。」と言うこと。
この記事が書かれているのが何時なのかは明らかでない。
「2週間で15億6千万円 韓国赤十字、募金が最高額」と言う記事は、3月28日の記事。
しかし、4月6日の記事では「韓国の郡で、募金活動を中止 教科書『竹島』明記で抗議」となっており、4月18日の記事では「韓国、義援金42億円超も『竹島』教科書問題後は減少」なのである。
それどころか「ソウル・衿川区の職員達は、募金のうち20%を日本へ送り、70%を独島守護活動団体に、10%をなぜか戦争性被害者(元従軍慰安婦)の団体に寄付することを発表した。」(週刊ポスト)
そう言う様な感じで、実際に日本にどれだけ義援金が送られてきたのかは実は不明である。事実として知られているのは、「スマトラ沖地震義援金」の場合義援金額を提示したが、10分の一に値切るだけでなく、実際支払われたかどうか分からないとも言う。
この岡村仁美(アナ)女史は、
「心を痛めているのは日本にいるわたしたちだけではない。そのことを伝えるのも、私の小さな役割なのではないかと、今は考えるようにしています。」と最後を結ぶ。
この文章は何か違和感がある。
さらりと読むとそんなことは感じないかも知れない。
そして、東日本大震災の前なら何も感じなかったかも知れない。
しかし、今叫ばれているのは、「頑張れ日本」(中国では「加油日本」)、頑張れ日本人とTVでもラジオでもキャンペーンを張っている。
ここに来て、逃げいてしまった外国人に対して、止まることしか出来ない「日本人」に対して踏みとどまって頑張ろうなのである。
だから、日本人は一団となって、団結して乗り切ろうと言う雰囲気が無理にでも強調されている。

ところが、この文章では「日本人」とは書かず「日本にいるわたしたち」なのである。
「韓国(の)人」と書かれている以上、対比するのは日本人と書くべきなのだが、多分そういう感覚がないとしか思えない。
よくよく見ると、日本という「祖国・日本に対する思い」というものはあまり感じない。
それで書き換えてみよう。
「心を痛めているのは日本人だけではない。そのことを伝えるのも、私の小さな役割なのではないかと、今は考えるようにしています。」
こうしてみるとなぜか普通に感じるというのは、大震災から価値観が変わってしまったからなのである。

そして22日現在において考えれば、日本が大震災で政府は機能不全に陥り、自衛隊のほとんどが出払っているとき、韓国人は日本人の様に単に同情するという様なことはしていない。
3月30日の記事では「韓国、竹島不法占拠を強化へ」というものがあって
大規模改修されるヘリポートは、これまでの2.5倍に相当する重量25トンの軍用輸送ヘリが離着陸可能で、24時間運用が可能になる。」
「竹島の北西1キロ地点に、周辺の海流や海水温度などを観測するための『独島総合海洋科学基地』の建設を促進。同基地は今月2日に入札公告が行われ、来月13日に入札、5月に着工とのスケジュールが公表されていたが、『実効支配強化のため』として前倒しされる見通し。このほか、竹島の東島と西島を結ぶ防波堤も着工する計画で、大規模なインフラ整備が竹島で進められることになる
。」

韓国人の思いに触れる」というコラムは、いわゆる現実を知らずに韓国礼賛という妙な意識が見え隠れする。
多分この人物も民主党の面々と菅首相同様に、国家感が薄いのだろうことは軽い文面からにじみ出る気がしてならない。


書家が文字を書かない「口パク」パフォーマンスとは何??

2011-03-25 00:17:21 | 雑感・どうでも良いこと

書家が文字を書かない「口パク」パフォーマンスとは何??

歌手のスタジオでの「口パク」‥‥(CDを流して歌わない)というのは、視聴者からは良く確認出来ないことが多い。ここで明らかに口パクだと分かったら興ざめしてしまうと言うのが本当だろう。
実際のところは、歌ってはいるがその声をミキサーが落としてCDの声を被せていると言う事が多い様だ。
そう言う口パクと同様なことを他の分野でやったら実に妙な事になる。
事実、昔やっていた「料理の達人」という番組はある意味「やらせ」と言う部分があって、番組最終の頃に店のオーナーが「止めてくれ」と言ったという話を聞いたことがある。
それはそれで楽しめたから良いとして、そんなことを「書」ということでやったら実に妙なものである。
その「書」の口パクというのは、「口パク」と言うとおりその場で書いた振りをしてその文字を見せると言うことである。
そして、今回は「あぶり出し」の様な、そうでもない様なものであったから実に奇異だった。そのパフォーマーとは「AU現代芸術国際展」などに出品して又、手島右卿賞をも貰ったあの大書家のS女史である。
ちなみに、「AU現代芸術国際展」他の実態は「ググッ」ても分からなかった。

初めて見る日テレの「DON!」、「二大アーティスト・夢のコラボ」と言うのだからと番組を見てしまった。
このS女史は、横顔の写真しか出さないので良く分からなかったのだが、白い幕(紙だか布だか不明・取りあえず「紙」とする。)の前に立つ観音様の様な人物がS女史だった。


