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書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

田宮文平氏による特別記念講演会『松井如流の人と書』を聞く

2010-07-13 22:07:59 | 雑感・どうでも良いこと
田宮文平氏による特別記念講演会『松井如流の人と書』を聞く

第62回毎日書道展で生誕110年記念「松井如流-書・学一如の生涯」が開催されている。
この作品展に付随して2010/07/12田宮文平氏による特別記念講演会『松井如流の人と書』の講演会が東京・グランドプリンスホテル赤坂の新館2階クリスタルパレスで開催された。
7月12日というのは、実は第62回毎日書道展の表彰式がグランドプリンスホテル赤坂で13時から行われる当日である。

この日は1,000人以上も集まる日であるから定員300の講演会もどうかなと朝10時に会場に到着してみると疎らだった。
さすが開講時間になるとほぼ満席に近くなったとはいえ、正面最前列あたりはまだまだ余裕があるほど。これには拍子抜け。
講演予定は1時間と言うことで、書道評論家田宮文平氏が松井如流先生の本名や生い立ちとか、郷里とかの話しから始める。

生まれたのが1900年(明治33年)と言うことで、年齢を換算するのに都合がよいというヒントを与えつつ話を進める。
実際の詳細は作品集が届いているのでそれを後でめくるとして、田宮文平氏の話しを続けると、松井という姓は奥さんの姓とか。
その辺の事情はどう言うのか良く分からないものの、書との関わりとは関係ないので会場に再度行って確かめようとも思わせるものである。
講演は、作品展を見る上でのヒントを与えて、あまり詳しく述べている時間もなくあっと言う間の1時間であった。
もう少し突っ込んだ話は、作品集や会場で見てくれというのかも知れない。

又、「松井如流-書・学一如の生涯」の会場の方は、駆け足で1回目を見てきただけであり、篆刻家から良い印があるので見ておくようにと言われていた。
二世中村蘭台作の驚くべき印、小林斗盦作、古川悟作‥‥何回も確認したくなる印であった。
尚、作品集には印譜はあるものの個人印の印そのものは載っていないので会場で見るしかない。

Larissa Riquelmeラリッサ・リケルメとDiario Popularで探してみた 写真

2010-07-08 14:54:50 | 雑感・どうでも良いこと

産経新聞では

「【W杯】パラグアイの「美しすぎるサポーター」代表選手らに「ヌードの贈り物」と題して、部分的な写真を掲載している。
これは、Larissa Riquelme(ラリッサ・リケルメ・25)さんがDiario Popularでヌード写真を披露したという記事で産経新聞では部分的なものを掲載している。
そのうち週刊誌で大々的に取り上げられるかもしれないが、Webで検索してみた。
出てきたのはこんなところ。
大したものは出で来ないものだ。
http://exitoina.com/larissa-riquelme-se-desnudara-igual/

原文はスペイン語、翻訳は自動で出来ます。
但し、リンクには触らないこと。

デフレの確定申告・不要不急の削減で乗り切れるのか

2010-02-17 19:24:26 | 雑感・どうでも良いこと

デフレの確定申告・不要不急の削減で乗り切れるのか

16日確定申告が始まった。
税務署の宣伝用にe-TAXを使って、芸能人が確定申告をやっている姿を見せている。
こんなデモストレーションというのは「やらせ」だと誰でも思うし、白々しいものである。なぜなら、e-TAXを行うためには住基ネットカードなどを揃える必要があるし、どうせ税理士が作った申告書を丸のママ、打ち込んでいるのは見え見えだからである。
又一方、脱税王と揶揄されている鳩山首相やら、4億円以上の税金のかからないタンス預金が発覚した小沢幹事長などを見れば、一円単位でちびちびと計算して申告するなど馬鹿馬鹿しい限りである。
それでも申告しなければ、庶民は乏しい生活費の中から加算税を払わなければならないから不満でも確定申告期間にキチッと申告するしかない。
いずれにせよデフレ経済というものは、徐々に我々の懐に効いてきた。そうであるならば、国民も政府と同じように削れれる所から削る。
どうでも良いような会は退会して年会費を削減。現金は使わずに、ギフト券かクレジットカードを使ってポイントを貯める。クレジットカードも無駄なものは廃止するか有利なものに乗り換える。

