15日、フジTVでやっていたドキュメンタリー「大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち」を見た。
この米国ならCIAもどきの活動をした大使館員というのは、歴史に残る人達だろう。
特に、活躍したのは外交官試験を取ったエリートではなく、中途採用と民間からの出向者。
自衛隊出身の武官という点が特徴だ。
もう少し諜報ということをしっかりやっているところならば、本国から実力のある全権の担当者がでむいて直接指揮と言ったところだ。
ただ、日本の場合責任逃れの事なかれ主義だからダメだろうか。
活躍した副参事官、二等書記官は、中東など外務省の上級幹部が行きたがらないところだからこそ、その地位に成れたというものだろう。
日本のプロ外交官という役人は、いわば宴会ばかりしている人達で、それしか脳がないとこの番組で明らかにしてしまった。
なぜなら、事件は本省の命令で韓国に丸のまま放りだし、副参事官、二等書記官が毎回のように、テーブルや絨毯を入れ替えて毎週夕食会をしている風景を映し出しているからだ。
そして、官僚の官僚たる権限という壁を一つも踏み出していないというのは、日本の外務省の馬鹿さ加減を象徴するようだ。
映画、「椿三十郎」の名前は時に思いついた偽名であると映画の中で知った。
椿三十郎の映画では、椿が重要な位置を占めて、名前を聞かれて椿を見ながら「『椿三十郎』もうすぐ四十になるがな」と嘯く。
背景に、満開の椿の花。
黒澤映画というのはモノクロなのに色が感じられた。
そして、適役の室戸半兵衛というのは、藩随一の傑物にして剣豪。
結局藩政の意見の対立なのだが、こんな部分に剣豪の「素浪人」が入り込んでくるという妙な話。
黒澤映画では、最後の室戸半兵衛との決闘シーンの殺陣でどうして‥‥「なんで」というシーンがあった。
映画公開後、随分と問題になったが、黒澤監督も三船敏郎も何も言わなかった。
そして、常々疑問に思っているた事は、椿三十郎とは何者なのかと言うことだ。
近年歴史の時代考証に詳しくなってくると、「素浪人」ふぜいが「藩士」という支配階級になぜ食い込むのか。
しかも、どこから来たのかも知れないよそ者なのである。
何も知らない無邪気な「若侍」が物知り顔の椿を頼りにすると言うのも実は変なのである。
そして、今にして思えば、室戸半兵衛が激怒するのも無理はない。
なぜなら、藩改革に失敗しも「素浪人」には関係がない。
結局どう考えても、椿三十郎は「隠密」でしかないだろう。
今は、こういう侍の無頼漢の映画が作られなくなった。
なぜなら、現実味がない。
国の上級官僚が、フッと寄った旅人か、ホームレスに国の政策を聞くようなものだからだ。
しかし、昭和30年代初頭は、今の日本とは違い税の安い軽負担国家だった。
それは、社会保障の充実していないと言う事と表裏一体であった。
老人福祉も医療も戦前の大家族主義が意識の上で残っていたために、「自己責任」だった。
土地は、安くどこでも家を建てられたのは、都市計画法(昭和44年)という農地と宅地を区別する法律がなかったせいだ。
土地の供給が多ければ、土地の値段は上がらない。
これは、経済の原則「需要と供給」の関係だ。ところが、世の中不思議なもので「マル経」というマルクス経済に嵌った官僚は、これを無視する。
土地の供給が止まり、土地が上がりはじめる。但し、本当に上がりはじめるのは40年代。
日本人が、昔から資産として持っているものは、土地と多少の現金。
ほとんどの資産は不動産で持つ。だから、土地持ちには、相続税がかかるが、不動産が安かった頃はほとんどかからなかった。
‥‥と言う事は、中小企業は相続対策をしなくても容易に息子に継がせられた時代だった。
昭和30年代というのは、日本が社会主義化されない「よき時代だった」。
しかし、今日本の国を見てみれば、政府は自らの金の無駄使いを止めずに、国民から金を取りあげる算段ばかり。
消費税の値上げ、配偶者控除の廃止、相続税の値上げ。
みんな30年代には無かったことだ。
消費税の値上げは、消費社会を放棄するに等しく、国を滅ぼす。
配偶者控除の廃止は、母親が自らの手で子供を育てたいという願望を突き崩す。
識者は、子供は国家が育てる、老人は国家が面倒を見る。これはオカシイ。
相続税の値上げは、中小企業の息子への継続を難しくする。
自宅の土地へは控除があると言っても、工場は自宅ではないし、会社の株は関係なし。
30年代より、より社会主義化してきた日本。
こんな日本には、やはり夢がない。
続・三丁目の夕日の時代とは、全く違った世の中になったというのは、やはりオカシイ。
24日朝日新聞社説「金融危機10年―再生への道は、なお半ば」と日本の金融に関して述べている。
「景気を牽引(けんいん)する企業部門は、銀行からの借金に頼らず、輸出収益による自己資金で設備投資を賄う姿勢を崩していない。結果として、従業員の賃金が抑えられ、個人消費は盛り上がらず、景気の足腰は弱いままだ。」