それでおもむろに筆を持って書くポーズを取るのだが、筆には水すら付いていない。
何も付いていないのだから、白い紙に何の跡も残らない。

それ以前に、TV画面からは「白い紙」に何か書いてあることがはっきりと分かる。
多分、スタジオではもっと良く分かったかも知れない。

その文字をなぞる様な仕草で書き終わると、裏に回って黒い墨の様なもので色づけする。そうすると、白い文字か浮かび上がってくると言う次第である。

その白い文字というのは、何を使って書いてあるのかは確認出来ない。
余りにはっきり浮かびだしている感じからするとポスターカラーか、油性の何か、かもしれない。
そう言う後から地の色をつけるというのは、我々として考えられるのは蝋書である。
しかし、そんな分野にはそれを専門にする人達もいるから、そんな付け焼き刃で成立する訳がない。只、訓練すればスタジオで書くと言うのは出来ないことではない。

但し、やってみると分かる様に蝋は直ぐに固まるので結構難しいことは事実である。
こういう活字的な文字を書くパフォーマンスを得意とする世界的書家T氏なら、科学的知識もあるので結構可能かも知れない。
ここで余り知恵をつけてしまうとあらぬ事をやらかしてしまうので控える。
何と言ってもワープロソフト「一太郎・創」のロゴをソフトを立ち上げる度に毎日見させられる身となってみれば、弘法大師の飛白体も理解していないのがまざまざと見せつけられ心苦しいものがある。


三陸沖、茨城沖2011年3月11日の大地震

2011-03-11 18:58:17 | 雑感・どうでも良いこと
三陸沖、茨城沖2011年3月11日の大地震

今日の地震は、今までに無く大揺れだった。
初期微動が長くこれは結構遠いなと思ったものの、その初期微動も結構大きく、その後かなり長く感じた大きな揺れが来た。
場所は、前橋市の中心の小規模商業ビルの中。
1階では、棚の上のあった不安定なものがゾロゾロと崩れ落ちてきたというものの、東西方向の揺れが大きかった。建物は、数年前の新耐震設計の建物だったのだが、元々の設計思想がある程度揺れて、建物全体で地震力を吸収するようになっている柔構造(実は剛構造)。
こんなものだから揺れるというのは分かりきっていたが、普通の地震でも下階(1階)では不安定なものでさえ何一つずれることがない。
それが今回下階でこれだけ揺れたから、上階ではどうなのかと思って2階へ上がったら棚の上の空き箱が散乱していた。
空き箱だから大したことはないし、多少壊れたものがあってもガラクタだったからどうということはない状態。
3階の会議室(ホール)に上がってみると、消化器が倒れているくらいしか目につかない。
しかし、よく見たら東の壁に掛かっていた電波時計が落ちていた。時間午後2時48分。
書棚の本が多少散乱しているくらいなもので、その他は大きな影響はなさそうであった。前橋市の震度をみると結構ばらつきがある。
強い方から
震度6弱~
群馬県南部 桐生市 桐生市元宿町
震度5強~
群馬県北部 沼田市 前橋市 高崎市 渋川市 群馬明和町 群馬千代田町 大泉町邑楽町 沼田市白沢町 前橋市富士見町 高崎市高松町 桐生市新里町 渋川市赤城町 群馬明和町新里 群馬千代田町赤岩 大泉町日の出 邑楽町中野
震度5弱~
中之条町 伊勢崎市 太田市 館林市 安中市 吉岡町 板倉町みどり市 沼田市西倉内町 沼田市下久屋町 沼田市利根町 中之条町小雨 前橋市堀越町 前橋市粕川町 桐生市織姫町 桐生市黒保根町 伊勢崎市西久保町 伊勢崎市東町 伊勢崎市境 太田市浜町太田市粕川町 太田市新田金井町 太田市大原町 館林市美園町 館林市城町 渋川市吹屋 渋川市伊香保町 安中市安中 吉岡町下野田 板倉町板倉 みどり市笠懸町
震度4~
前橋市昭和町 前橋市大手町 高崎市倉渕町 高崎市箕郷町 高崎市足門町 高崎市下室田 高崎市吉井町吉井川 太田市西本町 渋川市八木原 渋川市北橘町 渋川市村 以下多いので略
震度3~
以下略。 
前橋市で見ると、震度5強なのだが、「前橋市大手町」で震度4。これは多分県庁の地震計かもしれない。
群馬県庁というのは、最新の高層ビルだからそんなものだろうと言うものだ。
「前橋市昭和町」‥‥これは群大病院当たりか?前橋気象台(群馬県前橋市昭和町3-20-12)
すると前橋市 震度5強というのはどこなのか分からないと言うことになる。
いずれにせよ、今回は強くはないが長かった。そして、強い余震が何回もあった。
そんなことでニュースを見たら、とんでもないことになっていた。
ついこの前NZ地震の話で持ちきりだったが、今度は北半球で関東大震災をしのぐ大きな地震が起きた。
何か南半球と北半球で連動しているのかと思わせるものだった。
それにしても一部電話が通じなかったようだった。