宴会も削減して、出かけず巣ごもりで過ごす。
‥‥とこんなことをしても雀の涙しか削減出来ないと言うのが現実である。
本当は、不要不急でないことは止めると言うのも有効なのだが、将来の増税を考えれば今のうちに欲しいものは買っておいて、あとは何も買わないで過ごすということもある。
そんなことから考えれば「書道(展)」などというのは、正に金食い虫なのである。ならばすべて展覧会を遠慮したら、書道を止めたものと同じだからそんなことは出来ない。
それで、無駄な宴会は極力避けると言う話になるが、無駄でもストレス解消にでもなれば大いに有効で金をかける有効性もある。
こんなことを考えてみると宴会も金の使い方も、いかに有効に使えるかと言うことに収斂する。
だから、レジャーというストレス発散ならばケチケチしないと言うことになる。
ものを買うということも同じく「ストレス発散ならば」有効と言うことである。
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過日2月11日、書道芸術院展の作品鑑賞会(東京都美術館)、春洋会選抜書展(東京セントラル美術館)、現代女流書100人展(渋谷・東急本店)、書道芸術院展・表彰式・祝賀会(帝国ホテル)と朝7時過ぎに家を出で帰ってきたのは夜中の11時近くだった。
ここまでビッシリと詰まった日程だと東京の街を見ている暇なとは一切ない。
会場をJRと地下鉄で移動するだけである。結構疲れたなと思ったのは年のせいだろう。
書道芸術院展も第63回、今回は入賞者の顔ぶれを見ても見知っている人はいなくなった。
公募出品している頃は、同じ賞をもらったり、又はあの人が最高賞だった‥と思ったりといろいろ知り合いが出来たり、見知った人を覚えたりした。
それが、公募出品から一人抜け二人抜けて、無鑑査に昇格して自らも公募から抜けまたその上の賞を狙う。
行き着くところは会員、審査会員。そして、みんな行き着いてしまえば「賞」と言うものには縁がなくなってしまう。
当然、賞を貰うような人たちというのは、弟子になったりしてほとんど知らないことになる。
それでも、祝賀会では昔の仲間がたくさん来ているからそれなりに騒いでストレスの解消になるというものである。
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だから、今回の第63回書道芸術院展の表彰者という人たちがほとんど分からなかった。
そして、そんなときは不思議と作品自体印象に残らないもので、自らの作品の「酷さ」不甲斐なさに落胆するというだけしかない。
それにしても渋谷に久々行った。渋谷東急も地下鉄を利用すると109直下までゆけるとは思わなかった。そして、「現代女流書100人展」の作品は久々見る皆非常によい作品だった。もし時間があればもう少しじっくり見てもと思ったが、駆け足というのはこんな時である。
そして、夜中帰ってみれば駐車場に止めた車に雪が積もっていた。
それにしても今年は雪が多いとつくづく思うものであった。


なぜかゲップが出る藤原紀香

2009-12-20 10:31:50 | 雑感・どうでも良いこと

なぜかゲップが出る藤原紀香

2009/12/19昼間、主演ミュージカルの宣伝のためか藤原紀香がTVに出ていた。舞台メイクをしていたのか何かやつれたような感じは、CM、CFとは別人の雰囲気がある。
散々騒がれたのは、確か2年も前かと思ったら丸々3年前だった。
過去のエントリーには「藤原紀香の結納返し「パネライ」の時計」2006.12.12などがあった。
過去をよく見てみれば、結婚を期に仕事も益々入れて、CM、CFばかりでこの人は何を考えているのかと思った。結果、予想通り子供も出来ずに離婚。その後は?今と同じ。
他方同時期に結婚した吉岡美穂。
こちらは確認したら「でき婚」だった。
今年の12月の週末にIZAMがTVに出でかかあ天下風を宣伝していた。
以前、占ったら「主婦となると超一流の部類」と言うのと「噂によると、料理名人」というのは、TVに映ったらそのままだったし、容姿も全然変わっていない。
しかし、女性というのは主婦・母親になると「余裕」というか、自信というか気張らない何かを感じる。
シングルマザーの竹内結子は、TVに出てきた時見ると子供は親が見ているからか、どう見ても母親の感じしないし、未だに娘気分が抜けない「気持ちが悪い」ところがある。
それはそれで何か使いようがあるから良いのかも知れないが、藤原紀香というのはどういうものだろうか。
はっきり言えば、もう見飽きた。
いつも全く変わらない藤原紀香は見飽きたと言う気がするのである。