要するに、ゼロ金利にもかかわらず、大企業は銀行から融資をあまり受けていない。
一方、中小企業は高金利にあえいでいる。
年金、保険などの運用は、ゼロ金利でリスクの大きい投資先につぎ込み大損。
結局、周りに廻って税金で補填という悪循環をしている。
やはり、ゼロ金利政策はもう限界だろう。
続・三丁目の夕日の頃、昭和31年。
丁度、団塊に世代が小学校に上がって、一悶着している頃だ。
一クラス55人、60人など言うことも珍しくなかった。
だから、最大の小学校全校児童1500人なんて言うことも‥‥
そして、教師は戦争帰りだったり、戦前は師範学校の生徒だったという教師ばかり。
特攻隊帰りで、「俺はいっぺん死んだ」と常々叫ぶ教師がいたりして、まだまだ戦争の雰囲気は多く残っていた。
学校の教科書は、分厚く、ゆとり教育どころか「勉強しないと」どこの学校へも行けないと教師が毎回叫ぶ、詰め込み教育が盛んになる。
教科書も、今で言う反日教科書など存在しなかった。
なぜなら、60年前の戦争はまだ「歴史」ではなかった。
そして、嘘を書こうにも誰でもその嘘を見破る「真実」を知っていた。
だから、どんな荒唐無稽なことも「嘘」と見破られて誰も相手にしない。
大江健三郎が言う様な「日本人に対する嫌悪」や、「ねつ造の事実」など誰も言い出さなかった。
しかし、大江(72歳昭和10年1)、福田首相のように昭和一桁時代は、占領中のマック洗脳教育だから特殊なんだなとつくづく思う。
東京の街は都電が走ってたが、地方の路面電車は廃止されていった。
牛乳は確か10円(180ml)。
配達してもらって、誰かが飲む。ヨーグルトになると15円か20円。
朝、豆腐屋の「トーフー」というラッパと共に豆腐屋。街角には、納豆屋。
納豆は、三角の形になって5円。
その後10円→15円→と見る間に上がった。
そして、どこのうちでも「鶏」を2-3羽買っていた。当然、卵を取るためだ。
えさは、時々庭に生えているタンポポや食べ残しの「飯」など。
卵がスーハーで売られる様になってからはどこでも飼うと言うことはなくなった。
ついてに言うと、子供の小遣い週20-30円、一ヶ月100円程度か‥‥
大体駄菓子に消えるか、模型屋の工作を買うというのが多かった。
木製の模型、35円から55円。
考えてみると、あめ玉1円。100円というのは結構大きな金額だった。
世界中で日本ほど妙な国はない。
なぜなら資本主義・消費社会でありながら社会主義を目指しているというものだ。
しかし、考えてみると日本経済が急成長した「高度成長時代」というものは、福祉社会ではなかった。
厳密には、老人福祉などは国家ではなく個人の責任に於いて行われた純粋な資本主義、自己責任の世界だった。
その上、土地の価格が安かったために結果として、土地の地上権、賃借権などの返還が難しくなく、相続税も安かった。
ところが、高度成長が終わりに近づくにつれ戦後教育を受けた人々が社会の実権を握り始めると妙なことが起こる。
その第一は、「好景気」を止めさせて「不況」に落とそうという妙な策謀だ。
基本的には、土地の高騰に対して、土地所有者及び、売却に関して高率の税をかけたり、特別土地保有税、取得税、国土法(価格規制)というような妙な法律が出来た。
これは、共産主義思想では「土地所有者」と言うものは、「打倒すべき階級」と規定されているからまず第一に狙われたと言うものである。
マッカーサーのGHQが真っ先にはじめた、「農地解放」、住宅地の「財産税(税率90%)」というのは、民政局の共産党シンパが行ったものであり、ヘレン・ミアーズは、その偏狭さを批判している。
我々が、学校の教科書で「農地解放」によって日本の農業が救われたというのは誤りで、地域のセーフティネットが外され、より農家は困窮した。
そして、それが解消したのが高度成長による都市労働者の増加である。
判りやすく言えば、「農地解放」では当時言われた単なる「三ちゃん農業」しか育たなかった。
戦後の日本経済は、戦後民主主義者によって「土地の価格」攻撃をくりかえして、バブルのハードランディングまで起こした。
一方、日本の社会というのは米国の10年後を、場合には20年後を進んでいる様に思える。
ボーイハント(1961) という映画があった。
主演はDolores Hart ドロレス・ハート(Merritt Anderws役)、 コニー・フランシス(アンジー役)の歌(同名)で有名な映画だ。
米国北部の厳格な規律の良妻賢母を作るというカトリック系の女子大の女子大生が、春休みの週末に羽根のばしフロリダに「男捜し」に行くという映画だった。
3人の美人女子大生が計画を立て、不参加と迷っていた一番美人でしっかり者のメリットは、もう一人車(オープンカー)乗れるからと車に押し込まれて参加する。
フロリダの海の若者の群れと賑わい、アイビーリーグの学生と偽って女子大生に近づく(かっこいい浮かれた)男達。