亡医師のお通夜と甘い物(通販)のお話。

2011-02-26 01:09:03 | 雑感・どうでも良いこと

亡医師のお通夜と甘い物(通販)のお話。

今日(2011/02/25)は、昔お世話になったお医者さん(K医師)のお通夜だった。享年89歳。
こういう高齢の老人が亡くなると最近では参列者が多くないことが多い。特に、最近では隣近所でも通夜、葬儀にも出ないという人が多くなった。
特に仕事を持っていなかった女性だと、親戚の他に本当に数人と言うことさえある。
このK先生は医者の跡継ぎがいなくて医院は閉鎖した一方で、家族が調剤薬局をしている。その関係のあってそれなりの人が集まった。
昔お世話になったとはいうものの、一番お世話になったのは亡父の方である。
父は、いつどこかで占ってもらったのかは分からないが「50歳で死ぬ」と言っていた。その50歳を前にして吐血などをしたりして死期が迫ったと思ったらしい。それが胃潰瘍が見つかって手術をして九死に一生を得た。
その後占ってもらったら「長生きすると」出たという。
これもどこで占ってもらったかは言わなかった。
父は戦争を経験した世代で、徴兵されて集まった召集兵の新兵の内で、戦後まで生き残ったわずか3人のうちの1人だったと言うから命強かった。
その際どさというのは、南方に送られる無防備な輸送船に乗って東京湾を出港したとき。
東京湾のあの岬を回ったら外洋で無線封鎖して引き返さない‥‥という岬を回り始めたところで「サイパン陥落」の通報。
それで引き返して、命拾いをした。命拾いしたというのは、東京湾を出たら米国の潜水艦が待ち構えていて間違いなく撃沈というのは常識だったからである。
次の命拾いは、軍隊勤務で広島にいて原爆投下の一週間前に横浜に転勤。それで原爆にも合わなかった。
そうして、三回目だか四回目だかの命拾いが胃潰瘍の手術だった。
ところが、その手術の時に大量の輸血をして(後に分かる)C型肝炎に感染して30年後に決められた期日が来た様に亡くなった。
その30年後にC型肝炎から来る肝臓癌を即座に見破ったのが老齢だったK医師だった。そんなもので、K医師には父と母の二回葬儀に来てもらっている。
それで今回は、貰った香典二回分を一つにまとめて香典とした。
 但し、その二回分が一般にお包みする常識的な金額だから「古い金銭感覚」であったのは間違いない。
こういう葬式というのはここのところ2件ぐらい見逃している。
その一つは以前のエントリーで書いたとおり、旅行中の新聞に載った訃報。もう一つは、同級生に道で会って知らされるまで全く知らなかったもう一件。
そんなことで、心を入れ替えて参列したという次第。
そのお通夜も久々の「神葬祭」だった。例のお線香ではなく榊をあげるもの。
近年曹洞宗などの葬儀が多くて、余りお経らしくないものに接する。神葬祭だと神様だから「○○の命」と言うわけである。
それにしても近年は、葬儀が出来る会館を持つ葬儀社で行われることが多くそれに連れて「お返し」が貧弱になった。
いずれにせよ、昔通常行われた自宅葬や通夜というのものはついぞ見なくなった。
早世した兄の告別式は大昔だから自宅葬だったが、参列者には会葬礼状と葉書が二枚ほど入った封筒を渡し、香典を持ってきた人には後から香典返しを送った様に記憶する。
それが今は、葬儀社によってパターン化して親族が「慣例として行わない」と言ったことでさえ「葬儀社」の都合でやらせる様なあくどいこともある。
そして、大昔は何やら葬儀の時は甘いお菓子の臭いか、酒饅頭の臭いがした様に思う。
なぜなら、そういう人が集まるときは必ずと言って良いほど当時の名物だった「薄皮の」酒饅頭(片原饅頭)が配られたからだ。
そう言う食い物をネットで探すと言う事になると、PC用品や家電製品と違って規格がないからこの前のグルーポンの「おせち」騒動の様に中々難しいものがある。
特に、楽天の期間限定ポイントが溜まってると「楽天」の策術に嵌って何か買おうという衝動に駆られることが多い。
食い物なら消えてしまうから何でも良いかと思うが、コメントが少ないサイトというのは要注意サイトである。
この前、お米を同じ大潟村の「あきたこまち」だからと、初めてのサイトの産直で買ったら美味しくなかったというのは大失敗だった。
このサイトは、商品レビューが3年間で5件しかないそれも半年に一件程度のもの。
新しいサイトと勘違いして少ないのかと思ったら、そうではなかったと言うのが真相だろう。そして旨くなかったから、当然自分もレビューを書かないわけである。
こういう食べ物のうち楽天広告に出でいたスイーツあたりだと逆に、落胆させられるコメントが多いことがある。
しかも概して食べ物は割高だったりするから用心である。
そんなことを言いながら、ディノスでこの夏場の1,000円割引感謝券で梅干しを大量に買い、冬の1,000円感謝券で今度は「干し芋」を買った。
届くに一週間も掛かったが、女房殿がそう言うのは「賞味期限が短いのよ」と言われてみてみたら約1ヶ月だった。
この干し芋、レビューが多くて間違いなかったが、こんな干し芋にしては結構高価。
旨いものは高いのは仕方がない。
お茶請けには最適だが。芋だから腹持ちが良くて少量にしておかないとあとがきつい。
今では、期限内に食べきるのか心配になっているダイエット中の欲張りである。

