日本人がどんなに民度が高くて高潔であっても、やはりそうでない人は一定数存在するようです。
と言うか、それこそが人間なのでしょう。分ったようなことを書いていますが、その立場になった時にそうならない自身は持てないものがあります。それが現実なのじゃないでしょうか。
そんな中でも大部分の日本人の行動は立派なようです。それこそが日本人の民度の高さの証拠でしょう。
そんなことをねずさんが教えてくれています。それにしても、今の日本人にこの公道が取れるかは疑問です。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/08/23
涙のハバロフスク事件
・・・略
最後にもうひとつ大切なことを書いて起きます。
私も、かつてのソ連やソ連が行った日ソ不可侵条約の破棄やその後の国際法上も違法な行為の数々、シベリア抑留や共産主義思想の強制など、ソ連に対しては限りない怒りを感じていますし、絶対に許すべきことではないと思っています。
しかし、そのことをもって、「ソ連人は」とか、あるいは「ロシア人は」とかいう一般化は、これは間違っています。
ひとりひとりを見れば、気の良いロシア人の方が圧倒的に多いのです。
ChineseやKoreanについても同じです。
異常行動を取る政府や政治は、憎むべき対象です。
しかしだからといって、それをChineseやKorean一般の問題にすり替えるのは、良くないことです。
先に結論を書いてしまえば、これらの問題は、特定個人が最高権力者となって、その個人に従うことが社会の秩序であり、それ以外の一切は排除される、という社会の仕組みそのものが人類の歴史の中で持ち続けてきた、大いなる過ちの集大成である、と思っています。
「眼の前にいる人たちを殺せ。
殺さなければ、お前とお前の家族を皆殺しにするぞ」
と銃を突きつけられるという社会にあって、個人の持つ正義感を最大限に発揮するということは、そうそうできることではありません。
しかし、人類の歴史は、そういうことですくなくともこの何千年かの間、営まれ続けてきたわけです。
「眼の前にいる人たちを殺せ。
殺さなければ、お前とお前の家族を皆殺しにするぞ」
と言われて、やらざるを得なかった人たちと、
「浮薄(ふはく)なマルクスレーニン主義理論を安易に信じ、天皇制打倒を先頭に立って叫ぶ者、食料ほしさに仲間を密告する者、ソ連当局の手先になって特権生活を営」んだ、シベリアの日本人と、果たして、どちらが是で、どちらが非なのでしょうか。
そのような日本人がいたから、日本人はすべて卑劣なのでしょうか。
問題は、世の中の歪みそのものにあったのではないでしょうか。
今、日本に蔓延る何にでも反対して日本の足を引っ張る反日売国左翼・在日の方達は何を信じて行動しているのでしょうか。
それとも、やはり「日本に住んで日本国籍を持ち、日本語を話すけれど日本人でない者」が大半なのでしょうか。
いずれにしても、こうした人達の一掃こそが日本再生に繋がるのは間違い無いでしょう。
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