なにやら胡散臭さを薄々感じながら、将来のエリート「金持ちの妻」を夢見る女子学生。そんな状況は、30年後には確実に日本にあった。
例のコンパの女子学生暴行事件のようなことなど、映画ですでに描き出されていたのは、普遍的なことだと思い起こされる。
映画では、メリット(Dolores Hart ドロレス・ハート)その暴行事件に巻き込まれた友人に対する対処を冷静にこなすうちに、クルーザーの船員の大学生と知り合う。
ところが、その船員には妙なところがある。
やはり暴行魔の一味かと疑うが、それにしては金持ち過ぎる雰囲気がある。
そのうち、本当のアイビーリーグのHarvard大学の大金持ちの御曹司だと判るが、身分を隠したのは、御曹司と判るとロクナ女性が寄ってこない。
「本当の自分相手」を探すのが目的と明かす。
結局、東部に帰ったら再会を約束する、両親に会わせるというのが落ち‥‥
一番ボーイハントに消極的だった女性が一番高く自分を「売った」という結果になった。
しかし、その御曹司がメリットを認めたのは、清楚な美女と言うのではなくIQが138(程度)という知能の高さで、御曹司はIQ140だと言って‥‥同類と感じたらしいところが転換点になっている。
その辺は、今日本にはあるかなと言うところだ。
なぜなら、米国の個人の能力を重視するその頃風潮と違って、今の日本では、最近近世ヨーロッパ貴族社会の様に、「血統」を大事にする様だからだ。
もしそうなら、日本ではあり得ない設定かも知れない。
Dolores Hart ドロレス・ハートという女優さんは、お気に入りなのだが、調べてみたらこんな映画に出演していた。
* 翼のリズム(1963)‥‥スチュアーデスStewardessもの
* 脱出(1962)‥‥戦争もの
* 剣と十字架(1961)‥‥聖フランシスカスと聖フランチェスカの純愛もの
* ボーイハント(1961)
* 掠奪者(1960)
* 闇に響く声(1958)‥‥エルヴィス・プレスリーもの
* さまよう青春(1957)
* 野性の息吹き(1957)
Dolores Hart ドロレス・ハートという清楚な女優さんは実は、その後尼僧の映画に出た後、本当に修道院に入ってしまった人だ。(淀川長治)
小説「教授の娘」(教授の娘 The Professor's Daughter (1971)古沢安二郎訳 早川書房 )では、上流家庭の崩壊が書かれている。
娘は麻薬に溺れ、美貌の妻は同僚に寝取られ離婚を突きつけれられる。
絵に描いた様なエリート階層の崩壊は、保守派として学生に人気があった人物の苦悩を描く。
日本には、どこまで進行しているかは不明である。
少なくとも、米国ではほとんどが非正規労働者であったという時代は、日本には現実問題になりつつある。
米国の南北戦争(American <wbr>Civil <wbr>War,1861年-1865年)というのは、非常に妙な時期に起きている。日本は幕末の混乱期に当たり、ヨーロッパではクリミヤ戦争(1854-56)が終わって厭戦気分が蔓延していた時代。
そして、映画となると西部劇と関連して語られることが多い。ジョン?ウェイン(John <wbr>Wayne)と言えば、西部劇、騎兵隊という印象が強い。
「アパッチ砦」、「黄色いリボン」、「リオ・グランデの砦」とジョン・フォード監督による騎兵隊3部作で有名で、特に黄色いリボンの主題歌は今でも耳に残るものだ。
しかし、この背景は、インディアン狩りを背景にしている典型的なもので今の基準としては容認できるものではないだろう。
そういうジョン?ウェインの西部劇作品の中で「騎兵隊」(The <wbr>House <wbr>Soldiers <wbr>1959)という南北戦争を背景にしている映画は、一線を画している。★★★★★
場面は、北軍不利の形勢での北軍のマーロー大佐(ジョン・ウェイン)と軍医ケンドール(ウィリアム・ホールデン)との確執を描くもので、あまり大胆な戦闘シーンは見られず、ジョン・ウェインというのは乗馬が上手いと感心させられるシーンばかりだった。
後半、撤退中の北軍部隊をも統合して南軍からの逃亡を図る。最後、別の北軍将校(大尉)がその指揮ぶりを感心して聞く‥‥‥「彼はウェストポイントか?」
ケンドール軍医少佐は、「私はウェストポイントだが、彼はどうだか聞いてみたら」とニヤリとしていう。
その将校は、先頭の馬に走り寄って、マーロー大佐に、「West <wbr>Point?」と聞く
マーロー大佐は、「Part <wbr>Time!」では行くぞで終わる。
日本語字幕では「臨時雇いだ」と訳していたが、正確には「予備役」やはりパートタイマーという響きが秀逸だった。
さて、西部劇、南北戦争ではなぜか「ウェストポイント」という士官学校出かそうでないかを問う場面があったりする。
TV映画「ララミー牧場」〔Laramie〕(1960年6月23日からNET(現テレビ朝日)で放送)は、南北戦争直後のワイオミング州ララミーを舞台にしている。