別に何か色気が特別にあるというのではなく、そして結婚したからと言ってもTVなどに出まくって生活感のない人物。
女優、モデルというのは、その姿、存在だけが商品で、感情を持たない決まった役柄の中で動いてるというのは、撮影現場を見れば納得するところである。
しかし、その「女優、モデル」の枠を破って私生活を売ってしまうと、「役」と「実像」との区別が難しい事がある。
だから、女優にしろ、俳優にしろ自分の私生活は明かさないことがある。
良い例があの寅さんで有名だった渥美清。
渥美清の素顔なんて誰も知らなかったはず。
亡くなった時、少し素性が明らかになったがそれも一瞬だった。
役者にしろ、女優にしろ自分の私生活と女優生命というのは結構リンクしていて、プラスにもマイナスにも働く。
だから、藤原紀香の結婚はどうしてしたのか不思議な限りなのだが、結果仕事の変化も生活の変化も切り替えられなかった人物は、どう見ても「もういい」と思ってしまう気がする。


トラックバック・コメント欄がないわけ

2009-12-17 23:31:46 | 雑感・どうでも良いこと
ぷらら版の当ブログでは、今トラックバックとコメントをできないようにしている。
それは、過去のエントリーに書いたとおり一日100を超える迷惑トラックバックやコメントがあるからであった。
そのトラックバックは、時に簡体字だったりして読めないこともあるが、大方エロ系の上にVirusに感染させるような悪質なもの。
それでそんなことは、当ブログに限ったことではなかったようで、今年(2009)7-8月頃にはつながりにくくなってしまった。
それでも最近収まらないようで、17日にぷららから以下のサポート情報があった。
当方も、悪質トラックバック、コメントがなくなれば制限を解除するつもりでいる。

【重要】Nifty社一部ネットワーク帯からのコメント・トラックバック規制実施について

平素Broachをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

一部ネットワーク帯からのコメント・トラックバック規制の実施について、ご案内いたします。

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第41回日展 を見た・思う その2

2009-11-26 23:17:11 | 雑感・どうでも良いこと
第41回日展 を見た・思う その2

日展を見たか?と色々と触れ歩いたら、見たという人は「招待券」をもらったら!という人達ばかりだった。なんだ小生のようにわざわざ入場券なんて買わないのかと言う感じなのである。
実際、後から伝(つて)を頼ると「招待券」が出てくるようなこともあって、日展の人気のなさというものを思い知らされる。
考えてみれば、毎日書道展が展覧会の他に特別展示「篆刻家 松丸東魚の全貌」と言うようなそれだけで1,000円以上の入場料を取ってもよいような展示などはない。
第40回日展でも別に特別展示があったとは覚えていない。
分かりやすく言えば、個展でも何十万人も呼べる大作家がいなくなったのにかかわらず、相変わらず昔のママと言うことだ。
出品者が変わってもそして、時代が経ることに制度化されたシステムで小粒になって行く日展。しかも、書道に限らずある限定した作家しか出品しない、入選しない展覧会だから益々絞られてくると言うものだろう。
昔、地方の県展(美術展)で出品点数が多くなったからと落選を増やして、入選するだけで入賞と同等な価値を見いだそうとしたことがあった。
それで、落選を多くしたら結果出品者が激減、そして二度とその出品者は戻ってこなかったという。地方の官展の様なものは文化奨励というものもあるから、純粋に厳しく査定すると言うもの考えものである。
他方、書道は日展に出品するのはいわゆる読売書法展と毎日書道展の一部の人達。
現代書は、日展の項目にないからいわゆる伝統書。読売書法展の「本格の輝き」と言うものだ。
但し、「本格の輝き」を宗教文化・文明(過去準拠型の中国宗教文明)とか呼んだのは(社)全日本書道連盟の講演会(全日本書道連盟が18年2月16日に会員向けに行った講演会)で講演した公文俊平先生(多摩大学情報社会学研究所所長)。
要するに、宗教だから何も変わらない。
それはその書文化だけでなく、そのシステムも変わらない。
世の中が変化してもその中は、10年一日のごとく。
書の現代書とは、大字書、近代詩文、刻字、前衛書だがそう言うものを排除するというのは、キリスト教が宗教裁判で「異端」として排除してきたようなものである。
世の中の変化について行けないものというのはいずれ滅びることになる。
芸術一般では、全てに後継者がいるかどうかと言う事に尽きる。
実際のところ今の書道の大先生のナンバー2というのが育たないと言う事もある。
大書団で二番手、三番手が容易に育つところがあるではないかというと、そう言うところは所詮他の社中を潰す結果となる。
何時の代も恐竜のような巨大生物だけが生き残っても、生活が成立しない。
日展を見てみれば、大した目玉もないのに「日展」でございと見得を切っている「裸の王様」を見る思いである。
そして、書道界は危機感を持って活動しているところもあると言うものの、一般には書道が大隆盛していた頃の「体格」のまま、従前通りと社会から逃避するように過ごしている。
何か少しは、変わるのかと毎年思えば何時も何も変わらない。
うちの社中でも今年の春には、「書を止めたい」という人達ばかりだった。
理由は、「歳を取った」「上手く書けない」「賞が取れない、見込みがない」「年金暮らしで金がない」など色々である。
これは今のデフレ世相の反映そのままだが、こういう社会性がないと言うのが宗教文明と言われる社会である。
本来「去る者は追わず」と言うのは趣味の世界ではお決まりのようなものだが、去る者を引き留めなければならないと言うのが今の現状の窮状を象徴している。