丸干し芋 5袋


節分に思う・クーポンサイトその他

2011-02-04 01:25:24 | 雑感・どうでも良いこと

節分に思う・クーポンサイトその他

2011/02/03は節分だった。だから4日からは旧暦では新年と言う事になる。
いわゆる占いの世界では、この節分を以て年の切り替わりとしているものがある。実際のところ種々の現象が現れてくるのがこの時期である。
今回の相撲協会の八百長も実に不思議なことに、節分を前にして発覚した。だから節分を過ぎると運勢が変わって、今まで順調だったことが突然ダメになり、又は良くなることなども多い。
バレンタインデーも昭和40年代初頭のこと、意味を意図的に取り違えてチョコレートの日にした。当時としては、そんなお菓子メーカーの策略に乗るかと言っていたものの20年も経つとそのまま策略に乗せられるようになった。
しかし、この時期が2月というのがミソで、年末年始まで上手くいっていたカップルも節分と共に寒い風が吹くと言うのもあり得ない事ではない。
だから、悪いことは節分までに終わらせてと言うのが本筋であろう。
ところが、今回の相撲協会の件は2月になってから発覚したから今年いっぱいは混乱が続くはずである。
一転して、周囲を見回してみると何やら静まりかえった節分と言うことにつきる。1月中旬に行った北陸などは大雪に見舞われている報道も、ここ関東は雨一つ降らないからっ風の乾燥地帯。
その上、インフルエンザ予防にと加湿器をフル稼働させておくと、思ったより寒くないから今年は快適なのである。
そして今度何か欲しいものはあるのかと考えると、消費税値上げに備えて昨年買えるものは何でも買ったから今は何もなくなってしまった。
日進月歩のデジカメでさえ、SONY(SLT-A55V・Cyber-Shot DSC-HX5V)にして、他社はまだ追いついてきていない。
パソコン廻りは、全部ロジクール(旧型を含む・3年保証)だからこれもしばらくは持ちこたえられる。強いて言えば、動画編集にもっと強力なパソコンが欲しいと言うくらい。
そして、限りなくゼロ金利政策で金が増えないと多少の金に目が眩んで、またまた強欲に引っ張られて「クーポンサイト」になどに首を突っ込むとろくなことが起きない。
先日問題になっていたグルーポン「おせち騒動」。
この顛末というかクーポンサイトの問題点が日経新聞Webに出ていた。(「ソーシャル革命」の裏側・クーポンサイト、隆盛の陰にひそむ危うさ・グルーポン「おせち騒動」は氷山の一角 )
これを見ると「クーポン共同購入サイト」の手数料というのは50%なのだそうな。
例の「おせち騒動」では、21,000円相当が50%Offで10,500円というのは、5,250円の手数料を引かれるから21,000円相当のおせちを5,250円で売らなくてはならないと言うものである。
記事によると、クーポンサイトではクーポンを売れば売るほど儲かる。だから、サイト側で期間限定と言いながら、勝手に期間を延長したり限定数を増やしたりもすると言う。
そして、店側(飲食店)としてもほとんど儲けなしどころか、宣伝料だと思って赤字で提供しているとも言う。
それで、お店側としては「リピーター」を期待するが、「バーゲンハンター」ばかりでほとんどそれはない。
実際そういうリピーターを取るというのは、かなり難しい気がする。
一時期、文化放送でフードコーディネーターという人物が番組に出演して、「料理の鉄人」などに絡んだ有名レストランのランチタイム限定メニューを格安で出していた。
これは宣伝とリピーター狙いというもので、直ぐに予約が入ってと言う話だったが、最近はほとんどやっていない。
今東京銀座界隈でランチタイムには1,000円以下で食べられるから、限定メニューとはいうもののランチメニューコースで3,000円程度というのは高い。
しかし、こういうレストランだと普通ならコースで20,000円はする。
これもお客は、バーゲン品しか買わない「バーゲンハンター」だったろうから、お店が損しただけだったかも知れない。

どんな世界にも、安く売られる、提供されるにはにはワケがある。
種々の商品だと、季節外れだったり、旧型商品、アウトレット(返品商品など)、売れ残り品、売れ行きが不振なものなど。
カメラやPC用のプリンターは、レンズやインクで元を取るというビジネスモデルが確立している一方、カメラのサイクルが早いので直ぐに旧型商品になる。
そんなわけで、食品やレストランなどのサービスと違って、妙なオークションに引っかからなければ安いものにもある一定の価値がある。
一方、クーポンサイトと言うものは難しいものである。
いずれにせよ、クーポンサイトなどでは営業社員を毎月大量採用していると言うからなるほどと思うことがある。


