夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

若山牧水展 (その2)

2015-02-18 22:54:13 | 短歌
若山牧水が旅とともに酒を愛した歌人であることは有名で、牧水の酒の歌は300首余りもあるのだそうだ。

牧水の妻・喜志子も、
お酒と云へば、牧水の生活と酒とは切り離すことの出来ない一如のものであって、今更事新しく云ふまでもない事であるが、あれほどまで美しく酒に対して没我になりきれた人は稀であらうとは云ひ切れるやうに私は思ふ。酒に依って生き得た人、酒に依って芸術を生かし得た人、それ故にか死後三日を経ても肉体の色も変ることがなかったのであるから、全くの酒仙であり、酒の仏になりきり得た人なのであった。
私は常に牧水がそのお酒を通して人を愛し、生を愛し、天地自然を熱愛してゐたその態度を見ながら、或時はその没我の姿を美しくもまた妬ましくも思ひ、それと一緒に深く教へ導かれても来てゐたのであった。
(「短歌研究」9巻9号、昭和15年)
と書いている。

この文章は、展示の中にあったが、巷間よく言われる、〈牧水は大酒飲みだったから、アルコール漬けになった遺体が死後も腐らなかった〉という話の出所はここなのだろうか?

解説にあったように、牧水は三十代半ばから酒による心身の不調が著しく、禁酒の努力を重ねたが、最後にはその酒のために健康を害してしまった。
意外なのは、牧水が最後に飲んだ酒が、岡山・金光の「神露」(しんろ)だったことである。
展示室(1階)には、「神露」の樽が置いてあり、「晩年の牧水は「菰冠り」(四斗樽)を取り寄せて呑み、最後に飲んだ酒もこの神露であった」と説明があった。

牧水と親交のあった三浦敏夫の姉が、岡山・金光の造り酒屋へ嫁いでいた関係で、「神露」を東京へよく送っていたので、牧水も愛飲していたらしい。


牧水が愛飲していたと知って、私はいてもたってもいられず、その日の夜に「さかばやし」という居酒屋に行き、カウンターの中にいた社長に、
「神露置いてませんか?」
と尋ねてみた。この店は、岡山の酒はほとんど取り揃えているのである。
神露酒造は明治42年創業だが、今もお酒を造り続けているそうで、私は大吟醸と純米吟醸をいただいた。
岡山の酒らしい、旨口で濃醇な味だった。

社長に、若山牧水が最後に飲んだ酒だったらしいことを話すと、
「知っとる。」
「え、なんで?」
と聞くと、お店の中に張られた「若山牧水展」のポスターを指さした。
なんでも、数日前に、吉備路文学館の館長が三人連れで飲みに来られ、ぜひお店に張って案内してくれと頼んだのだという。
社長自身も、「若山牧水展」を見に行ったのだそうだ。

意外な展開に驚きつつ、「神露」をじっくり味わって帰って来た。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。