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

2009-11-25 22:38:58 | 雑感・どうでも良いこと

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

2009/11/23の勤労感謝の日は、書道芸術院創立記念日となっていて、毎年上野精養軒で14時頃から記念講演会がある。
この講演会というのは、毎回驚くほど有意義なものでお金を掛けて出かけて行っても価値があると思うものである。
今年は、二松学舎前学長 石川忠久先生。
演題は「対句の面白み」。
話は簡単に言えば漢文の話。先生曰わく、戦前は漢文というものは必修科目だったという。
だから、国語の他に漢文という独立の教科があったそうな。
そして、その漢文の先生というのは例外なく怖い先生だったとか。
そう言われれば、昔の人は書道で書く詩文は大体読めたらしい事は分かるし、漢詩だって創作して書いたりもしていた。
それで創作の漢詩というものは、時として読めないものがあると言われていた。
何故読めないのかというと勝手に解釈して漢詩を作ってしまうために、読み方が一様でないと言う事らしい。
そう言えば、少し前に「書道の新聞」に漢詩の創作の話が出ていた。
そのうちバックナンバーを当たって読んでみようと思うのだが、こういう先生というものは大体中国語の「読み・書き・会話」が出来る先生である。
事実、石川忠久先生も東大の中国文学科をご卒業されて中国語も堪能であらされるが、実は大学ではまともに勉強せず、中国語を教えることになって学び直したと言っておられた。
但し、語学である以上毎日のように使わないと忘れるそうで、中国へ行った時は帰国する頃になって感覚が戻ってくるという。
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漢文というのは、実際は高校2-3年の時に少し習い、少し分かったと思ったら先生が替わって、簡単な入試程度の漢文しか分からなくなってしまった。
そして、今では粗方忘れてしまった。
こういう勉強も継続してやらないと全く駄目で、大学時代ドイツ語をやりながら大学院入試ではドイツ語の部分は白紙だった様なものである。
もっとも、ロシア語の方は講座を取って読み方を少し習って止めてしまったと言うくらいだから語学はダメ。
それで、ドイツ語もロシア語も実際何かに使ったかと言えば何も使っていない。そして、今では辞書を片手にしてもドイツ語が読めるかどうか怪しいものである。

講演会の本題は、「対句の面白味」は、律詩の規則というものである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で律詩を調べてみたら
「2句1組で「聯(れん)」を構成している。律詩は8句なので、4つの聯から成る。順に首聯(起聯)、頷聯(前聯)、頸聯(後聯)、尾聯(結聯)と呼ばれる。頷聯と頸聯はそれぞれの2行が対句になるという決まりがある。
また押韻は偶数句の句末でなされ、第1句は押韻してもしなくてもよい。換韻はなされない。各字、各句、各聯同士で平仄に一定の規則がある。」
と書いてあって、粗方この規則を説明されていた。
「平仄(ひょうそく)」の規則性とか、いろいろと説明されたのだが短時間の講義だと中々わかりにくい。
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その他、昔の人は漢字に訓読み音読みをつけて、漢文を全て読めるようにしてしまったというのは大発明と言われていたが、それは漢文を習った時に思った。
しかし、石川忠久先生が漢詩を中国の言語で発音すると漢文というのはやはり中国の言葉だと実感する。
そして、先生が言われるのは中国の言葉は時代を経るごとに少しずつ変わって行き、昔の「音」が日本の音読みに残っていると言われた。