節分間近で思うこと・裸の王様の政治世界

2011-01-31 23:38:46 | 雑感・どうでも良いこと

節分間近で思うこと・裸の王様の政治世界

1月もあっと言う間に月末になってしまった。いつも1月の内に済ましておこうと思っていることが、気がついてみれば何もやっていない。
歳をとるごとに急速に体力が落ち、仕事をやる気にならないと言うのは仕方がないことでもある。そうしていつもながら1月も中旬になると「今年はどんな年」と言うことが見えてくる。
それで、多少良い年になると思えば歓迎だが、昨年のように「疫病神」に取り憑かれる年だと「良い年」だとしても満足度は半減である。
この節分を前にして、そう言う疫病神ともおさらば出来そうだと思えば余計気が楽だというものである。少なくとも「疫病神」とはおさらばしたいものだと願ってもいる。
そうして将棋の米長邦雄の言う「幸運の女神」の示す「今年の運勢」が正しいものかどうかは今後の楽しみというものである。
実はこの米長邦雄氏の「署名入り」本を随分前に手に入れたことがある。もちろんラジオの抽選で当てたものだか、この内容が「幸運の女神論」だったような気がする。
こういう勝負師というのは、ジンクス、因縁、迷信や超自然的なものを信じることが多い。それは、より人間的と言うより動物的な本能というものを多少たりとも残しているかもしれない。
そういう動物的な本能で政治の世界を見ると何やらきな臭い雰囲気がするものの、影の薄い人達が新聞を賑わしている。
街には、ポスターが目立つ。
それは、この前の衆議院選挙で当選した新人の国会議員の顔写真と若い女性候補の写真。誰だって今更、民主党でもないだろうと言う前に、あんなに「私に任せてください」と選挙では言ったような新人議員は今まで何をしていたのかというほどの影の薄さである。
それで、その一年生議員の顔に例の鳩山、菅、仙谷と顔を重ねてみれば、今度誰が投票してやるものかとも思う。
しかし、この民主党と言うのは日本の民主主義国家の欠陥をいやがうえにも示してくれた。それは一旦政権を取ったら有権者という国民などは一切関係なく独裁が通せると言うものだった。
そう言う国民の政府不信というのは、福田(康夫)政権で長野に赤い旗が舞ったときであった。そこには治外法権どころか、本来国民を守るべき警察が無法な赤い集団を擁護して国民を排除をする姿だった。
そう言うリベラルな自民党というのは、国民から忌避されて民主党政権になったが、民主党は政権を取った途端に化けの皮が剥がれる為体(ていたらく)。
それどころが、自民党が嫌われた理由さえ分かっていない。
自民党が賞味期限を迎えてしまった理由というのは、田母神空幕長を更迭したような自衛隊の忌避、危険視による国防意識の希薄さ。
官僚統制による社会主義化、それに伴う増税路線。その社会主義化とは、不景気なのに官僚とそのOBだけがうまい汁を吸い、規制強化による天下りを助長すると共に民間企業を制限。
そう言う国民とは別の利益集団が国民の生活を蝕むことへの忌避。その他いろいろあるとはいうものの種々の既得権益でもあった。
その民主党は、官僚政治打破とは言ったものの政策が貧弱で党内民主主義も保てない有様の上自民党を忌避する用件を「全部入り」。
自衛隊は「暴力装置」(仙谷前官房長官)。消費税増税その他増税路線などなど。
オマケに、その昔自民党が「国民総背番号制度」と言うものを発案して、財務省はPCまで発注したのに野党が反対して廃案。
小生など必要に応じて「住基ネット」は使うが、住基ネットにはリベラル派には未だに反対がいる。
この住基ネットのより以上、住所だけでなく「税」その他を含めた「共通番号」制度を作るという。元々住基ネットというのは、「国民総背番号制度」に移行する一歩手前だった筈なのだか。

国会論戦をみれば、民主党は常に「木で鼻をくくる」論戦しかしない。自民党政権時代の方が遙かに野党の意見を聞き、国民の反応を気にして国民としても民主主義が生きていると思われたものである。
そして、民主党の国会対策委員長が安住淳衆議院議員というNHK出身で、あの「自衛隊行事での民間人による政権批判を封じる事務次官通達を出した問題」の張本人であるから民主党というのも妙な組織である。


菅再改造内閣発足・リベラル老人支配が日本を滅ぼす

2011-01-15 00:23:29 | 雑感・どうでも良いこと

菅再改造内閣発足・リベラル老人支配が日本を滅ぼす

「菅再改造内閣が14日夕、皇居での認証式を経て発足した。(読売新聞Web)」
 菅総理は、64歳(昭和21年生まれ)。
年齢を見れば戦後のベビーブーマー世代直前のぬるま湯世代である。
その頃日大は、紹介入学制度という裏口入学でしか学生をとらなかった時代でもある。
どうりで、考え方が甘いし、不抜けたあんちょこな顔をしていると思えたものである。
さて、今度の内閣を見て、特にひな壇にでも立てば何やら「老人会」か「町内の集まり」の様に見える。
年齢を見たら65歳以上が8人。そのうち3人が70歳以上という老人ばかりと言う事になる。
能力や、才能には年齢は関係ないと言うこともあるものの、年齢と気力・体力というものはリンクする。だから気力があっても体力的に無理というのも誰だって、年齢と共に分かる。
こういう政治の世界を見ると、一時期の自民党政権では「年寄り」は思ったほど気にならなかったものの、民主党政権になってから老人は極めて目障りな存在になった。
なぜそうなのかというと、日本では昔から「年寄りの頑固オヤジ」とか「物わかりが悪い保守的な爺様」と言うのがいた。
だから、あのTVの水戸の黄門様、ご老公というのは歳をとっているのに不思議と目障りでもない。
それは、愛国主義者で家庭を守り、国を守ると言うような保守的で頑(かたく)なな態度に、ほんの少し物わかりの良い進歩的な光りを見ると言うものである。
その頑固オヤジというのが、いつの間にか「昔の学生運動」をやっていた頃のような言葉使いやらリベラルと言う点で、今まで生活してきた国や地域を激変させようとする。
こうなると、そう言うオヤジだというのは、どう考えても醜い。
なぜなら、数々の経験と失敗を重ねて国を作り上げてきた老人達ではなく、そんなことなど一切していない若者が「老人の仮面」をつけていると感じるからである。
別の言い方をすれば、成人式で散々暴れ回った若者が、突然「老人」の仮面をつけて偉そうにひな壇に並ぶと言うものである。