確か主人公スリムは、南北戦争に参加した元北軍の騎兵少尉の予備役で、何年かごとに招集を受けて昇進し番組最後には予備大尉になっている。
この中で、やはり「ウェストポイント」に関して、この地域でただ一人合格するというこの士官学校を受験するという青年を預かるという回があった。
入試成績は満点で合格と思ったら不合格。
なぜなら、もう一人満点がいて現役の軍人の息子。軍人の息子の方が優先なのだそうだ。
番組では、大統領に誓願して目出度く入学という事だったらしい。
そんな話の逆がMacArthurだったような気がする。「ウェストポイント」の試験に落ちたMacArthurの母親は大統領と直談判して入学を認めさせたという。MacArthurの母親は典型的な教育ママであることは有名だから、さもありなりなんということだ。
そんな、「ウェストポイント」出身者、特にワシントン近郊のエリート層の将校を描き出したのが映画「グローリー」(Grory <wbr>1989米)である。★★★★
主人公の北軍将校ロバート・グールド・ショー大尉は、パーティに明け暮れたり、妙齢の美人の女性たちとのうわさ話に明け暮れる毎日。
南北戦争も中盤1863年奴隷解放宣言公布後、「ゲティスバーグの戦い」後の膠着状態を背景にしている。
そこで、政府は黒人連隊(北軍第54連隊)を創設しその指揮官にショー大尉を指名する。
激戦は、1863年7月18日のフォート・ワグナーの戦いと言うが史実では「ヴィックスバーグの戦い ミシシッピ河畔の要港を北軍が攻略」なのだろうか不明。
こんな時は、やはり日本の陸軍で常識だった「指揮官先頭」なんだねぇ。
要塞に先頭で突撃するのだから戦死は確実、但し、ナポレン(Napoleon)には弾は当たらないから不思議なものだ。‥‥銃の精度が違うけれど。
結局、黒人部隊が続々創設されて、激戦地の捨て駒(突撃部隊)にされる。
南北戦争というのは、こういうカラクリがあったのかとしみじみ感じさせるものだった。南軍には以後勝ち目はないわけだ。
戦闘力は兵力の二乗にに比例する。
一方、南北戦争には、「遊撃隊」という後方攪乱ゲリラ部隊があった。
最初に始めたのが、劣勢だった北軍。南部の裕福そうな民家を襲って皆殺しにしたりするのを中心として、列車強盗、銀行強盗など何でもやった。
それに対抗して南軍側も「遊撃隊」を組織して、北軍の遊撃隊を迎え撃ったり逆に北部の列車強盗、銀行強盗を働いた。
その遊撃隊の戦後を映画にしたのが「ロングライダース」(The <wbr>Long <wbr>Riders <wbr>1980 <wbr>米)だ。★★★
その間、「風と共に去りぬ」1938ビビアン・リー, <wbr>クラーク・ゲーブルがあるが、ビビアン・リーの美しさは光るものの、全編を見るというのはきつかった。大体途中で止めるというのが大体の意見だ。
「ロングライダース」‥‥‥南北戦争終結直後、あの西部劇で有名な「ジェシー・ジェームズ兄弟」その他「ヤンガー兄弟」を題材にしている。
なんと言っても、南北戦争が終わり南軍「遊撃隊」は出頭せよという大統領命令(知事)が出る。
出頭すれば、無罪放免、しなければ犯罪人として永久に追われるというもの。
そこで、「ジェシー・ジェームズ兄弟」(カントレル遊撃隊Quantrill's <wbr>Raides)など南軍遊撃隊は、指定されたテントへ向かう。そこで、罠だという意見と対立するが、「信じる」という遊撃隊の一部が投降し、様子がおかしかったら「合図(帽子を脱ぐ仕草)」をするから「来るな」と‥‥
投降した遊撃隊員は、知事との協定書にサインをしろという。
サインすれば釈放だと言う。ところが、ぐるりを警備隊に囲まれ、かって敵方だった北軍遊撃隊の隊長が陸軍大尉の軍服を着て薄笑いしているではないか。
当然、帽子を脱ぐ仕草である。
全員がサインし終わると、これで投降した「遊撃隊」は消滅した。
後は、あの連中だけと将軍は、ジェームズ兄弟をあごでさししめす。
なんと、投降した南軍遊撃隊の前にガットリング機関砲が、その場で全員撃ち殺されて本当に消滅した。
あ~~米国というのは、インディアン狩りと同じように都合によって平気で嘘をつく。
戦争の実態というのをみた気がした。 <wbr>
ジェームズ兄弟一行は、それ以後列車強盗で恐れられるが、元々南軍の軍人だったから生はんかの無法者とは訳が違った。
史実によれば、1882年4月3日ジェシーは、仲間のロバート・フォードによって10,000$の懸賞金目当てに背後から狙撃され(死亡)、兄のフランクは、半年後に州知事のところへ出頭したという。
裁判となり無罪放免され平凡な生活を送ったというが、本当のところは不明。
なぜなら、都合の悪いことは、史実として嘘をつくのは米国人の常套手段だからだ。
13日、日本テレビで始まった「ドリーム☆アゲイン」は、映画「天国から来たチャンピオン」のリメイクのようだ。
