難波橋筋と伏見町通の東南角にある「伏見ビル」。その、東隣にあるのが「青山ビル」。
レトロビルが並んで残っているのも珍しい。いずれも大正時代の建築と言う。
伏見ビルは、元はホテル。青山ビルは、個人の邸宅だった。現在はテナントビルになっている。
土佐堀川から南へ下がった今堀通にある武家屋敷風の木造建築。
これが、「大阪市立愛珠幼稚園(あいしゅようちえん)」だ。
明治の初め、北船場の連合町会の人たちは自分たちの手で幼稚園をつくり、
やがて、市に移管する。
重要文化財のこの建物は、明治34年(1901)の建築になる。
幼稚園の玄関前には、「銅座の跡」の石碑が建っている。
江戸時代、日本は世界一の「銅の生産国」だった。
幕府は、「大阪にその銅を集め精錬させた」という。
銅座として栄えた記録の石碑である。
それにしても、あの、太平洋戦争の激しい空襲を逃れて、
よくも、これだけの建物が残ったものだと感心する。
ここに登場する建物は、すべて、昭和20年以前に造られたものだ。
まして、木造建築物まで現存している。
大切に後世に伝えていかねばとの思いを新たにした。
(写真は3月29日撮影 この項、おわり)