考えてみれば60歳以上というのは、実社会では一仕事をやり終えて定年になって、その老後に「一肌上げよう」と「何かもう一度」と言うような世代である。
近年問題になっているNHKの会長人事。
現会長は76歳という高齢で、次の会長候補も60歳代半ばである。NHKの内部からの昇格でも60歳代。
種々ある審議会やら委員会の委員長に70歳代が多い。
確かに70歳を超えるとどんなに現役時代立派な改革者であったとしても、自らが先頭になって組織改革を出来ると言うことは無い。
往々にして単に祭り上げられているだけ、担ぐ人の良いようにされているだけと言う事が多い。
事実歴史上の人物にしても、長生きして権力についていると晩年を汚す場合が多い。
傾国に負けたという例では、例の殷(商王朝)の妲己に誑(たぶら)かされた紂王から始まって、楊貴妃の唐・玄宗皇帝までいろいろある。
しかし政策面では、フランスのアンシャンレジーム時代のルイ14世の晩年、元々モンテスパン侯爵夫人育児係にすぎなかったマントノン侯爵夫人の影響でユグノー(プロテスタント)の弾圧などがある。

いずれにせよ、その政権なり首長が限界に来たというのは、妙な禁止令などの規制強化に乗りだしたときである。
今は民主主義国家だから絶対主義的な「弾圧」と言うものは無い。しかし、本来許容されるべき事柄に対して全て「権力側からの意見統一」、又は権力と同じ思想を持たなければならないという事情の法律が出てきたときは末期症状である。
それは、それだけ国民が信頼出来ないという国民不信を権力側が思っていることであり、国民をしてその不信感を法律で押さえ込もうという全体主義の前段階であるからである。そんな妙な国民不信の法律はどこにあったのかと言えば、2005年の耐震偽装問題。
これは小泉政権を引き継いだ安倍政権時代である。
一部の建築士の不祥事を建築士全体の不祥事と捉えて問題化した。結局小泉改革の小さな政府に反発して国土交通省の焼け太り。

近年の民主党政権の前仙谷官房長官の発言だけでなく、民主党本部周辺の厳重警備、周辺デモ行進の禁止など細かい事いろいろ。
東京都知事では、例のマンガに関する都条例の話があった。
実は、これも国民不信、日本国民性悪説によるところが多い様な気がする。

「龍馬傳」という物語で再再度注目された坂本龍馬。没年は満31歳である。
成人するのか早いとして、10年加えても41歳。
現代の若者の幼年化を考慮してプラス10歳で51歳。
やはり今の世の中の政治家は、50歳代以下でなければ本当は無理というものだろう。
そして、不思議なことに「お爺ちゃん」とか「お婆ちゃん」と呼ばれる人は、それだけで政治を含めた実世界では改革者になれない、又はなってもどこか甘さがあるというのは不思議な巡り合わせであるまいか。


年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

2010-12-21 08:52:56 | 雑感・どうでも良いこと

年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

(2010・12・25・22:52エントリー記事)

この12月は何やら大忙しだった。
まだ2010年は終わっていないものの、どういうワケか25日が大晦日みたいな様相を呈している。事実、年末までにしなくてはならないことの大部分が片付いてきた。逆にいつもは終わっている年賀状が片付かないという妙な事になった。
そんな年賀状を書く暇がないというのは、このクソ忙しいときに関係する展覧会などがあるということだろう。
常識として、書道なら絶対に年末になど展覧会はしないものなのである。
なぜなら、書道というのは「道」と付くから何となく「行儀見習い」風のところがあって、他人の迷惑にならないというような雰囲気がある。
だから、年が改まった年始早々に書道の展覧会があるというのは、そう言う何か伝統に対する思いやりのような気分である。
‥‥と言うことは、年末ぎりぎりまで展覧会をやるなどと言うのは暇人のやることであり、お行儀に反すると言うことだろう。
そういう革(あらた)まった表彰式、授賞式という出来事というのは、普通は節分が終わってから早々にあることが多い。
やはり昔の太陰暦に関係するのか、1月の展覧会の表彰式というのは似つかわしくない。
だからこの展覧会での表彰式は書展では、なるべく華やかに正装をしてくると言うのか常識となっている。
元々男は華やかではないが‥‥毎日展の会員賞だと男でも会員賞の印の生花を胸に挿すから、それなりになってはいる時もある。
ここで、書だけでなく絵画や写真などの複合展覧会・市民展になると一転して目を剥くことなどが何回もあった。
近年この授賞式はホテルの大広間で行われるからさほど目立たなくなったし、そもそも審査員の側なので受賞者に名前を連ねる事も無くなった。
それだけでなく、壇上というものがないから目立たなくなったようで目にすることはない。
その昔、書の関係で賞を貰う人は、女性では着物が多かったし少なくとも正装の感じがあった。それが、絵画では着物は皆無で、精々余所行(よそゆ)き止まり。
男性では、見苦しくない普段着程度。
そして写真になると、「普段着」すぎて照明係のスタッフかと思われる格好であった。
それも名前を呼ばれて壇上に駆け上がったりと言う始末。
ここまで来ると、表彰式というのも台無しで実に後味か悪いものだった。