元々、ウォーレン・ビーティが主役の1978年制作・原題:HEAVEN CAN WAIT「天国から来たチャンピオン」(1978年度アカデミー賞 美術監督賞受賞、1978年度ゴールデン・グローブ賞3部門受賞(最優秀作品賞、主演男優賞、助演女優賞))は、「幽霊紐育を歩く」1941年制作・原題:HERE COMES MR. JORDAN(1942年度アカデミー賞 最優秀脚色賞・原案賞受賞)のリメイクだ。
「幽霊紐育を歩く」では、ボクサーだったのが、「天国から来たチャンピオン」ではフットボール選手の有名なQB。
良い映画は、何回もリメイクされるが、三回目にリメイクされた「天国からきたチャンピオン2002」原題:DOWN TO EARTHは、日本未公開だ。
この中で、「天国からきたチャンピオン2002」はDVDを買って見始めたが、結局最後まで見ずに止めてしまった。
なぜなら、主人公が黒人のコメディアン、ブロードウェイの小さな劇場での話と来るとどうもピンと来ない。おまけに何が面白いのかも分からない。こんなのだから、日本公開されなかったのだろうと思う。当然なにがしかの賞も取っていないB級作品に仕上がっている。
さて、日テレ・新番組・ドリーム☆アゲインでは、「天国から来たチャンピオン」の設定に似ていて今度は巨人軍のプロ野球選手「満塁男」小木駿介(反町隆史)(設定34歳)になっている。
「幽霊紐育を歩く」から続くジョーダン役は、天国省・田中(児玉清)で、物まねをする芸人と同じだったので、はっきり言って笑ってしまった。
結構良い味を出しているが、従来の映画とおりで映画を知っている人から見ると何か物足りないものを感じる。天国は、天国ではないのだから。
但し、岸部一徳がやったら何やら「悪魔」の使いになる。
「天国から来たチャンピオン」では、私が見たところあまり美人女優というタイプの女優さんが出演していなかった気がする。大富豪なのだから少しは、美女でも侍らせるかと思ったらそうでもなかった。
新番組・ドリーム☆アゲインには、加藤あい、青田典子などの綺麗どころは出てきて、青田(牛山百子役)の社員はバブリーなところが良かったが、加藤あい(人権派弁護士・二ノ宮颯乙役)は年齢的にどうも合わないような気がする。(実年齢25歳)
はっきり言って若すぎる。小木駿介は、34歳だから少なくとも30歳はなっていないとなどと思ったりする。
今回、「天国から来たチャンピオン」には無かった「実の娘」が出てくるが、はっきり言って結論が見えてしまったようなのはあまりわくわくしない。
しかし、「水戸黄門」のようで安心して見ていられる気がする。
ストーリーは、もう見なくても分かる。
ストーリーを予想すれば‥‥
投資ファンドのワンマン社長・朝比奈ファンドは、二ノ宮颯乙が交渉に来た会社の買収を止め二ノ宮颯乙に見直される。
又、徐々に会社の軌道修正し、強引な買収M&Aも控えてくる。
会社の軌道修正によって、業績は落ちるが騰貴は減って堅実経営を目指すようになる。
実は、金融庁が違法行為を狙っていて証拠をつかもうとするが、朝比奈孝也(小木駿介)の事業縮小によって手がかりを見失う。
一方、野球に対する情熱は燃え、トレーニングに励みプロテストを受けられるような体になってくる。巨人軍コーチの前田からもプロにとの話もちらほら出で、希望に燃えてきたところで、天国省の田中(児玉清)が出現して体の消費期限が来てしまったという。
朝比奈孝也(小木駿介)は、今日死ぬことになっていると宣言する。
もう少しで夢が実現すると抗議するが、天国省のまたもやミスだと逃げられる。
結局、又、違う体を探すと探し始める。
朝比奈孝也(小木駿介)が死ぬと、なぜか皆が悲しみ、実の娘も二ノ宮颯乙も寂しく思ったりする。
丁度その頃、プロ野球のホームランバッターAと言われた巨人軍野球選手が倒れ、その体に乗り換えてよいという。早く、時間がないとせかされて、ホームランバッターAに‥‥。
巨人軍は、この日は劣勢で1対4で負けている。最終回もツーアウト満塁。
ここでAが登場、何やら「満塁男」の故小木駿介の「予告ホームラン」ポーズをして球場がどよめく。
しかし、大振りで空振りし、2-3で後がない。最後の一球、外した球をホームラン。
満塁さよならホームラン。
試合が終わると、天国省の田中(児玉清)が再び現れ、「これで満足したか?」という。
「満足した!」
「これで、小木駿介とはお別れだ、小木駿介の記憶は無くなるホームランバッターAとして生きろ」という。
プロ野球選手小木駿介(反町隆史)は消え、ここに新たなホームランバッターAが誕生する。
球場に、二ノ宮颯乙(加藤あい)が現れ、昔の恋人・プロ野球選手の小木駿介(反町隆史)を懐かしんでいる。今日は、一年前故小木駿介が無くなった命日だった。
球場に人影が無くなり、昔小木駿介を待っていたのをなぞる様に、選手控え室の近くに佇んでいると、満塁ホームランを撃ったホームランバッターA(反町隆史)が現れる。
そこで尋ねる、なぜ故小木駿介の真似をしたのか?
