団塊の世代のつぶやき

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ワシントンに劉暁波プラザができないわけ

2017年07月30日 | 国際

  昨日も、「中国政府に必ず跳ね返ってくる劉暁波氏への仕打ち 」で、金に群がる世界は、制裁しようとしないのじゃないかと書きました。

  昨日の古森さんに比べて、「産経抄」は、世界の対応を手厳しく書いてくれています。やはり、こちらの方がありそうです。

  特に、今や中国べったりのドイツなどは、責め無いのじゃないでしょうか。

  産経ニュースより     2017.7.20

 【産 経抄】ワシントンに劉暁波プラザができないわけ 

 旧ソ連で流刑の身の上にあった反体制物理学者、サハロフ博士は、決断を迫られていた。重い病気の妻になんとか海外の病院で 治療を受けさせたい。自ら心臓病を抱える博士が選んだ方法は、ハンガーストライキだった。

 ▼欧米諸国からは、一斉にソ連非難の声が上がった。モスクワを訪れたミッテラン仏大統領は、サハロフ問題を正面から取り上 げた。そんな圧力が功を奏したのか、夫人の一時出国が認められる。夫妻の流刑が解除されたのは、その1年後の1986年12 月である。

 ▼今月13日に亡くなった中国の民主活動家、劉暁波氏は、これまでどんな弾圧を受けようと国を去ろうとしなかった。ところ が死の直前になって、米国やドイツでの末期がんの治療を望むようになる。昨日の矢板明夫記者の記事で、合点がいった。劉氏は 妻と出国すれば、自分が死んでも妻は外国で自由になれる、と考えたのだ。その最後の願いさえ、中国当局は拒否した。

 ▼サハロフ博士と劉氏は、ともにノーベル平和賞を受賞しながら、授賞式にその姿がなかったという点でも共通している。た だ、サハロフ博士の夫人は代わりに出席できた。劉氏の場合は、家族の出席さえ許されなかった。

 ▼劉氏がより悲惨な境遇を強いられた理由は何か。一言でいえば、国際社会の中国に対する弱腰である。ドイツで開かれていた G20で、各国の首脳から劉氏の話題が出ることはなかった。

 ▼米国の首都ワシントンでは1980年代、ソ連の人権抑圧に抗議するため、ソ連大使館前の通りが「サハロフ・プラザ」と改 称された。上院は昨年、同様に中国大使館前を「劉暁波プラザ」と名付ける法案を可決した。もっとも、オバマ大統領は拒否権発 動の構えを見せ、実現しなかった。

  アメリカが、ドイツと同じような対応をするようでは、いよいよ日本の未来も危なくなりそうです。
  やはり、トランプさんが中国に取込まれるのかどうかに日本の未来がかかっているようです。

  福島香織さんも、劉暁波さんの死について語ってくれています。

  劉暁波氏の件は、32分過ぎ。


  それにしても、世界はどんどん金に弱くなっているようです。つまりは、グローバリズムに犯されてしまっていると言うことじゃないでしょうか。
  やはり、トランプさんに初期のグローバリズムとの戦いの覚悟を取り戻してもらいたいものです。この機会を失えば、世界は、取り返しのつかないことになるのじゃないでしょうか。 



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