福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

センパイはキビシ~

2007-04-20 01:29:00 | 下宿の思い出シリーズ

Photo_64私が大学院生の頃、研究室には、卒研生から、大学院修士や博士の院生、そしてOD(オーバードクターのこと:学位取得後も就職先がなく、研究室に研究生として在籍)まで居て、年齢差は一回り以上。35歳前後のODのセンパイが何人かいらして、優秀な方でも研究職に就くのはきわめて困難であることを容易に理解できました。

センパイたちは学問に関してとても厳しく、ちょっとでもいい加減な議論をしたりすると、コテンパンにやられてしまうのです。私などは、雪国育ちのせいか、根っからの内向的な性格であったため、センパイたちについていけませんでした。センパイにいじめられカツを入れられ、精神的に参りました。とうとう、修士1年の夏には新潟に帰ってしまい、1ヶ月半ほど研究室を休んでしまいました。

夏の終わりの頃、新潟の実家に指導教官から電話がかかって来て、「そろそろ研究室に出てきたら?」と言われ、止むなく、東京に戻りました。

今から思うと、新潟から大都会東京に出て行って、カルチャーショックが大きかったのでしょうね、不器用な人間ですから。

その頃の下宿先は、東京都目黒区八雲の古い木造の家。おじいさん、おばあさんが住んでいて、下宿部屋は3つ。家賃は月12,000円。お風呂も台所もなく、部屋と共通トイレのみの底辺下宿。銭湯に行くお金がなかったので、理学部地下室にあった守衛さん用のお風呂を利用。その利用にあたっては、当時の理学部長(金子洋三郎教授)に交渉し、貧しい院生のために開放してもらいました。この貢献で、私は、理学部風呂利用委員会の初代委員長でした!

さて、かの4畳半の下宿部屋ですが、入り口は施錠もできません。私の部屋は真ん中で、隣の部屋との間はほとんどベニヤ板一枚。プライバシーは皆無と言っていいほどです。

両隣は生物学教室のセンパイです。右隣のセンパイは、集団遺伝学の研究をしているOD。「ひ」と「し」の区別ができない、典型的な江戸っ子。お酒がお好きなセンパイで、よく飲ませてもらいました。飲みながら、いつも説教議論です。当時のセンパイの研究材料は鴨だったのですが、遺伝的解析にはほんのちょっとの肉片があれば十分。研究室の忘年会には、決まって研究材料の鴨が放出され、恒例の鴨鍋大会です(鴨の毛をむしる係は、最下級生)。そのおかげで、すっかり鴨にはうるさくなりました。

左隣のセンパイは、ミジンコの研究をしていた博士課程の院生。ヘビースモーカーの横浜っ子。このセンパイも、やはり、説教議論好きで、頭の回転がすこぶる速いのです。スローな私は、いつも、気がついたら、置いてきぼり。

こんなふうに、大学の研究室でも、下宿でも、24時間徹底的に厳しいセンパイから鍛えていただきました。当時は結構辛かったのですが、今となってはとてもありがたく思っております。遠慮なく議論してくれるのは、こうしたセンパイだけかもしれません。彼らの良さは、後のフォローをきちんとしてくれることです。

あれから、20年が経ち、右のセンパイは四国地方の最も大きな大学の教授に、左のセンパイは東北地方の最も大きな大学の教授になっておられます。

今でも、センパイ-コウハイの関係は変わらないのは良いのですが、20年以上も前の私の恥ずかしいエピソードを私の研究室の院生たちにバラさないでネ、センパイ!


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2 コメント

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3人とも有名な先生になられているとは素晴らしい... (Eugen)
2007-04-20 00:27:33
3人とも有名な先生になられているとは素晴らしいですね。
さながら,この分野の「トキワ荘」と言ったところでしょうか?
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Eugenさま (福井)
2007-04-21 05:37:28
Eugenさま

秀逸なコメント(←「6号館のTさん」の言をお借りしました)ありがとうございます。相当に変わった下宿人たちでしたが、愛情たっぷり(?)のトレーニングを受けました。
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