"四季折々 この一枚″

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陽春に「尼崎城」を見る

2019年04月17日 14時22分44秒 | 報告


 昨日4月16日、阪神電車「尼崎駅」の南側から約5分の地に
完成したばかりの
「尼崎城」を見てきました。

棟の高さ、24.399m。鉄筋コンクリート造り、地上5階建て。
天守の形式は4重天守、2重付櫓。

 

建築面積641㎡余、延床面積1,408㎡余の堂々とした天守閣です。


南側の入口で入城料、500円を払って、エレベーターで5階の一番上まで上がります。


最上階の眺望は素晴らしく、東西南北、ほとんど遮るものはなく遠くまで見えます。

 

この額は最上階から北を見た説明写真で、すぐ近くのレンガの倉庫は、
阪神電鉄旧尼崎発電所です。

1階から4階は、見学者を楽しませる工夫がされており、各階に
イベントコーナーが
設けられたいました。

 これは「名城手拭百城」と題した「萩原一青デザイン」の日本の城を描いた手拭の展示。

 「着付けコーナー」まであり、お城の衣装を着てみる男性や子供もあり、
それぞれが、一日サムライを楽しんでいました。

この他、ワイドスクリーンの観覧席まで設置され、入城者が楽しめるつくりになっています

 


大阪夏の陣のあと、徳川幕府は大阪を直轄地として西国支配の拠点にするため
1617年(元和3年)、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)に尼崎城を築城させ、
以後、青山、松平と代々、譜代大名が藩主を勤めました。

 

尼崎藩はここを拠点に、摂津の国川辺郡から、宝塚、川西、西宮、
伊丹、さらには、芦屋から神戸市の須磨区あたりまで治めた、と言われています。

尼崎城は、「琴浦城」、「尼丘城」ともいわれていました。

尼崎を発祥の地とするミドリ電化(現 エディオン)の創業者が
10億円以上を負担して建設、昨年の11月30日、尼崎市へ寄贈したものです。


比較的小さな天守閣ですが、新しいだけに美しく、
見栄えのするお城でした。

最後のカットは、阪神電車、尼崎駅の北側から、線路越しに
新築なった「尼崎城」を見たところです。

なお、月曜日は休館日と言っていました。

 

 

 

 

 


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