いずれにせよ、近年、こういう「表彰式、授賞式」には何回も出席する機会があったものの、自身が何かしかの賞を貰うという段階はすぎてしまった。
かといって、「ご苦労様でしたで賞」という「○○功労賞」というものを貰うには年が若すぎるし、大した功労もないので貰うと言うこともない。
もし万が一手違いで間違って貰えば、種々面倒に巻き込まれたり、後ろ指を指されたりするからこの世界というのは中々難しいのである。
自分の父親は、大正生まれだったから何か叙勲というもの欲しがっていた。
しかし、元々戦前は三井系の軍事産業の幹部社員であったし、戦争から帰ってきた戦後は国家公務員として勤続25年しかなく生前叙勲などはあり得なかった。
亡くなって国から貰ったものは「正7位」というお笑いぐさの受位だった。
これは最下級の方の受位だったから、戦後高等文官試験が無くなった直後の「大臣名の二級官試験合格者」としては甚だご愁傷様なのである。
そう言えば師匠の横堀艸風というのは、元々裁判所の書記官だった。
その上甲種合格だったから戦前の軍人生活が長く金鵄勲章を二つ(功四級・功五級)も持っていた。
そのために戦後になって、(MacArthurの)パージにあったかどうかは聞いていないとはいうものの、書道関係においては大澤雅休の高弟であったのに、後輩弟子の後塵を拝した事は間違いない。
それでも最晩年に群馬書道協会の会長になったし、生前叙勲で勲五等瑞宝章をもらっている。
話は、がらりと変わるというより関係ないことで、USB3.0でHDDのベンチを「マッハUSB」を導入してみて再度計測した。
「マッハUSB」や「ターボUSB」というのは、多少早くなる気分というものだがデーターを取ると面白い感じになる。


左がマッハUSB適応のもの。
USB3.0
実際、HDDのベンチより早いからどんなものなのか良く分からない。
近年のマザーボードを見たら既にUSB3.0が標準装備されていた。
ツクモのUSB3.0の欄を見たら、既にカードリーダーにも対応品が出でいるから今後検討課題でもある。
(2010・12・25・22:52エントリー記事)


過去を封印して歴史から学ばない戦後民主主義的政治の蹉跌

2010-08-27 00:39:21 | 雑感・どうでも良いこと

過去を封印して歴史から学ばない戦後民主主義的政治の蹉跌

「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子東大教授)が第9回小林秀雄賞(新潮文芸振興会主催)になったという。つけられた題名があまり好ましくないというのは、時代背景を反映していないからかも知れない。
江戸時代に武士には、切腹という処刑方法があった。これは武士にだけ許された武士の自尊心を満たした処刑方法で、武士とも認めないと斬首という処刑方法で行われた。
あの赤穂浪士で有名な浅野内匠頭。
芝居では、浅野内匠頭は辞世の句を詠んで切腹するのだが、事実はそうでないという。
あらかた言われているのは、(田村右京大夫建顕の屋敷に)連れてこられて籠から出る時、籠から首を出したときに斬首されたというのである。なぜなら、松の廊下での浅野内匠頭などの刃傷沙汰はその場で(血の一滴も漏らさず)斬り殺さなければならない事になっているらしい。
事実、その前の事件ではその場で討ち取られている。(貞享元年(1684年)8月28日江戸城内で、大老堀田正俊が若年寄の稲葉正休に斬り殺された例など)
この赤穂浪士の最後は切腹も出来ないほど無残なものだったらしいが、もっと徳川幕府の成立直後に遡ると、武士は切腹する必要もないような出来事でも簡単に切腹をしたとある。
だから、過去のことを現代の基準で裁くことの愚かしさというのは余りあるというものだ。
1898年アメリカ合衆国、ハワイ共和国を併合。
1899年のパリ条約によりフィリピンがアメリカ合衆国の植民地になる。
こんな事から見ても、当時の日本は世界の潮流から一つも外れていない。
「百人斬り競争」と言うことが新聞社のプロパガンダで虚構だと言うのは、日本の兵士が三八式歩兵銃なのに国民党軍は、あのナチス親衛隊が使っていたシュマイザー(シュマイザーMP40)軽機関銃だったと言う事からでも良く分かることである。
日本の裁判官とか言う人達は、軍事的知識も常識も欠如している人達だから、「百人斬り競争」は間違いない事実だと認定している。

