団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

南無

2012年01月13日 | 無知

  子供の頃はおじいさんが毎日仏壇に参りお経を唱える後ろに座り文字通り「門前の小僧習わぬ経を読み」で覚えていたも のです。今でも意味も分からず覚えているところがあります。
  それだけに未だにその意味を深く考えずに覚えていて、今になってその意味を知るという相変わらずの無知をさ らけだすことになります。そんな言葉に「南無」がありました。「なんまんだぶ」は知っていてもそれが「南無阿弥 陀仏」とは頭の中でつながっていませんでした。

   ウィ キペディアより

   南 無

南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写。意訳すると、帰命、心から信じるとい う意味。同義語=帰依

浄 土宗及び多くの浄土真宗系列宗派では阿弥陀仏に南無を付けて南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、浄土真宗本願寺派では、 なもあみだぶつ)と称え、日蓮宗では南無妙法蓮華経と唱える。真言宗では南無(または、南無大師)遍照金剛(へん じょうこんごう)、禅宗では南無本師釈迦如来大和尚(ほんすしきゃじらいだいおしょう)、南無本師釈迦牟尼如来(ほ んししゃかむににょらい)と唱えることがある。

   我が家は呑百姓なので浄土真宗でした。おじいさんの「南無」は「なむ」だったので、女房の里の坊さんが「なもあみ だぶつ」と読む経が不思議で仕方ありませんでしたが、これでやっと理由が分かりました。我が家は本願寺派じゃなかっ たんですね。
  しかし、本当に何も知りませんね。自分が勉強しなかった責任ですが、古典とか昔の仮名遣いや漢字など戦後に 日本の教育が捨てたものは大きそうです。今でもそうですが、日本人は昔の字が読めなくなってしまうでしょうね。 それは文化を捨てることになるのじゃないでしょうか。

こんなことで良いのでしょうか!