ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

11/11日 古刹 深奥山 方広萬寿禅寺(別名:奥山半僧房)にお参りする:浜松市北区引佐町の山懐にあります。

2018-11-15 07:04:45 | 草花
富士山が見えなかったので、もう一度時間を置いて、陣座峠にやってくることにして、一旦は峠から山を下り、奥山半僧房(深奥山 方広萬寿禅寺)にお参りしてくることにしました。

深奥山 方広萬寿禅寺を略して「方広寺=ほうこうじ」と言ったり、「半僧房=はんそうぼう」と言ったりしていますが、このお寺は1371年(建徳2年)の開基になりますから相当古いものですね。おまけに、後醍醐天皇の皇子無文元選の開山によるそうですから、相当由緒正しい寺ということになります。

開山の無文が中国の元から帰国する際、悪天候の中、無文の乗った船を守護したとされる神が別名にある半僧房権現様だったそうです。

ご本尊は釈迦如来ですが、木造釈迦如来及両脇侍坐像(=国指定重文 )は、観応3年(1352年)の作で、方広寺の開創よりも前に作られていて、これはもともとは茨城県城里町の清音寺にあったもので、徳川光圀(水戸光圀)公の厚い信仰を受けて修復された・・・・・・ということです。

方広寺着 ↓

午前8時ジャストに方広寺の三重塔の前に着きました。朝が早いので通行制限なしにいきなり心臓部に来てしまうことが出来ました。



本堂に近づく ↓

写真では判りにくいのですが、本堂の建物は想像を超えた規模でした。そこを目指して歩いて行きます。



開山堂勅使門 ↓

曰くのありそうな重厚な建物が並びます。



本堂 ↓

本堂にやって来ました。二階建てのようになっていて、そこに登れるのは、拝観料を払ってからのようです。
朝が早いので、社務所が開いていません。



扁額 ↓

右から山名の「深奥山」とあります。この書は有名な山岡鉄舟によるものだそうです。



鐘楼 ↓


一句 ↓

「昏鐘や一打一打に散る銀杏」朗人 とあります。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日[1] - )氏は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、文化勲章受章者。
東京大学総長、理化学研究所理事長、参議院議員、文部大臣、科学技術庁長官などを歴任。



社務所 ↓

まだ開いていませんでした。



大きな鬼瓦 ↓

建て替えた時に更新するのでしょうが、古いものを下におろしても、これだけ立派なものになると、なかなか捨てられませんね。



半僧房真殿 ↓


龍の彫り物 ↓




ツワブキ ↓

寺の境内でツワブキの花をたくさん見ました。


そそくさというところでしたが、お寺を参拝して、陣座峠に戻ります。
峠から富幕山とは反対側の尾根上に登り、見晴らしの良い場所から富士山方面を見ましたが、とても見える空ではありませんでした。

陣座峠に下りてから、帰宅の途に就きます。



ミカン狩り ↓

途中の道筋で蒲郡を通りますが、皮肉なことにここでは日差しがあり、ミカン山にはミカン狩りの家族連れがたくさん来ていました。



コメント (4)
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