いずれにせよ、現代に生きる以上過去の歴史を云々言っても仕方がない。
過去の歴史、失敗から何を学びどう生かすかと言うのが課題なのではないだろうか。
それには、「日本 誰がどこで誤ったか」という事と共に、過去の歴史を単に暗黒の歴史として封印するというのはよろしくない。
日本の伝統は、死ねばどんな人でも神様と言うことで、過去を追求しないことが多い。
いやあの東京裁判のA級戦犯を追及しているではないかと言うかも知れないが、「A級戦犯」という事柄だけであって、その実態や業績は一切封印している。
なぜ封印しなければならないのかというと「A級戦犯」と追及する人達は、詳細を追及すると都合が悪いからである。
何と言っても、東条英機元首相が関東軍参謀長の時に、(満州国、日本外務省の反対を押し切って)ソ満国境で凍死寸前だったユダヤ人10,000人の満州国入国を許可して助けたという事は都合が悪い。
過去の失敗は何かと言えば、自民党の謝罪外交政策やそれをより推し進めようとする民主党の外交政策。それは、いわゆる事なかれ主義という外交には通用しないやり方である。歴史的には、1938年9月29日のミュンヘン協定で活躍した英国の外務大臣ネヴィル・チェンバレンの宥和政策の失敗というのが有名である。
ところが日本の場合、宥和政策でも何でもないと言うところに不可解なところがある。
戦前の中国状況はどうだったのだろうか、1900年の北清事変で結ばれた北京議定書。
これで列国の駐兵権。
最終的には、種々の事件を起こしてこの外国軍隊を追い出しにかかり、最終的に国民党八路軍が実権を握ると言うのが単純に見た構図である。
それから見ると、日中間の妙な関係というのはどう考えても理解出来ないだろう。
今日本では、中国が有望な消費市場だと考えているように、未だに中国に工場を進出させ、何年も前から工場は日本になく全部中国という企業も多い。
これは、元々中国側から工場の誘致を受けたとはいうものの、本来的なら進駐軍の様なものである。
今は、平穏を保っているもののもし中国バブルが弾けるようならば、一斉に外国資本の工場の追い出しにかかる事は過去の例を見てみれば明らかだろう。
何と言っても、中国は法治国家でもない国だからなんでもやり放題である。
その時日本の企業は、工場も設備も技術だけでなく資本投下したものまで全て持ち去られることになる。
しかも、それは突然にやられるとすれば対処のしようがない。
それで日本が抗議する?
原爆を持たぬ腰抜けの日本の言う事など聞く耳を持たないことは明らかである。
その時どうするのか、また全て65年前のように置いて撤退してくるのか。
ところがその時には、日本には撤退を受け入れる場所がないと言うのが現状ではないだろうか。
チャイナリスクはますます増大して、ノーテンキで事なかれ主義の日本はどうするのかとの課題は、菅総理の「朝鮮半島への謝罪文書」程度で蒸し返すしか頭のない政府では、対処出来ないと言うのが真実だろう。

そう言えば、中国に進出している韓国資本は危なくなると突然計画倒産して、夜逃げしてくる例があるとある本に書いてあった。


Syuun独自理論のよる夏の錬成会と横堀流書道

2010-08-23 00:12:06 | 雑感・どうでも良いこと

Syuun独自理論のよる夏の錬成会と横堀流書道

今日2010/08/22は、展覧会作品に関する錬成会だった。
その昔、師の故横堀艸風は夏の錬成会を開いたと言う記憶はなく、大方6月、9月くらいの時期で、今日のような猛暑の中ではなかった。
ところが、最近の5年間ぐらいは8月に2回の錬成会と言うことになっている。
今年は、毎日書道展の陳列が終わった後、お盆の直前に行うと言うのも負担が大きいと言うので1回。
横堀先生の錬成会の時は、午前中は手本ではなく「作品例」として、「○○」を書いてくれと順番に並んで、何やら書いてくれたものの参考例にもならなかったと思う。
いずれにせよ、小生達の「書」の世界というのは、こういう錬成会でもないとどう書いて良いのかさっぱり解らないと言うのが真実である。
それで錬成会で師匠が何か教えてくれるかと言えば実は何もない。
なんと言っても、師匠が「作品」を書いているところは県書道協会の実技講習会で一回見ただけである。それも瞬きする間に終わった。
昨年、富山で行われた書道芸術院の研究会でSyuunが席上揮毫に指名されたとき、その師匠の書き方と同じ手法を見せたのは、師匠・横堀流を味付けなく正確に示す必要があったからである。実際、書く時間が少なく不評も買ったが。
その師匠が健在の時の錬成会で非常に勉強になったのは、他の先生方がどういう風に書くかという書き方を見ることだった。
実際、当時では県展(群馬県の官展)で委嘱作家(無鑑査)クラスの先生は、結構書くところを見せてくれたことが多かった。
こういう錬成会では、県展委員(審査会員)クラスの先生は作品を書くと言うことはなくて、公募出品クラスの人達の指導が中心であるのは、今でも同じ。

そして、時は移って今のマニュアル時代の錬成会。
昔のように、作品を見たり書き方を盗んで作品を作れと言うことなど通用しなくなった。
それで、午前中は作品の構成の仕方、作品原稿の作り方の講義。
そして、作品原稿を持ってきたものを辞書を引き直して、全体概念を示したり再構成したりである。
当然師匠横堀艸風の作品の典型例を分析して、その構成の妙と、どういう風にしたらマネが出来るかを講義。(小作品が多いので毎日の公募展サイズでは参考にならない。)
その他、何もなくては分からないから作品集を持ってきて批評を加える。わざと構成の失敗例の作品の実物を示してどこが悪いかを指摘するなど結構めんどくさいのである。
従来は、こういう作品の構成理論というのは師匠の感覚に頼っていたもので、昔から構成の妙に関してはあまり指摘されず、「~~の感じ」で済ませていたものなのである。
しかし、最近の促成栽培ではそんなことは言っていられない。
社中作品のレベルアップというのは急務なのである。それには批評などの書論、理論が必要である。
その書の構成を理論化したのが小生の書論であって、厳しく適応するとどんな大先生の作品でも「駄作」に変身することもある。
但し、その理論の適応外という作品も多いから、一概に決めつけられないというのも事実である。
そして午後から、実践で書かせ評価する。
結局錬成会というのは、そこで良い作品が出来れば儲けものだが、そこで教わった事に対してよりモチベーションを上げてよりよい作品を書かせると言うことである。
何と言っても、書き方が分かればもっと書きたいという意欲が湧くのが書道である。