「えっ!」 とAは答えに窮するが、「何となく駿介の真似をしたかっただけさ、なんとなくね」という。
そうして、何やら親しげに話しをしているうちに、指輪に気づきそういえば川で拾った同じものを持っているという。
指輪には、二ノ宮颯乙の刻印が‥‥‥
何やら縁を感じて、一緒にお食事でも‥‥
で終わり。
「天国から来たチャンピオン」に沿って想像すればそんなところ。
結構甘いラブコメデイだなぁ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃の映画館
映画を初めて見たのは、いつのことだろうかと思う。なぜなら私は、気がついたときにはいつも映画館に連れられて言ったからだ。
三丁目の夕日の頃の前、お昼寝の時間になぜかたたき起こされて母の背になり、大通りになると下ろされて歩かされた。
信号‥‥まだそんなものはない。
幅20メートルもある広い国道は交差点の真ん中にお巡りさんが交通整理で立っていた。
車はもさすが幹線道路で、絶えることはなかったがボンネットバスと三輪トラックがほとんどだった。
今では、シャッター通りになってしまった下町の繁華街。当時は大きな映画館が3つ、駅前に二つあった。平日の午後行った映画館は、オリオン通りと名前が残るオリオン座。
主に洋画を中心にするいわゆる高級ロードショー館。
ところが、母は直接映画館に行ったりはしない。映画館の周りのタバコやとか、洋菓子店、お茶屋などをハシゴしている。
何軒か回って、映画館のすぐ前のタバコ屋の天井から下がっている券を指して買ったり、時には映画のポスターの貼ってあるところで聞き込んでいた。
後から聞いたら、ロードショー当日に前売り券の余っているのを買うのだそうな。
そんなに映画が見たかったら、予め前日に来て前売り券を買えばよいと子供ながらに思ったが、なぜかいつも繰り返していた。
本当に分からない行為だった。
見た映画は、字幕だったからほとんど分からない。映画館に入ってそのまま寝て、気がついたときには暗い夜道を母の背で目が覚めた。
蛍光灯でない「黄色い電球」で照らされた大通りは何かもの悲しかった。
だんだん大きくなったある時、「ベンハー」を見た。字幕で長編だからほとんど寝ていた。しかし、起こされたのは最後の「戦車競争のシーン」だった。
字幕がないから見なさいと言うわけだ。大きくなって、「ベンハー」は何度も見た。
いつも、昔の映画館の思い出を思い起こすものの、あの感覚は感じなかった。
字幕でないものは、「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年‥昭和32年)。
佐田啓二と高峰秀子が灯台守の夫婦になって全国の灯台を回る。
「おいら岬の灯台守は…」の主題歌が有名だったが、これだけはほとんど全部見た。
後年TVで見たら退屈で最後まで見られなかった。
それはそうだろうなと気がついたのは、当時の佐田啓二と高峰秀子というのは美男美女の代表だったからだ。
だから映画より、佐田啓二と高峰秀子を見ていたと後に思いついた。
実は母が佐田啓二のファンだった。‥‥TV時代になって、佐田啓二が自動車事故で無くなったときは結構落胆していた。
この頃既にゴジラという怪獣映画(1954年‥昭和29年)は、話には聞いたが見たことはなかった。怪獣映画を初めて見たのはラドンだった。「空の大怪獣ラドン」(1956年)
気味の悪い映画で母に連れられて兄と行ったが、母はこんな映画は嫌だと二度と連れて行ってくれなかった。
実は、その後の映画はほとんど怪獣映画だった。小さいときは兄と、小学校高学年になったら近所の子供とである。その時、怪獣映画と抱き合わせだったのが加山雄三の「若大将シリーズ」と実は007シリーズ「007は殺しの番号(007 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">ドクター・ノオ)」1963だった。
映画というのは、結構抱き合わせの映画の方が面白かったりするから不思議だ。
東京でのロードショーは、有楽町でカンヌグランプリを取った「マッシュ」を見た。
平日の午後有楽町の映画館はガラガラだった。しかし、地方の映画館とは雲泥の差。大迫力だった。しかし、このマッシュの完全版を見たのは試写会の人達だけだったというのはほとんど知らないはず。
なぜなら、映画評論家として絶大な権力を誇った淀川長治氏が130分‥2時間10分は長い、2時間が望ましいと言って文句を付けたのだ。
だから劇場公開版はしっかり2時間になった。だからカットされたという部分が明らかに分かる。でも、朝鮮戦争時代の野戦病院の様子がコミカルにちゃかして描写されていたのは良く分かった。
しかし、今DVDを買うと116分に短縮。
短縮された部分は
<wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">1.手術のシーン多数。その他野戦病院の激務実態描写。
特にドナルド・サザーランド(ホークアイ)などが名医であると言うシーン。介添えの看護婦があまりの鮮やかさに驚く…という場面。
これがないと、ホークアイが病院の中で早くも尊敬を集めるという設定が解らない。
2.韓国人の手伝いの青年の徴兵検査を逃れるシーン。これに続いてこの青年が負傷してこの病院に担ぎ込まれるシーン
3.フットボールの練習のシーン。…院長が経験がない等の「笑えるシーン」
4.日本でのゴルフのシーン但しこれは、劇場版でも未公開。
5.フートボールの試合のシーン多数。
6.その他ホットリップス事サリー・ケラーマン扮する婦長(少佐)に纏(まつ)わる数多くのシーン。
7.そのたコメディとしての戦争の馬鹿馬鹿しさを表した多数のシーン。
こんなところであるが、もう一度見られないのが残念だった。
東京に住んでいたときは、年間試写会で30本ほど映画を見た。
ヤクルトホールでは「サスペリア」の試写会。失神者続出という前宣伝だったが、会場をドルビーサラウンドの音が回るというおどろおどろしさか、失神者がでた。
その他試写会は、日消ホール、日生ホール、虎ノ門ホール、どこかの試写室など。
中には、「テロをする」という脅しで、ロードショー出来なかった映画も見た。
心に残る映画は、今ではDVDを買って何度も見ると言うことも出来るが、昔の映画はそうも行かないことがある。
<wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">パットン大戦車軍団Patton‥‥
1970年アカデミー賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">作品賞
1970年アカデミー賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">主演男優賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">ジョージ・C・スコット
1970年アカデミー賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">監督賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">フランクリン・J・シャフナー
1970年NY批評家協会賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">男優賞 <wbr style="color: rgb(0, 102, 204);">ジョージ・C・スコット
新宿のロードショーで見たが、今あるDVDはカットが多くで全編見られないのが惜しい。そんなことを言えば、オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」1956もそうなのであるけれど。
映像を直接DVDに書き込む?