漢字は、元々漢字圏だった韓国ではハングル語になって使われなくなったし、中国でも簡体字になって随分と変わって元の字がどんなものなのか分からない様なものになった。
日本では、漢字がまだ残っているというのは「訓読み」という偉大な発明によって「表意文字」としての効用が大きい気がする。
そして、戦後MacArthurのGHQ下で一時期漢字の廃止と言う事も考えられたらしいが、その結果として簡略された文字になった。
Dscf0436
しかし、最近ではパソコンの普及によって難しい文字も大して厭(いと)わなくなったから時代の変化というものは面白いものである。


第41回日展 を見た、何やらがっかり

2009-11-24 15:20:30 | 雑感・どうでも良いこと

第41回日展 を見た、何やらがっかり

2009/11/23勤労感謝の日は、例年日展を見る習慣がある。
昨年第40回の日展を見てどうも感心しなかったので今年は止めようと思っていたら、400円引きの「第41回日展 入場割引券」が新聞広告に入っていた。
実際は、これだけでなく日展のHPに入場割引券(http://www.nitten.or.jp/waribiki.html)があっただけでなく、携帯電話でそのサイトのクーポンを示せば400円引きの800円では入れる。
それで朝10時少し過ぎに国立新美術館に到着したが、実際のところ「ハプスブルク展」を1,500円出して見ようか迷ったところである。
そこは、700円の昼飯代の足しを考えて日展にしたが、後から思えば「ハプスブルク展」の方が良かったかも知れない。
実際中世、近世欧州の歴史を調べていると「ハプスブルク」関係の文献、写真なども見ることはあって大方予想が付くとはいうものの現物は見たことがないのである。
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日展と言えば、「日本画」と普通は思い付くから昨年のように日本画が1階全部かと思ったら1階には洋画と日本画のメインがあった。
2階は、日本画、洋画、彫塑、工芸。書道はいつもの通り継子扱いで3階のフロア。
しかし、日展というのは出品点数の関係から見れば書道で持っている筈だから随分と悲惨なものである。
その悲惨な状態の日展第5科。
いつもの通り、毎日展の公募サイズ程度の作品が3段掛け?
特に今年は、何やら同じような文字が目立って全体が同じ社中展の様。
以前、多少ニジミを聞かせたような作が多いこともあったが最近は見られない。
今回、伝統書の日展、日展のスローガン「日展は、美しいあなたをつくる。」と言う事からどんな印泥を使っているかいくらか見てみた。
その昔の印泥と言えば「美麗」という種類の印泥だったのが、最近は毎日展では大分明るい朱色になったから、日展はどうかというものであった。
まず篆刻で見ると、黒っぽい色の美麗らしき派は10点に1点くらいで、書作品でもかなり少なかった。
実際はその美麗印泥でも多少鮮やかなものと、どす黒い「くすんだもの」までいろいろとある。(最近の美麗印泥は、粗悪品になって鮮やかさが無くなってきている)
実際、鈐印する時印泥の種類など、どういう神経を使っているのかいろいろと疑問に思う。
偉い先生などだと、鈐印をお弟子さんがすることもあるからいろいろなのだろう。
しかし、平入選ではそんなことは無い??又は逆に本人が鈴印しないで師匠がしてしまうと言うこともあるかも知れない。
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実際小生もここ何年か美麗印泥というのは使ったことがない。
今、主に使っているのは、高式熊・精品で、気分が向いたら西冷印社の箭鏃(せんぞく)その他、丹頂などを使っている。
美麗だと一両装通常1,500円程度だか、高式熊、箭鏃、丹頂だと30~40割引きのバーゲンで買って5-6,000円くらいはする。
実際見てみると、高式熊、箭鏃の様な感じが多いが、篆刻家だと実際中国から特別なものを取り寄せると言うこともあって良く分からない事も多い。
それにしても、日展入選なのに鈐印がまともにされていないものも多く、あきれるものもあった。

