▼3年前の12月28日は、午後から手術台の上にいた。30代中頃から4度目の死刑台の上だ。環境に適応しながら生物は生存し続けるというが、4度目ともなると「私の命はすべて先生に委ねました」と、潔さしかない。
▼諦念というわけでもない。悪い部分を取り除けば、生きながらえるというような、手術成功ありきの感情しかない。死ぬなんて一瞬も考えたことがない。妻も死ぬわけはないと考えていたようだ。
▼4度目の手術で得た教訓は【良くなるために手術する】と思うことだ。それも成功する手術に慣れたからだ。周囲にもいらぬ心配をかけないで済む。だが5度目は最期だと考えている。だから5度目の手術は、受けないように健康でいなければならない。
▼というような一種の悟りを持っているのだが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例えのように、悟りはどこに閉まったのか忘れてしまった。忘却こそが、人生を楽しくさせる術なのかもしれないなどという、新たな悟りに到達しそうな、生存満3年目だ。
▼ただ残念なことは、この3年間で高校時代から半世紀以上付き合った親友2人が、他界したことだ。両手両足を失ったような、無常観を味合っている。
▼1964年の東京五輪は、共に高校1年生だった。二度目の五輪は、私一人が観るというのは、非常に悲しい。たぶん二人が生きていたなら、3人で函館市内で飲みながら、当時の世相などを思い出し、今の世の中と比較し、戦争のない平和について語ったに違いない。
▼昨年亡くなったMと私は、高校時代のバス通学路にあった、同じ病院で手術をした。「まさか半世紀後にこの病院で」と、苦笑いしたのを思い出す。
▼この病院の当時の名称が言いにくいので、新人の女性バスガイドが、必ずトチル。それを3年間からかったので、バチが当たったのではないかというのが、私の推測だ。
▼もう一人のKは、大学を卒業してからベルギーで暮らした。高校ラクビ―で花園に行った猛者だったので、今回の「ワンチーム」は、天国で応援したに違いない。彼は、急病で自国の病院で手術したまま帰らぬ人となった。
▼そんなわけで、私を一人ぼっちにしたので、Mへの「別れの言葉」で、KとMが生きるはずだった命の分を、私にプレゼントしてほしいとお願いした。
▼Mと私が、病院の中で話したのは「アベ政権下での東京五輪は観たくない」ということだった。だが、私だけがたぶん二度目の東京五輪を観ることになるだろう。
▼その五輪がどのような変化をみせるのかを、二人に報告するのが私の務めだ。私たち世代は、五輪は「国威発揚」という使命感を持っているのを知っている世代だからだ。
▼最終の聖火ランナーの候補に、私は浅田真央さんを期待したい。【戦争のない平和な世界】を次の五輪に、しっかり伝えてほしいからだ。「真央ちゃんスマイルと日の丸」は、ベストマッチに思うからだ。
▼なんだか不安感が実感となりそうな、令和という元号が意味合いをみせてくるような時代になりそうな気がする、年の暮だ。
除夜の鐘中東派兵の響きあり
三等下
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