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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
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象徴天皇の正しい憲法解釈

2025年04月09日 09時54分48秒 | えいこう語る

▼日本国憲法第1条=天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

▼象徴であるということの意味がぼんやりしたまま、戦後80年を迎えてきたというのが、日本国民大半の認識ではないか。

▼私の父は出兵していた。私が大人になり一緒に酒を飲んでも、天皇の話はしたことがない。戦後「国民主権」となってからは、天皇を自分の中で分析できなかったに違いない。

▼なので戦後生まれの私たちが天皇との距離を身近し、象徴とはどのような存在かを、正確に認識しなければならない。

▼戦後生まれの私たちの世代は、昭和天皇と共に長い間昭和を過ごした。天皇と言えば真っ先に『昭和天皇』を思い出す。それはやはり戦争と直結した存在だからだ。

▼だが昭和天皇は、戦後は平和を訴えていたことは国民は知っている。次の平成天皇は昭和天皇が出来なかった慰霊の旅を実行し、昭和天皇の戦争責任を身を持って謝罪していた。

▼現天皇は平成天皇の『平和を祈る』ということを自らの職務として、はっきり自覚しているように私は理解している。

▼戦後80年の今年、日本軍玉砕の硫黄島の日米合同慰霊祭に、日米の防衛相が出席し『共同防衛の強化』を約束し、一朝有事には日本が前線に立つよう要望した。要望と言うより米国の‟命令”に思える。

▼トランプ大統領が再選され、日米同盟にも新たな要求が突き付けられている。日本が主権国家として、どんな対応をするのか国民は期待したいけど、今の政府にははっきり期待してない。

▼さらなるトランプの再来で『対米従属』が強くなるような気がするからだ。そして関税と言う貿易戦争にも突入する。小国・島国日本の運命やいかにだ。

▼そこに現天皇が「硫黄島の慰霊」に出かけた。天皇の‟お言葉”は日米の英霊に対し『二度と戦争をさせない」』と宣言したのではないか。

▼桜満開の日本国民は硫黄島から吹く風の中に、現天皇のお言葉をしっかり胸に受け止めたに違いない。靖国の桜たちもだ。

▼「国民統合の象徴とは何か」。私は我が国『戦争しない国』であることの「平和の象徴」が、天皇ではないかと戦後80年の今確信する。

▼戦争は絶対してはならないという、国民の統合の意思を世界に示す象徴が「天皇」ではないかと。

▼天皇は「政治的中立」の立場にある。政治的に影響を及ぼす言葉は発することができない存在だ。

▼だが「象徴」とは、国民の平和への心を統合する存在だ。「天皇=平和の象徴」としての存在を確立することが『主権の存する国民の総意に基づく』と言うことではないか。

▼先日母校の小学校の卒業式に久しぶりに参列した。児童数も全校で16名となった。「君が代」の合唱が始まった。

▼私たちの時代は「君が代」はもちろん天皇のことだと思っていた。戦前の気持ちを引きずる「君が代」は、学校現場にふさわしくないと大人になって歌うこともなかった。

▼だが現天皇や上皇の時代は「平和の象徴」としての存在を国民に示している。だがトランプにより、戦後の秩序は大幅に変わろうとしている。

▼「停戦から紛争」への流れが加速しているようだ。現天皇は今年、沖縄・広島・長崎への慰霊の旅に出るという。これが戦後80年目の「平和の象徴天皇」のあるべき姿だ。

▼主権者である国民は、これを機に天皇を平和の象徴として、国家の横暴を防ぐための、国民統合の象徴として、末永く存在させるべきではないかと考える。

▼♪君が代は(国家の平和の象徴としての天皇)千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで。

▼そう解釈したら「君が代」も、心に馴染んできたようだ。天皇を政治の使い勝手にしてはならない。

▼主権の存する国民統合の象徴であるとの憲法解釈は、正しい方向に進めさせるべきだ。それが戦後80年の国民の覚悟だ。

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