キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

映画が好きになった

2018年12月17日 | Weblog
昨日は午後1時半からニ時間昼寝をし、目を覚ましてからも寒くて起き上がるのが億劫で読書をした。
「異論のススメ、正論のススメ」を読みかけているが、トイレに行くときに小林信彦の「黒澤明という時代」が目につき手の取ったのがいけなかったなあ、つい読み進めることになった。

映画は若いころはピンク映画やポルノ映画を観るのみで、もっぱら女性の美しさを賛美していたが、海外出張をするようになってから機内の無聊を紛らわすために見た映画が存外面白く、機内で映画が観られるときには積極的に観るようになっていった。
それでも未だ映画館に足を運んで観るまでには至らず、今もその状況は変わらずTVで観ている。
読書が好きで、小説家の書いたものに飽き足らず色々なジャンルを読んでみたが、映画監督が書いた本がかなり高い確率で面白いことが分かり、その類の本を渉猟するようになったので、著者の監督の映画は観たことないが文章を堪能したことはあるというような本末転倒した状態になっていた。
例えば、小津安二郎の「僕はトウフ屋だからトウフしか作らない」は滅法面白く一気に読んだが、映画のほうは断片的に「東京物語」を観たことがあったかなあという程度だった。
映画監督が書いた文章が面白いのは、脚本書きで鍛えられているからで、面白い映画を作るには面白い本が必須で、映像と言えども言語が無ければ何をどう作るかをチームに伝えられない。
黒澤明という人は、若いころ断片的に知り得た範囲では、既に黒澤が晩年だったせいもあり黒澤天皇と言われ権威の象徴で、黒メガネでのけぞっていた。
そんなところに反発していて、友人から勧められても映画を観る機会は長い間なかった。
先日、「天国と地獄」を観て、思っていた映画と全然違い面白いのでいたく感心した。

「黒澤明という時代」を読み耽り、三分の一まで読んだところで、いけねえと思い「異論のススメ、正論のススメ」に戻った。
随分長いこと読んでいたが、今朝7時に「異論のススメ、正論のススメ」が読み終わった。

佐伯啓思が「男はつらいよ」のファンだったのを知って意外だったが、東大に合格して奈良から東京へ出てきた1969年に、「男はつらいよ」が始まり、49作を全て観たとのことだ。
学生運動に興味が無かったことが「男はつらいよ」に傾斜したのではないかと推測するが、6歳年下の僕は、すでに学生運動が収束した1975年に大学に入っているが、古臭い感じがした寅さんに全く興味が無かった。
荒井由実の「ひこうき雲」「MISSLIM」の2枚のアルバムを毎日聴いて、カネが無かったのでうらぶれた稲毛銀映で3本立てのピンク映画を観て、時々日活ロマンポルノを観るとメジャーな感じがしたな。
ちなみに当時の日活には、秋田美人の山科ゆり、岩手北上出身の梢ひとみ、昭和52年に大麻で逮捕されて消えたひろみ摩耶、好きだった片桐夕子、名作「赫い髪の女」の色っぽい宮下順子、SMからスタートして古本チェーンをやった東てる美、森雅之の婚外子中島葵、消息不明の二条珠美などがいたね。
でも、マイナーなものを好む拗ねた性格なので、ピンク映画の女優で南ゆきが一番好きだった。
「男はつらいよ」とピンク映画の違いは、その後の人生に影響し、片や保守陣営の中心人物となり、こちらは単なる酒飲みの不良老人と化している、若者よ、観る映画を厳選すべきですぞ。

「男はつらいよ」が終わった1990年代半ばは、この映画が持っていた日本の伝統や慣習が完全に破壊された時期と重なり、それは偶然では無かったと書いているが、つい5年ほど前からこの映画を観始めた僕にとっては、まさに描かれている伝統や慣習を観て懐かしさを感じたことが、惹きつけられた大きな要因の一つだった。

「異論のススメ、正論のススメ」では、同じことが何度も繰り返されて話題に上がっているが、それは佐伯啓思が最も言いたいことなので書いて置く。
かつて正月3ヶ日は町が静寂だった。
今は百貨店やSM、CVSが開いているし、ショッピングセンターやチェーン展開の業務店も開いていて普段とあまり変わりがない。
町が死んだようになった3日間は非日常で、これが日常の時間を新しい時間に更新する役割を果たしていた。
欲望と利潤の追求が当たり前の今は、何もしない正月は無駄と捉えられるが、節目が無くなったことに拠り時間が平たんになり、一生のんべんだらりと区切りなく時間が流れて行き、いつの間にか終わってしまう。
しかも医療の発達によりその時間は限りなく長くなっているが、生きているだけに何の意味があるのか。

日本国憲法は有効か
1945年9月2日のミズーリー号での降伏文書調印から1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効まで、日本に主権は無かった。
その間に出来た日本国憲法は無効では無いのか。
民主主義とは国民主権であり、国防は理念として主権者が担うものであるから国民皆兵が妥当である。

立憲民主党という政党が出来た時、憲法を新しく作り、国民皆兵で自国軍を作って国を護ることを掲げた党かなと思ったら、正反対なんで羊頭狗肉じゃないかと思ったら、西部邁が同じようなことを言っていたなあ。
その西部邁が佐伯啓思が東大の学生だった頃の先生で、保守主義の謦咳を受けているのでだいたい近いことを言っているのだが、西部が今年1月に自裁してしまったので、たやすいことでないのは承知しているが日本の将来像をぜひ描いて欲しい、もしそれが出来なくとも今と同じ論旨の発言でいいから、その頻度数を増やしてほしいな。

起きるまでビッグバンドのスイングを聴いていたが、7時半になったのでバッハのコンチェルト5番Alegroを大音響でかけて勢いよく階下に降り、雨戸を開けて、風呂に飛び込んだ。
寒さがだいぶ厳しくなったので、雨戸を開ける前に脱衣場の床暖房をオンにして、シャワーで温水を出して浴室を温めて置くと快適に風呂に入れる。
もちろん目が覚めた時に部屋の暖房を点けて置くので、ベッドを抜けだすのを逡巡することはない。
年を取ると若いころ感じなかった寒さをやけに感じるようになるのは、感受性が高まったわけではなく体温調節機能が劣化しているらしいが、父母のために風呂や浴室、廊下などを床暖房にして、各部屋に空調機を付けて置いたのが我が身の役に立っている。
明日は我が身、転ばぬ先の杖など、色々格言はあるが、こんなに早くこういったことをしみじみ感じるとはねえ。
コメント
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