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逆襲するさらりーまん

ーやっとこさ英検1級、通訳案内士試験合格。しかし英語の道は長い。基本的にやり直し英語+その時々に思うことなど。-

8月15日 - あえて戦争について -

2010年08月15日 23時50分23秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日は8月15日、終戦記念日です。

前回の記事で書いたように、國弘先生の 『國弘流 英語の話しかた』で気合いを入れ直し、スランプから脱しつつありますが、学習時間はそれほど取れていません。

それは、僕は夜型(習慣で学習は夜しか出来ない)なのですが、8月中旬になると、TVで”戦争番組”が多く放送され、必ず観てしまうからです。昨日は『歸國(帰国)』を観ました。今日は『真夏のオリオン』を観てしまいました。『眼下の敵』(ロバート・ミッチャム主演 かなり古い)と似たストーリーです。しかし、現実は交戦国どうしの間で友情が芽生えることなどまずあり得ません。

先の大戦で、塗炭の苦しみを味われた方々がご存命ですので、軽々にはあつかえませんが、戦争は、僕の中では非常に重要な、一生考えなければならないテーマです。戦争に関する和英の色々な本も読んできました。ブログの主旨とは違い“硬派”な記事になってしまいますが、あえて書いてみます。

日本では戦争は非常にセンシティブなテーマで、悲惨なことは、話したくない、思い出したくない、というのは自然な心情です。しかし、地球上のほとんどの国は、戦闘集団としての正規軍をもっており、特に米国は現在でもアフガンでの戦争の当事国です。また、同じ旧枢軸国でも、イタリアはともかく、ドイツは、今日的な問題として、戦争の問題と正面から向き合っています。

英語ネイティブ、ノン・ネイティブに関わらず、外国人とは、『戦争とは?そのアンチテーゼとしての平和とは?』 ということがよく議論されます。たとえたどたどしい英語であっても、唯一の被爆国としても、持論は発言出来るようにしておきたいものです。

TV やドラマの主な論調は、『戦争は絶対に繰り返してはならない。しかし現在の日本は戦争で犠牲になった人たちの上に今日の繁栄があるのに、忘れてはいないか?』というものです。

歴史認識については、『日本は主に財閥の利権拡大と、財閥と結託した陸軍による戦略戦争によって、アジアの諸国に大変な苦しみを与えた。謝罪すべきである。』というものと、少数派ですが、『日本は、欧米列強の日本を警戒する ABCD包囲陣等によって、国民生活の限界まで封鎖され、窮鼠猫を噛む思いで、やむにやまれず敗戦覚悟で立ちあがった。また、当時の日本の軍隊(皇軍)の規律は世界で最も厳格で、占領地の一般市民に対する残虐行為は(ほとんど)行っていない。』というものです。

戦後世代で、米国主導の戦後民主主義の教育を受けた僕は、当然前者の歴史認識を教え込まれており、北京やソウルの論調もそれをさらに拡大したもので、教科書にも、これでもか、これでもか、と、日本軍の残虐行為が記述されています。しかし、個人的な体験を超えて、真実に出来るだけ迫る証左による歴史的検証をもっと行わないと何とも言えないと考えます。ドイツでは正面から向き合って詳細な歴史的検証が行われてきましたが、日本では未だほとんど行われていません。

体験については、色々な方のお話をお伺いすると、(また、僕の亡くなった叔父も長らく中国戦線を転戦して生還しましたが)異口同音に、『当時の日本軍の厳格な規律から(中国や韓国の教科書に出ているほどの)一般市民に対する残虐行為は行っていない。』とおっしゃいます。また、そうおっしゃる方々の大半は、戦後は残虐行為の残存兵としての汚名を着せられ、肩身が狭い思いを余儀なくされてきました。

詳細な歴史的検証が必要だと思います。ただ、歴史はいつも勝者によって作られていきます。

僕は、若い頃、戦闘中の中東に行って戦場の悲惨極まる状況や、人間のありようとは思えぬ数十万人におよぶ難民キャンプを実視したこともあります。戦争映画などは、現実の悲惨さに比べれば、まるでパソコン・ゲームのようなものです。

そういう経験もあり、僕は絶対的な戦争反対主義者ですが、世界には戦争をしたがっている輩がたくさんおり、(たとえば米国議会のタカ派)それだけでは世界を説得することは出来ません。

僕の理由は、戦争を始める権限を持つ者(日本の場合は、形だけにせよ天皇でした。またほとんどの国が国家元首に権限があります。)と犠牲になる人が異なる、というものです。近代戦争では、いつも犠牲になるのは、若い兵士・一般市民です。交戦国の元首どうしが一対一で、離れ小島で素手で決着をつける、という正々堂々としたものではありません。

これは、最も根源的な権利である、『生存権』が完全に他者にゆだねられているといっていい。これほど不条理なことはありません。

外国人と議論になった時は、いつもこのように主張しています。日本こそ主張、発信すべきです。しかし、上記のようなことを主張するにも、外国人相手に発言、発信するには相当の英語力が必要です。(戦争の問題だけではありませんが、外国人に発信することが出来るようになるために、不十分ながら僕も英語を学習し続けています。)日本の政治家で、外国人相手に主張出来る人がいるだろうか?主張出来ないとどんどん相手の思惑でタガを嵌められていってしまいます。

外国に対してのみならず、戦後65年経過してもなお、論理的に矛盾のある憲法9条は、国民的議論にさえなっていません。海外の国では、国民投票などによってどんどん修正憲法や基本法が発効しています。現在の日本で、仮に国民投票を実施してもはたして投票率が50%を超えるだろうか?それだけの議論というか、関心があるのだろうか?と懸念されます。

1年365日のうち、8月15日だけは、じっくり日本全体のことを考える日にしてもよい、と思います。



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