団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★討ちてし止まん

2022年11月10日 | 素晴らしい日本語

 この「討ちてし止まん」を最初にねずさんが書いてくれた時にもう一つその意味が理解出来ないところがありました。
  今回、やっと何とか理解出来ました。やはり日本語は難しいですね。と言うか、やはり勉強不足でしょう。というか、古典を捨てた日本の失敗でしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/11/02

  討ちてし止まん

  ・・・略

  神武天皇は、我が国の初代の天皇であり、その初代天皇が、各人がそれぞれの持場において、しっかりと責任を持って最後までその責任を果たすことの必要を、こうして明らかにされたのです。
そしてこれが我が国の思想文化となりました。

 誰もが、その人にふさわしい持ち場を持ちます。
そしてそれぞれが、それぞれの持ち場で、責任をきっちりと果たし、しっかりと最後まで責任を持って仕事をやり抜いて行く。
これこそが我が国の産業の強さの原点だし、我が国の最大の強みです。・・・中略

 このことは「討ちてし」の「し」にも明らかです。
「し」は、現代用語でも「ただし」「必ずしも」「果てしない」などと用いられます。
古文であれば、「寒くしあれば」とか「名にし負はば」などと用いられます。
このときの「し」は副助詞で、前の語の意味を強める意味を持ちます。
ですから「討ちてしやまん」は、「敵を討ってこそ」といった意味であり、敵を討ち終わるまで戦いを罷めないぞ〜!」というそこに決意があります。
その決意は、果たして神武天皇ご自身のご決意だけでしょうか。
そうではありません。
久米の子ら全員の、そして敵兵の全員の思いでもあるのです。

 そして「勝つまで戦う」ということは、その戦いが、神武天皇ただひとりの戦いではないこと、戦いに参加している全員の、ひとりひとりの決意に裏付けられているからこそ、「討ちてしやまん」「敵を討ち終わるまで戦いを罷めないぞ」と描かれています。

 そして、ひとりひとりがその決意のもとにあるということは、同時にひとりひとりが持ち場をしっかりと守り抜くこと、手を抜かないこと、持ち場に責任を持つことでもあります。

 それだけの深い意味を、この歌は「討ちてしやまん」のひとことで表現しているわけです。

 何かをするとき、誰もが「討ちてしやまん」の心を持つ。
最後までがんばる。
最後の最後まで戦い切る。
そんなひとりひとりが主役となる。
それが日本の形です。



  「勝つまで戦う」か。なる程、この精神を日本人は忘れてしまったのでしょうか。負け犬根性が染み付いたのかも。これも日本人が目覚めるべきことでしょう。


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