昨日の産経の記事【弁護士会 憲法学「信仰」】の続きも興味深いものがあるので取り上げます。
やはり、東大を筆頭とする教育界の腐敗が全ての元凶であるようです。この象牙の塔を破壊しない限り、この問題は解決しないのじゃないでしょうか。
全文は、リンク元で読んでください。
産経WESTよ り 2017.10.17
【弁護士会 憲法学「信仰」(中)】「国 家イコール悪」司法試験を経てすり込まれる硬直的な国家観 現行憲法絶対視の呪縛
…略
司法試験受験生のバイブル
かつて東大法学部で憲法学の講座を担当した芦部は、戦後の憲法学界で第一人者とされてきた。
司法試験を目指す学生らにとっては、いまなお「迷ったら芦部説」が合言葉。芦部の著した「憲法」(岩波書店)は、受験生にとっ て基本かつ必須のバイブルであり続けている。篠田は「何年も勉強する間にすり込まれる」と指摘する。これが、護憲を主流とする東 大憲法学を信奉する弁護士会を生む遠因でもある。
早稲田大教授の長谷部恭男(60)は芦部の弟子、首都大学東京教授の木村草太は孫弟子にあたる。3人の憲法論は全く同一ではな いが、長谷部と木村は集団的自衛権行使を違憲とし、改憲に反対する点で芦部の立場を引き継ぐ。…中略
「狭い視野」とにかく改憲阻止く
「憲法学が憲法解釈学とイコールになっている。現行憲法を絶対と捉え、非常に視野が狭い」。改憲派の憲法学者で駒澤大名誉教 授、西修(77)は戦後憲法学をそう批判する。
西によれば、憲法解釈学は憲法学の柱の一つではあるが、それだけではない。憲法学は本来、憲法が生まれた歴史的背景や各国の憲 法を比較する比較憲法学や憲法哲学、憲法政治学、憲法政策学など多岐にわたり、こうした幅広い手法を駆使して憲法にアプローチす べきもの。しかし日本では解釈中心にとどまり、憲法のあるべき姿や現行憲法の問題点を考えない。
憲法解釈の底流にも「個人を絶対視し、国家を最小視する」という欠陥がひそむ。その国家観は「国家=悪、国民=善」と対立関 係だけで捉え、国家権力から国民の権利を保護することに憲法の意義を求めるという、硬直的で古い理論に支配されている。
その結果、憲法学者全体として護憲志向、とにかく改憲阻止の雰囲気が強い-というのが西の持論だ。…以下略
この、「日本では解釈中心にとどまり、憲法のあるべき姿や現行憲法の問題点を考えない。」が、全てですね。
教育界は、完全に狂っていますね。何の為に憲法の研究をしているのでしょうか。こんな教授達が、国の金、国の足を引っ張り続けているにも関わらず、それが改革されることも無く今まで続いていることを放置していることこそが日本の問題でしょう。
日本人は、ここまで劣化していることに恐怖を覚えます。もう、再生は無理でしょうか。
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