2007・8・4
阿久さんの作詞で、自分は生涯忘れないだろうというのは、たくさんあります。
「津軽海峡冬景色」=上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中。
故郷の匂いがする上野駅が浮かび、あっという間に雪深い青森へ。
言葉の配列が不思議な力を感じさせる、阿久マジックのテレポーテーションの凄さです。♪凍えそうなカモメ見つめ鳴いていました、と絶唱する石川さゆりさんの歌声に、津軽海峡を往来していた青函連絡船の八甲田丸・大雪丸・羊蹄丸・津軽丸などの勇姿が、私には浮かんできます。
「五番街のマリー」昔の恋人の消息を尋ねるというこの詩に、青春時代の淡い恋心を重ね合わせている方も、多いのではないでしょうか。もちろん私もその1人です。
その阿久さんが、同い年の美空ひばりさんに、対抗意識を持ち、ひばりさんがが、歌いそうにない歌をめざして書いていたという秘話が、朝日の<天声人語>に書かれていました。
でも彼女の死後は、美空ひばりのために、歴史的な詩を提供できなかったことが、心残りだったと話していたそうです。
阿久さんは8月15日を、第2の誕生日と語っていたそうです。戦前的な日本人観の呪縛から解放され、自由への出発が、流行歌であり、映画であり、野球だったそうです。
ひばりさんは、阿久さんが戦後の日本人が、一度清算しなければならないと思ったものを、引きずって戦後を生きて来たのではないかと思います。
それは世間にも極端にまで見えた、家族愛の姿であり、興行に付きまとう業界との関係、それらの根底を支えていた、浪花節的日本人観ではなかったでしょうか。
私もそんな感じで、ひばりさんを遠くから見ていたので、感動らしきものは彼女から受けたことがありませんでした。だが亡くなってから、「川の流れのように」「愛燦燦」で、彼女の歌の心を知り、昭和はひばりさんの歌声と共にあった事に新ためて気付いたものです。
心の隅にあったわだかまりが解け、すっかりひばりフアンになってしまいました。阿久さんもきっと同じ感覚だったと思います。
「舟歌」「北の宿から」などの演歌の真髄を感じさせる名曲の数々。
それを書いた人と思われぬ「UFO」「林檎殺人事件」「どうにもとまらない」のヒット曲。これらの作品からしても、戦争に繋がって行った、全ての考え方を破壊し、戦後民主主義を大切にしていこうとする、強い意思を私は受け取っています。
昭和という時代が大好きで、でも少し時代にもチョッカイ出してみたりする、チョイ悪オヤジの気風の良い焼け跡派が、また1人旅立っていきました。
「阿久悠」とは、「悪友」から付けた、粋なペンネームなのでしょうね。
「さらば昭和」なんて作詞をし、ひばりさんが歌い、天国で大ヒットしているかもしれませんね。
阿久さんの作詞で、自分は生涯忘れないだろうというのは、たくさんあります。
「津軽海峡冬景色」=上野発の夜行列車降りた時から、青森駅は雪の中。

言葉の配列が不思議な力を感じさせる、阿久マジックのテレポーテーションの凄さです。♪凍えそうなカモメ見つめ鳴いていました、と絶唱する石川さゆりさんの歌声に、津軽海峡を往来していた青函連絡船の八甲田丸・大雪丸・羊蹄丸・津軽丸などの勇姿が、私には浮かんできます。
「五番街のマリー」昔の恋人の消息を尋ねるというこの詩に、青春時代の淡い恋心を重ね合わせている方も、多いのではないでしょうか。もちろん私もその1人です。
その阿久さんが、同い年の美空ひばりさんに、対抗意識を持ち、ひばりさんがが、歌いそうにない歌をめざして書いていたという秘話が、朝日の<天声人語>に書かれていました。
でも彼女の死後は、美空ひばりのために、歴史的な詩を提供できなかったことが、心残りだったと話していたそうです。
阿久さんは8月15日を、第2の誕生日と語っていたそうです。戦前的な日本人観の呪縛から解放され、自由への出発が、流行歌であり、映画であり、野球だったそうです。
ひばりさんは、阿久さんが戦後の日本人が、一度清算しなければならないと思ったものを、引きずって戦後を生きて来たのではないかと思います。
それは世間にも極端にまで見えた、家族愛の姿であり、興行に付きまとう業界との関係、それらの根底を支えていた、浪花節的日本人観ではなかったでしょうか。
私もそんな感じで、ひばりさんを遠くから見ていたので、感動らしきものは彼女から受けたことがありませんでした。だが亡くなってから、「川の流れのように」「愛燦燦」で、彼女の歌の心を知り、昭和はひばりさんの歌声と共にあった事に新ためて気付いたものです。
心の隅にあったわだかまりが解け、すっかりひばりフアンになってしまいました。阿久さんもきっと同じ感覚だったと思います。
「舟歌」「北の宿から」などの演歌の真髄を感じさせる名曲の数々。
それを書いた人と思われぬ「UFO」「林檎殺人事件」「どうにもとまらない」のヒット曲。これらの作品からしても、戦争に繋がって行った、全ての考え方を破壊し、戦後民主主義を大切にしていこうとする、強い意思を私は受け取っています。
昭和という時代が大好きで、でも少し時代にもチョッカイ出してみたりする、チョイ悪オヤジの気風の良い焼け跡派が、また1人旅立っていきました。
「阿久悠」とは、「悪友」から付けた、粋なペンネームなのでしょうね。
「さらば昭和」なんて作詞をし、ひばりさんが歌い、天国で大ヒットしているかもしれませんね。
津軽海峡冬景色が発表になったのは夏のことでした。素人考えでいい歌とは思っていたのですが、夏なのに果たしてヒットするのかなと思ったのを憶えています。それが秋となり冬に向かってうなぎ登りのヒットです。興行とはこういうものかと妙な感心をしたものです。
石川さゆりさんは絶唱するとき、顔を少し上に向きます。その時の彼女の顎にあるほくろが色っぽいと思うのですが、どうも僕は自分の好きな豆大福もちに見えてしょうがありません。
見過ごしてしまいとても残念です。
とっても残念ですよね
私も、ご冥福をココロからお祈りしております。。
人生を重ねてこれから味のある詩が書ける時なのに
「阿久 悠」 悪友からつけたペンンームですね。新聞で読みました。
津軽海峡冬景色 これからも歌い続けられる名曲です。石川さゆりが歌手である限り・・・