文末の方を見たら「60分程度の映像で、ブロードバンド回線を使った場合、転送から書き込み終了までの時間は15分から45分。」
誰も60分の映画など見たりするものか。
映画というのは、大方120分。DVDを見てみれば分かるが、普通二層のDVDになっている。だから一層の安いDVD-Rの4.5Gb程度の内には入らない。
その上、ノート型パソコンの低性能のDVD-RWドライブではこんな書き込みは荷が重いだろう。
しかも、DVD-R書き込みには、失敗が伴う。
普通パソコンソフトをダウンロードで買う場合、ある期間内はダウンロード無制限か、期間の設定はないが、回数が限られているという場合が多い。
こんな時、DVD-Rに直接書き込む販売方法ではどうするのであろうかと思う。1回限りでは、エラーでDVD-Rに書き込めなかったりすることがある。
又はブロードバンド回線の渋滞から、DVD-Rへの転送エラーと言うこともある。
多分、回数制限をつけてダウンロードと言うことにもなろうが、結局その回数だけ複製品が出来てしまうこともある。
実は、この盆休みに久々レンタルDVDを借りてきてみた。これは、「三銃士 <wbr>妖婦ミレディの陰謀」というエマニュエル・ベアール主演のB級フランス作品だ。(1時間40分・2005)
デュマの原作の「ダルタニアン物語」の第1部・三銃士は、随分と映画になっている。四銃士から、レディ三銃士までいろいろあったが、その中でも傑出しているのか1948年作の「三銃士」だろう。
これは、「水野晴郎のDVDで見る世界名画映画」の中にあり、一応買ってみた。
<wbr>主演がジーン・ケリー、ミレディ(Milady)がラナ・ターナー、ボナシュー夫人(Constance <wbr>Bonacieux)がアンジェラ・ランズベリーという女優さんでなかなかの映画だった。実は、この映画は昔名画劇場のTVで見たことがあったが、DVDになって多少カットされていた。多分ワード子爵の部分その他だ。
17世紀のことだから、近世というべきだが、こういうシーンを米国が作ってしまうと何やら時代考証無視で、あまりに豪華に作ってしまう。
ルーブル宮殿が作られるのは、ルイ14世だし、当然豪華な派手な衣装もその頃から。
さすがナポレオン3世がパリ改造するパリは表現せず、もとの狭い路地の様なパリの街路は表現されている。
元々デュマの「ダルタニアン物語」というのは、時代考証無視の部分がいろいろある小説である。なぜなら新聞に載せた大衆が読む小説だったからだ。
だから、それをそのまま映画にすると、何やら辻褄が合わなくなる。そこで、1948年の「三銃士」のコンスタンス(Constance <wbr>Bonacieux)が独身だったりする。‥‥下宿屋の女将なのにね。
但し、宮廷夫人だから美女、但し清楚系。
小説では
「年のころは25か6くらい、なかなかの美人である。髪の色は栗色で、目は青く、鼻はやや仰向きだか、歯並みはきれいで、バラ色と乳白色の肌はまるで大理
石のよう。だが貴婦人と見まがうばかりの特徴はそれでおしまいだった。手は白いには白いけれど華奢な感じがなく、足の形も身分のある婦人とはどう見ても受
け取れない。……」
それに、ミレディという所謂ゲルマン系(?)の妖婦は、小説では兎に角「いい女」の絶世の美女という設定だ。
当然、宮廷に出入りしても品の良い、良家の、そして身分の高い貴族の奥様の雰囲気の筈なのである。
だから、どこへ行ってもフリーパスで、さあ「奥様」と言うことになる。
この辺が、良く分かっていないというか、ミレディを演じる女優さんにイメージそのままていう人はいない。
ラナ・ターナーも充分魅力的な女性を演じているが、ゲルマン的ではない。今ならニコール・キッドマンぐらいならと言うところだ。
さて、「三銃士 <wbr>妖婦ミレディの陰謀」‥‥これは、ミレディ(Milady)がいきなり「魔女」になってしまった。それも、悪魔と契約を結んだ強力な魔女だ。それをエマニュエル・ベアールが演じるが、魔女には適任だが、ミレディには似つかない。
ボナシュー夫人を演じる女優さんは、アンジェラ・ランズベリーそっくりで、中々良い味を出している。
王妃アンヌ・ドートリッシュは、中々だったが少し老けすぎ。
時代考証は、さすがフランス映画だけのことはあり、大げさなルイ14世時代の軍隊や銃士隊の服装はさせていない。
ダルタニアン自体、「ダルタニアン物語」では伯爵(ブロヌジェンヌ子爵の項目)だが、映画では銃士隊は、貴族の末席のシュバリエ階級がほとんどだから、シュバリエと称号をつけている。
映画は、三銃士を題材にはしているが、全く違うオカルト映画だ。
好感を持てたのは、史実の時代背景を比較的忠実に表現したことぐらい。
いずれにせよ、いっぺんはまともな三銃士の映画を見てみたいものだと思う。
当然のこと、デュマのインチキ時代考証を廃してである。
そして、史実上の人物で、小説にも登場する大陰謀家であったシュヴルーズ公爵夫人が、いずれの映画にも登場しないのは脚本家がフランスの歴史を知らない証拠だ。
