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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

君が代がひときわ大きく

2017年03月27日 06時34分50秒 | えいこう語る
▼幕の内弁当を食べながらお酒を飲み、贔屓の力士を応援するのは、大相撲観戦の楽しみの一つだろう。本場所を観戦できない人は、テレビの前におつまみを用意し、ビールを飲みながらの観戦は、本場所観戦に引けを取らぬ楽しみだ。しかし、私のように半世紀以上にわたる大相撲フアンは、モンゴルの力士たちの活躍に、国技である大相撲を乗っ取られた状態は、何ともいえない寂しさだ。さらに、残念なのは、大和魂にみる闘争心や根性が、モンゴル勢からみて少ないように感じられるのが、なおさら悔しいのだ。
▼大相撲観戦では、なぜか民族意識が湧き上がってくる。私など、昭和初期の「関東軍満蒙領有計画」時の、我が軍の強力な勢いを思い出し、逆襲されているのではないかと、思いを巡らしている。普段は平等や公平、正義などを少しは考えているつもりだが、つい自国を応援する気持ちが強く出るのが、大相撲観戦である。日本民族の精神性を考える中で、最も身近な教材として、大相撲は存在するような気がする。
▼民族意識は内面だけで、それが外に出てしまえば問題がある。ヘイト・スピーチだ。テレビでは歓声に紛れているが、モンゴルの力士に対する言葉は、酒のせいかもしれないが相当なものがあるようだ。最強横綱の白鵬が、優勝インタビューで涙したのも、そんなところにあるともいわれている。
▼そんな状況の中で、待望の日本人横綱が誕生した。年齢も30歳を超え、相撲道もわきまえた稀勢の里にかける相撲フアンの期待は、あまりにも大きい。私などは、場所前から稀勢の里の全勝優勝を妻に宣言した。期待通りに全勝まっしぐの快進撃。下位の力士には取りこぼしはせず、もはや大横綱の風格を備えた、土俵が繰り広げられる。そして、まさかの白鵬の休場だ。「天は我が日本勢に味方せり」と、私の民族意識が台頭してくる始末だ。
▼だが、モンゴルの狼、日馬富士が嚙みついて、稀勢の里は負傷する。絶体絶命、休場止む無しと思ったが、最後の力を振り絞って立ち向かった。だが、その相手もモンゴルの手りゅう弾、鶴竜だ。あっという間の2敗。さらに待ち受けるは、これまたモンゴルの巨大怪獣、照ノ富士だ。しかも一敗で、先頭を走っている。
▼千秋楽、戦いの時間は刻々と迫る。今の戦況では、稀勢の里の勝は九分九厘ない。テーピングが痛々しい稀勢の里、情け容赦のない面構への照の富士。テレから私の心に聞こえてくる歓声は「卑怯者!照の富士」「モンゴル帰れ」だ。前日の照ノ富士の相手は、先場所負け越しで大関を陥落し、今場所10勝で大関復帰をかける琴奨菊戦だ。状態は照の富士優勢と誰もが見ていたが、立ち合い大関らしからぬまさかの変わり身に、猪突猛進が身上の琴奨菊、まっしぐらに土俵下に陥落する。
▼「先輩に対し、非礼千万」「相撲道に反する」「モンゴルへ帰れ」のヤジを、照ノ富士は一身に浴びたに違いない。だが「勝負は勝たなければ死も同然」という、モンゴル相撲の精神が頭を持ち上げる。切り替えも早いが、なんといっても年端もいかない照ノ富士だ。千秋楽の一戦、相当なプレッシャーがあったに違いない。会場に入った時から立ち合いまでの時間、会場は稀勢の里一色の応援に包まれる。普段は照ノ富士フアンも、この勝負は稀勢の里に応援したのではないだろうか。
▼勝負は気合で判断できる。会場の雰囲気からして、照ノ富士は平常の7割ほどの気合しか入っていなかったのではないか。「俺が勝っていいのか」という自問自答もしたに違いない。そしてまさかの2連敗だ。もし勝っていれば、照ノ富士は生涯悪役のレッテルを背負わされただろう。
▼結果、稀勢の里は、優勝のみならず、横綱としての心・技・体をも身に着けたことも証明した。かたや、負けた照ノ富士、敗戦の弁で人気を獲得した。負傷している横綱との大一番にやりづらさはなかったとし「自分の問題。来場所頑張るだけ」と、言葉少なに悔しさを表したという。相撲史に残る大一番になるだろうが、土俵のように丸く収まったという点では、私は最近の我が国の出来事で、最も日本人としてほっとした出来事だった。
▼近い将来「稀照時代」がやってくるに違いない。共に心技体、優劣付きがたい横綱を期待したい。最後に「君が代」斉唱が、会場割れんばかりの大きさだった。日本民族の一体感を伝統の相撲にみた、大阪場所千秋楽の名勝負だ。

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