団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

日本語

2012年01月14日 | 素晴らしい日本語

  昨日の南無で日本人は日本の文化を捨てているのじゃないかと書きました。戦後教育の中で国語の授業の一端で古典をほ んの少し習いましたが、興味を覚えたものの授業を離れてまで勉強することも無く現在に至りました。その付けで、古典 も読めないし和歌などもちんぷんかんぷんです。何とも勿体無い話です。そのうち戦前の文章はだれも読めなくなってし まうのかもしれません。
  戦後教育に染まってしまった私などは文語より口語の方が自分のしゃべっている言葉なのだから使って当然と 思ってきました。しかし、それは日本人に戦前の文化を忘れさそうとした戦勝国のたくらみだったのかもしれませ ん。素直な私のような戦後生まれの子供たちはそれに何の違和感も覚えずに来てしまい。戦前の文章など全く読めな くなってしまったのです。
  ですから、かろうじて戦後の貧乏な時代の雰囲気に触れた我々団塊の世代の子供たちとなるときっとそんな疑問 さえ持たないのじゃないでしょうか。やはり日本はどこかで目を覚まして昔の良さも見直すべきでしょう。それがま だ間に合うかどうかは疑問ですが、取り組む必要はありそうです。

   何時ものサイト順路で産経新聞の古森さんがそんな日本語の素晴らしさに触れていました。

   古森義久さんのペー ジ:イザ! ステージ風発

  日 本を超える日本語とは

  日本を超える日本語

 どうみてもインド系のアメリカ人らしい少女がなぜ日本 語をこれほど楽しげに話すのか。しかも「なまむぎなまごめ…」などという早口言葉を上手に口にする のだ。昨年12月中旬「ワシントン日本語継承センター」の学期末の学芸会だった。この日本語学校には5歳から16歳ぐらいまでの子供たち80人ほどが通っ ている。

ワ シントン地区での類似の日本語教育施設では文部科学省から認定され、補助を受ける「ワシントン日本語学校」が最大 で、やがては必ず日本での中等、高等の教育を受ける日本人子弟に日本語を教える。

一 方、日本語継承センターは基本的に日本に定住することはない子供たちを対象とする。片方の親が日本人という生徒が最 も多く、米国定住を決めた日本人や 国際機関で働く日系ブラジル人の子供たちも含まれる。そんななかでは「日本」の形跡のないインド系少女の日本語はどうしても目立つこととなる。

   その少女はリヤ・プラダンさん、7歳、まちがいなくインド系米国人だった。彼女の日本語のナゾは母親のサンギータ さんの説明で氷解した。

  「私は日本で生まれ育ち、日本語は私の言葉なのです。娘には母の私をよく知り、私の育った文化を理解してもらうため に日本語を習わせました。娘は毎夏を日本でも過ごし、日本語の環境になじんできました」

  容姿はもちろんインド人だが、日本人とまったく変わらない日本語で語り、家族の名を片仮名でさらりと書いてくれた。

  サンギータさんは在神戸のインド料理香辛料販売で知られるビニワレ家に生まれ、12年前にインド系米国人の会計士へ マント・プラダン氏と結婚して米国に 移るまで、神戸や東京で学び、働いた。だからワシントン地区の生活でも日本人の友人が多く、家庭でも日本語のできない夫とは英語とインドのマラティー語だ が、娘や5歳の息子とは日本語での会話が多いのだという。

  「夫にもよく指摘されるのですが、私の言動の特徴の婉曲(えんきょく)さなどは日本語が象徴する日本の文化や価値観 に起因しているところが大だと思います。だからこそ娘にも日本語を身につけてほしかったのです」

  非日本人が自身のアイデンティティー(自己認識)を日本語に委ね、さらに次世代にも文化をもからめての日本語を受け 継がせようとする。日本人にとっては 意外ながらも、大切にしたいと感じる努力だろう。日本語が日本人を超えての人間や文化の形成という普遍性をも発揮する現象だとまで思わされる。…以下略

   日本人が忘れてしまった日本語の素晴らしさを外国の人に教わるなんて本当に情けないことになってしまったもので す。
  やはり戦勝国によって仕組まれた自虐史観から目覚めて昔の良さを取り戻すことが大切です。しかし、その全く 逆のことばかりしている洗脳された今の民主党にそれを望むのは不可能でしょう。このままでは本当に日本が無くな りそうです。これは日本にとっては不幸そのものですが、世界にとっても不幸なことのようです。

何とかしないと!