この映画、WOWOWにでもと思ったが、気がつかなかった。
よくWOWOWの番組表を見たら、わざわざレンタルDVDを借りなくても放映されていたかというものもあり‥‥‥と思うものである。
映画というものは、国民性を表す文化だ。
AOLが作った偽ドキュメンタリー映画「南京」は、多分日本では出来ない映画だろう。
なぜなら、日本には虐殺文化がないからだ。歴史をひもとけば、織田信長、豊臣秀吉時代しか歴史上確認されていない。
一方、中国は、虐殺の歴史だ。それは、秦の始皇帝よりもずっと以前の商王朝の人間狩り、処刑から始まる。
項羽・劉邦の項羽は、10万人の捕虜を穴埋めにし、ずっと下がって三国志でも虐殺はある。
国民党軍との戦いでは、八路軍の包囲によって、南京で20万人が餓死した。
毛沢東の政策でも何十万単位の人が死んだ。
米国も、実は虐殺の歴史だ。
それも、メイフラワー号東海岸に到着(1620)したときから、虐殺が始まる。
即ち、サンクスギビングディ‥‥1621年秋
清教徒達は、冬が近くなり食べ物がなくなった来たところ、近くのアメリカインディアンの助けを受けた。
ところが、夜になるとそのアメリカインディアンの寝込みを襲って、皆殺しにし食べ物とその土地を奪ったのである。
収穫祭とは、アメリカ・インディアン狩りの事だ。
それ以後、アメリカ・インディアン狩りが南北戦争後も続いたのは西部劇を見れば判る。
アラスカでは、アラスカ原住民の抹殺。
ハワイでは、王族の抹殺。
フィリッピンでは、10万人以上の虐殺。
二次大戦のドイツとの戦いでは、ドイツ軍捕虜を捕虜と認めず、食料を与えないまま、赤十字の支援を阻止してまで、野宿させ5万とも6万とも判らぬドイツ人を虐殺。
そして、日本との戦いでは、日本の捕虜は、民間人、軍属、女、子供、赤ん坊にいたるまで、空港の真ん中に集めて火炎放射器で焼き殺した。(リンドバーグ将軍の日記)
米国も中国もよくよく見れば、虐殺はDNAとして持っている民族だ。
そうでなければ、南京大虐殺は20万人という数字は理解できない。
そして、映画でやっている虐殺は、中国人、米国人が犯してきたそのままの姿であることがよく判る。
今でも、オリンピックやマンション建設での立ち退きに暴力をもちいているのが報道されるのは、その現れてあろう。
文化や国民性の違いを理解するのは、中々難しいものだ。
カンヌ国際映画祭と言うものは、ほとんどつまらない映画だ。
もともと、映画が公開されて、ある程度の評価を得る中で「賞」を与える「アカデミー賞」とは大違いだ。
かといって、今話題になっているパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズも元々B級作品で、つまらないと言えばそうである。
ただ出演している俳優を見るという事もありかも知れない。
カンヌ国際映画祭グランプリ作品、昭和45年公開のマッシュ MASHは、今でも印象に残る。
出演: ドナルド・サザーランド/エリオット・グールド/トム・スケリット/ロバート・デュバル/サリー・ケラーマン
朝鮮戦争時代の陸軍野戦病院の物語なのだが、この映画のオリジナルを見ることが出来ないのは残念だ。
そもそも、日本公開に際して、 確か、試写会では2時間10分であったと淀川長治氏が述べていた。
しかし、この淀川長治氏が「映画が長い」との鶴の一声で劇場公開は2時間に短縮された。
カットされた10分の映像は、試写会を見た人しか見ていない。
印象として、淀川長治氏はこの映画がよほど嫌いだったようだ。
コメディタッチで描かれた映画だったが、中々真実を伝えていておもしろい映画だった。
その映画は、今DVD化されているといいながら、なんと116分しかない。
劇場映画版から4分もカット。
本来の日本公開版から14分もカットされれば映画の内容も自ずと違ってくる。
今のDVD版は、元々の映画とは似ても似つかぬ映画だと断言できる。
劇場版から、カットされたと思われるシーン
<WBR>1.手術のシーン多数。その他野戦病院の激務実態描写。
特にドナルド・サザーランド(ホークアイ)などが名医であると言うシーン。
介添えの看護婦があまりの鮮やかさに驚く…という場面。
これがないと、ホークアイが病院の中で早くも尊敬を集めるという設定が解らない。
2.韓国人の手伝いの青年の徴兵検査を逃れるシーン。
これに続いてこの青年が負傷してこの病院に担ぎ込まれるシーン
3.フットボールの練習のシーン。…院長が経験がない等の「笑えるシーン」
4.日本でのゴルフのシーン‥‥但し、これは劇場版でも未公開。
5.フートボールの試合のシーン多数。
6.その他ホットリップス事サリー・ケラーマン扮する婦長(少佐)に纏(まつ)わる数多くのシーン。
7.そのたコメディとしての戦争の馬鹿馬鹿しさを表した多数のシーン。
要するに、これは「反戦映画」なのであるがさっぱり分からないものになってしまった。
日本公開版の劇場版もDVDで完全に残らなかった不思議な作品ではある。