今回の日展を見ての感想は、第1科の日本画家に始まって全体に展示が窮屈というかそんな感じがした。
第5科の書はギュウ詰めなのは明かというものであるが、第1科~5科まで全体に掛け替えでもして作品をもう少しゆったりと展示が出来ないものかと思う。
そして、都美の頃では、券は二枚になっていてもう一回見られると言うものだったが、新国立になってから1日だけ。
実際、日展の顔と言うべき日本画も、都美でやっている頃より余り見るべきものがないような感じがする。

「日展は、美しいあなたをつくる。」ではなく、「くすんだ貴方を作る」のではないかと思えたりもする、何やら期待はずれの日展だった。

日展ニュースを見てみると「特別寄稿」というものがあった。それを見てみると、39回展で18万人台、40回展で17万人台と13,000人減の来場者と書いてあった。

美術評論家の瀧先生の寄稿はなるほどと思わせるものだったが、本江先生の方は何やらよく分からない文章で途中でやめてしまった。いずれにせよ5科の話はさわりだけで多分展示も見ていないと思わせてしまう。

こんな文章を見るだけで日展という体質が見え隠れする。

芸術文化全体に言えるかもしれないが、第41回日展のビデオの冒頭を見るだけでも何か妙な感じを与える。

それにしても3階の隅で細々と展示されている5科書道というのは本当にマイナーなものだ。


洗車をすると翌日雨に、閑になると病気をする不思議

2009-11-18 00:50:58 | 雑感・どうでも良いこと
洗車をすると翌日雨に、閑になると病気をする不思議

11月16日は、薄曇りで風もなくそこそこの日だった。
車の洗車というのは風のない日というのが最適で、風がないからワックス掛けで埃で車を擦らないで済むと言うこともある。
そう言う時は、必ず翌日は雨。空の雲行き「うろこ雲」から容易に察しが付いたが、翌日出かける予定もなしで、よくやるものなのである。
簡単に言えば、雨になる前日は天気がよいという事につきる。
そして、今年の秋はある程度暇になった。
ヒマになったのは、例の県展事業部をクビになったからと言う事だが、10月初頭からの秋季展も現場作業中心で自宅に持ち込んでやると言う宿題もなかった。
夏場は、例の毎日書道展の陳列で多忙というものだった。
新美(国立新美術館)ばかりだと結構疲れるし「美味しい水」が飲めるわけでもない。
そのためか盆の頃には何ら胃腸の調子を崩した。
正確には、胃の調子なのだがこれが直ったり又ぶり返したりで、とうとう10月まで尾を引いた。
10月に入れば秋季展だったり、岩手、宮城、山形への旅行だったり騙し騙し。

結局、胃酸逆流?胃酸逆流炎?とは言われなかったが、「ファイバーを飲め」と散々脅される始末。
それなら胃腸科で検査してくれとはいうもののそんな面倒な事はしないらしい。
それで最終的に多少強い薬と言う事で「パリエット10mg」という錠剤を二週間飲んだ。
医者からの説明書には、「胃酸の分泌を抑える薬、消化器潰瘍、胃潰瘍、十二指腸潰瘍の薬」とある。
薬が切れた二週間目に胃腸科に出かけたところ、もう止めたらと言う話し。
2か月は飲めるから調子が悪かったら「また飲んでね!」、「但し効くまで3日かかる」とか。効くまで3日かかるというのなら‥初めから言ってよ‥なのである。
医療費を払う時、1,310円の筈が2,040円。
年寄りの看護婦さん「胃酸逆流炎と言われませんでした?」
そう言われたら、2,040円なのだそうな。結局いつも通りの1,310円を支払って‥‥
またもらってきてから、3日目に調子が良さそうと思って止めてみたが薬が切れるまで3日。
何故か、3日目の夕方には多少気持ちが悪くなるから不思議なもの。
まあ別に、むかつくこともないし、胸焼けがすることもないから多少我慢していたら段々元の調子に戻ってきた感がある。
やはり、無駄な薬というものは百害あって一利なしか。

そうしてまだ調子が良かった9月中旬に申し込んでいた、特定健康診査「特定健診」と「さわやか検診」という集団検診。
その当日というのが11月16日だった。
今回は、何か虫の知らせか初めて「胃カメラ」を飲む予定になっていた。
朝8時半からの検診受付の「医療センター」。
一般病院ではなくて、健康診断専門だから流れ作業で進む。
「胃カメラ」、結果異常なし。
実際自分の胃の中がテレビ画面に映し出されるのだが、妙に変色しているところも何もなかった。
まあこれで、調子が余り悪くなければそのまま自然治癒(?)に任せる?
そのうちまた結果が出たら胃腸科にでも行ってみるかと言うところだ。
それにしても検診が終わったら、B、C型肝炎の血液検査をやったのだとか。
結果は「陰性」だった。
約14年前血液検査をしたら「C型肝炎の抗体がある」(精密検査で陰性)と言われたのだが、最近は相当精度も上がって簡単に分かるようだ。

