微分積分で数学から見捨てられたので、関孝和なんて凄い日本人がいたことに驚いたものです。
それ程になるのは夢裏としても、せめて微分積分くらいはものにしたかったと今更ながら後悔しています。
そんな素晴らしい日本人をねずさんが教えてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/05/22
円周率と日本人
・・・略
ちなみに寛文3年といえば、関ヶ原の戦いから63年目の年です。
また村松茂清は、播州赤穂藩の人です。
赤穂といえば、赤穂浪士が有名ですが、討入りした村松喜兵衛、三太夫の親子は、村松茂清の息子と孫にあたります。
赤穂浪士は、円周率の開祖でもあったのです。
要するに日本では円周率について、赤穂浪士討入り前から「3.14」が使われていたのであって、それを日教組は、ゆとり教育 だのとほざいて円周率をただの「3」にしてしまったわけです。
時代を逆行どころか、昭和、大正、明治をすっとばして、350年もさかのぼった!
で、日本人をアホにした。
ありえない暴挙です。
高レベルだった日本の教育を、地に落した責任は、万死に値する、と思います。・・・中略
もっとも御家人でありながら、御納戸組頭という大役を拝したということは、関孝和がそれだけ立派な人物であったということ で、この時代、武家の高官は、単に頭が良いだけでは栄達はできず、やっとう(武道)の腕前も相当なものでなければ、出世は見 込めません。
要するに青白きインテリではこの時代の出世はまず無理だったわけで、なるほど冒頭の絵の関孝和をみると、いかにも体格がよく て強そうです。
ちなみにこの関孝和というのは、実に不思議な人で、生前の身分や功績は数多く伝わっている(本人が本にしている)のですが、 生年や来歴などは、どうやら群馬県の藤岡市あたりではないかという程度で、あまりよくわかっていません。
ただ彼が残した和算の技術は、彼の書や弟子とともに大きく発展し、またたく間に全国に普及しました。
関孝和の時代のすこし後に、伊能忠敬が全国行脚して、日本全地図を正確な測量のもとで作っていますが、これだけの地図を、伊 能忠敬が短期間に作ることができた背景には、彼が測量に歩いた全国各地に、彼の用いた和算による測量技術がすでに普及したこ とを意味します。
関孝和の影響力の大きさが知れるものとなっています。
日本は世界の最先端数学国だったのです。
それにしても日本人て、すごいです。
それにしても、どんな頭をしていたのでしょうか。やはり日本人の凄さには感動するものがあります。
それを壊そうとする今の日本の教育には本当に腹が立ちます。やはり、教育改革が急がれます。