団塊の世代のつぶやき

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★パンデミックと漢方 ──日本の伝統創薬

2020年07月06日 | 誇れる日本

 日本の漢方医も素晴らしかったことを、6月29日、第 2202回の「★漢方医も凄かった日本」などで、ねずさんが教えてくれました。

  その素晴らしさを念押ししてくれるような本が出版されたようです。

  何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。何と、脳卒中も漢方で回復したのだそうです。麻酔は有名ですが、何とワクチンも世界初だそうです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より    令和2年(2020)6月27日(土曜日)弐 通巻第6559号  

  書評 

 正親町天皇が脳卒中で仆れたとき、漢方投与で回復された
  麻酔手術もワクチンも世界初は日本人医師が行ったのだ

 渡邊望『パンデミックと漢方 ──日本の伝統創薬』(勉 誠出版

 「正親町天皇は宮中で倒れ人事不省に陥った。おおぜいの宮中侍医は慌てふためくばかりで対処がわからない。しかし侍医 の一 人の曲直瀬玄朔だけが天皇の症状から『続命湯』という処方の投与を忠告した。服薬したことで天皇の症状はたちどころに回復し た」(17p)
 その曲直瀬玄朔の弟子の一人が全宋だ。施薬院全宋をモデルに小説を書いたのは火坂雅志だった。天台宗の怪僧とも政治 フィク サーとも呼ばれたが本業は医師である。全宋は、あらゆる薬草に通じ、調合し、秀吉の侍医にまで上り詰めた。そういえば国学の 大家、本居宣長も医師(小児科医)だった。
 つまり戦国時代から江戸時代にかけて、日本には独特な伝統的創薬がなされ発展していたのであり、それは当時の世界的レ ベル で最も先端の医学分野を走っていた。徳川家康は長寿を全うしたが、家康自身が医師ともいえるほど薬草、調合法、そして施療に 通じていた。薬学・医学への知識は並大抵ではなかった。
 日本は古来から独特の医学、薬学が発達していて、それを近代になって「蘭学」への対応から「漢方」と呼んできた。たし かに 遣唐使・遣隋使の時代から、日本は多くの書物を輸入したが、薬物と医学、医療は中国の知識を吸収したものの、かれらの方式を 採用せず、日本独自の療法、そして薬剤を用いた。
 幕末に世界で最初の麻酔手術は華岡青州である。またワクチンの最初の発明は秋月藩の漢方医、緒方春朔で、ジェンナーの 種痘 より六年早いと本書は指摘している。
 したがって「漢方」という呼び方は間違いだ。
「漢」を冠すると、あたかも中国から伝わって進歩的医学のような錯覚を起こしかねない。本来なら漢方は日本の医学薬学で ある のだから「和薬」とすべきである。
漢方は日本の創薬なのである。もっとも水戸学は、それにも飽きたらず『皇国医学』を主張したこともあったが。
シナの医学は不老不死が基本の発想で、したがって茶の概念が日中では異なる。日本では薬として茶を飲まないが、中国人は 薬剤 の一種として飲茶するのである。日本は茶道の一期一会、哲学のレベルにまで高めた。
 評者(宮崎)も拙著近刊『WHAT NEXT(コロナ以後大予測)』(ハート出版)のなかで指摘したことだが、アビガ ンは 漢方から発展した『和薬』である。日本で開発が中断されかけたときに、その効能に着目した米国が開発援助した。そのアビガン のジェネリックは中国でも作られている。そして未確認だが、ボリス・ジョンソン英首相がコロナで危篤に陥ったときに、ア ビガ ンが用いられたという。
 かくして日本の薬学、医学は世界の先端を走っている。にも拘わらず現場の医師も、厚労省も、そしてメディアは西洋医学 のほ うが進歩的先端的という迷信を信じ切ってしまった。
 これは明治以後、どっと西洋の文化、思想、科学技術、そして外科手術などが輸入され、価値倒錯がおきたように、戦後は アメ リカ一辺倒になって日本的価値が顧みられないように、行政も教育現場も論壇も、自己を見失い、なにかの幻想に取り憑かれた結 果である。
 評者のみるところ、コロナ禍で人生観がかわった人が多く、孤独を克服するには家族が基本と結婚を決意する若い人が増え た。
そして海外渡航がほとんど絶無という、この「鎖国」を逆活用すれば、日本に国風が吹き返し、伝統の復活がなされるのでは ない か。そう考えていたときに、渡邊さんの新作にめぐりあった。
医学知識を駆使されながら、この労作は、根本の医学の在り方に迫っている。
 最後にもう一つ、えっと思った箇所がある。
 渡邊氏は『魏志の倭人伝』をまったく信頼していない点でも氏の史論は傾聴に値するが、倭国大乱に関して、次のようなユ ニー クな解釈を開陳している。
 「中国の史書が揃って『倭国大乱』を指摘している」ことは、「何かの大乱が日本列島にあったのだ。多くの歴史学説はこ の 「倭国大乱」を「国内戦争」と考えるが、私はこれは、日本列島が直面したはじめての疫病による大量死、それによる大きな政治 的混乱を意味するのではないか」(中略)
「収拾するために、各勢力の中でも、支配的な力のあった大和勢力が祭祈を強化し、混乱収束に全力を尽くした。」 (33p)。
 この真偽は確認に仕様もないけれども、大化の改新も、壬申の乱も承久の乱も、その社会的背景には疫病の大流行があっ た。日 本の国内戦は、疫病を切っ掛けに発生した、疫病
との戦いでもあった。

  ねずさんの話と合致するところが多いですね。やはり、日本人は西洋崇拝の洗脳から目覚める必要がありそうです。
  日本の凄さを知り、その有難さを思えば、自然と日本を愛することも出来るでしょう。

  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」です。


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