いずれにせよ、今年は秋口から野暮用が多くなったが多少ヒマになった。
ヒマになったから今まで放置していたパソコンのメンテナンスに時間を費やして、パソコンの突然のフリーズの原因を突き止めて修理したり、バージョンアップしたり5年間程度の後始末。
その一方で、胃腸の調子が悪いと何もする気が起きないというのは不思議なもの。
それで胃腸は、寝ていれば治るというのではないからまたまた困りものなのである。

巷で良く効くことは、退職すると突然病気になったりして場合によっては「大病」をしたりする。
実際、退職する頃というのはそれなりの歳だか、不思議なことに退職して2年以内に従兄弟の様に突然死したりもする。
まあ別に、退職をしたりする商売ではないので「退職して」直ぐあの世に行くと言う事は無いのだろうと思うが、胃腸関係では聞けばあちこちから「○○炎」「○○潰瘍」と言う話が出る。
医者に行けば、もう歳なのだから無理しないようにと諭される始末。

先週、イオンに行ったら店員さんに娘を「お孫さんですか」と‥‥‥
妻~~~「私、娘です!!」と‥‥‥

「お姉ちゃん系」のキャピ・キャピの服の専門店で、娘の服の支払いにCCカードを出しての話だが、孫にしては少々大きすぎないか‥‥
それにしても、今流行のマスクをしていると本当に「爺さん」に見えるのかと思ったりもする。

天皇陛下ご在位20年記念500円硬貨と交換する

2009-11-12 22:14:21 | 雑感・どうでも良いこと

天皇陛下ご在位20年記念500円硬貨と交換する

「天皇陛下ご在位20年記念500円硬貨」が発行されると言うので、2009年11月12日朝8時50分に近くの郵便局に行ってみた。
交換は9時から一人2枚までで「ニッケル黄銅貨は表面に2輪の菊の花、裏面に菊花紋章をあしらった。」「発行枚数は1千万枚で、額面価格で引き換えできる。」というもの。
行ってみたら誰も付いていなくて、9時になって3人だった。
別の郵便局に行った見たら誰も交換していなかった。
そんなこんなで拍子抜けの「記念500円硬貨」の交換だったが、金融機関が集まっているところを廻れば、20枚くらいは楽に交換できたかも知れない。
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まあしかし記念硬貨というものは結局死蔵するもので、使わないから事実上買うのと同じ様な感じがある。
只、営業用にお釣りで渡すというサービスをするのも何カ所も廻って交換すると言う事を考えれば面倒な事である。
そう言えば、例の10万円金貨はどこか引き出しの隅ででも置いてある。
この10万円金貨が発売された頃は結構銀行金利も高かったから、定期預金しておいた方が大分良かった。
何故なら、この10万円金貨というのは額面100,000円の値打ちしかない代物。
何と言っても偽物が出て、それが本物と区別出来なかったくらいだったもの。偽物が出てから現金と交換してしまった人が多かったろうから、今どうなっているか。

郵便局に行ったらついでに記念切手が出ていた。何枚かの切手が入って2,000円。
この手の物とは、どうせ直ぐに金券ショップに安値で並ぶ。
それならば買うかと言えば買わない。
切手収集というのも昔流行って、記念切手が出ると1枚ずつ小学生の頃は買っていた。
それも今から見ればそんなに綺麗なものではなかったが、売るとなると二束三文額面割れだったから幻滅して止めてしまった。
実際は、兄の収集した高価な切手もあってそれなりに取ってはあるが、もう何年も見た事がない。
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ところでこの「記念500円硬貨」とか記念切手を喜ぶのは、昔色々と記念硬貨を集めた世代だけらしい。

子供に見せたら喜ぶと言うより単なる「現金」として貯金箱に放り込む始末。
そんなのなら、「やらねえ~や」取り上げようとしたら「ダメ」という。
いろいろ時代が変わったと思うこの頃である。