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ハロウィンの夜に








ハロウィンの夜。

太陽の季節が終わり、明日から暗闇の季節が始まる。

これはケルトの一年の分割方法で、ケルトの人々は一年を「太陽の季節」と「暗闇の季節」の二期に分けた。
(ちなみに4月30日はヴァルプルギスの夜で、翌日から太陽の季節が始まる)

太陽の季節が終わる今夜、気象や時間は不安定になり、あの世とこの世の境界線が弱まるため、魔物や死者がこの世に侵入してくるのである。
事実、欧州ではこの日の前後にサマータイムが終わり、一気に朝昼が短くなり、太陽が日に日に弱るのを実感する。

そして共同体は、この夜、魔物や死者の無礼講を許す。

なぜか。

もっと人間に自然や死者が近く、それらの顔色をうかがいつつ、折り合いをつけながら暮らしていた時代を想像してみよう。

地上に「死」が訪れたようになる暗闇の時期(冬)をやり過ごし、「死」の被害を最小限にとどめ、再生の季節(春)が滞りなく巡って来るよう儀式を行った。

境界線が弱まる夜、あの世からにじみ出してくる魔物や死者をもてなすためにあちこちで宴会を催し、良い気分になっていただく。そして最後には機嫌よくあちらの世界にお帰りいただくのである。機嫌よくあちらへ帰ってもらえないと、ずっとこちらに居座られ、年中「魔」がはびこってしまう。

古来より、子供や若者は大人よりもよりあちらの世界に近い存在とみなされたがゆえ、「死」をあらわす魔物や死者の姿で狼藉をはたらくことが許された。

これがハロウィンだ。

彼らが満足してあちらへお帰りくださることが、再生までの期間をやりすごす立願になったのである。

せいぜいお菓子をたくさん召し上がっていただいて、あちら側へお帰りいただこう...
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la bayadere リハーサル








クラシックバレエの筋書きのコアにあるのは、「生きることと死ぬこと」「子供の成長をうながすこと」「死者を始めこの世のものではない存在が生者の世界に影響を及ぼす」などであるとわたしは考えている。

それらはいずれも共同体が存続していくために語り継いでいかねばならない教えだ。なぜバレエにこういう話が多いのかは分からないが、なぜかそうなのである。


そのうち、バレエで最もひんぱんに語られるのは「死者やこの世のものではない存在が生者の世界に影響を及ぼす」ことだと思う。


ロイヤル・バレエ「ラ・バヤデール」(「インドの舞姫」ほどの意味)のリハーサルを見た。
本番は11月1日から。ロイヤル・バレエが「ラ・バヤデール」を上演するのは2013年以来で、それもあってか、豪華キャストにも関わらず、物足りない印象を受けた。そのうちでも主役のひとり、ニキヤ役のマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez)は全身全霊スピリチュアルですばらしかった。

英雄・戦士ソロルと、神殿の巫女ニキヤは神に結婚を誓った恋人同士である。
しかし、王が自分の娘ガムザッティ王女との結婚をすすめるとソロルは決断ができなくなる。
ガムザッティ王女は嫉妬心から毒蛇を仕込んでニキヤを殺害する。
自責の念にかられ、幻覚の中でソロルは死んだニキヤに出会い、再びニキヤに愛を誓う。
ソロルとガムザッティ王女の結婚式の日、神への誓いが破られたことで神殿が崩れその場にいた全員が死ぬ。


明日はハロウィン。

ハロウィンも、季節の変わり目に死者が生者の世界に侵入してきて、生者に何かを思い出させる日なのである。


(写真はROHから)
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de schilderkunst 絵画芸術








友達から日本で開催されている「フェルメール展」の心踊る話を聞いたので、わたしもウィーンで見たフェルメールについて書こう。


ウィーン美術史美術館蔵 フェルメール作De Schilderkunst「絵画芸術」 130cm × 110cm 部分


ハプスブルグのおかげで優れた芸術品が唸っている美術館はいくつもあるが、そのお膝元ウイーンの美術史美術館の充実度!
あの絵もこの絵もここにあったのか、と生き別れた肉親に再会するような感動がある。

わたしはこの絵を見るのが初めてで、美術史美術館での楽しみのひとつにしていた。
まずその大きさに衝撃を受けた。
この絵のあるコーナーにしばらく一人きりで佇んで独占。

ロンドンのナショナル・ギャラリーにも「バージナルの前に立つ女」と「バージナルの前に座る女」の2枚があり、よくふらりと見に行く(入館無料なので)。
両方ともとても小さい。小さくて美しい(両方とも50X45ほど)。

別に大きいからよりよいというわけではないが、今までにフェルメールのほどんどの作品を見ているにもかかわらず、愚かにもフェルメールの美しさは小ささに宿るなどど思いもしない思い込みをしていたようだ。
この「絵画芸術」の圧倒的美しさときたら! ...言葉になりません(逆に写真が下手で失礼)。


藤田令伊著「フェルメール 静けさの謎を解く」の中にはとても印象的な説明がある。

「(フェルメールは)現実の再現描写にとどまらない絵を探っていたことを物語っているように筆者には思われる。現実に依拠しない独立した世界としての絵画。何かを手本にしてそれを描くのではなく、絵画それ自体を描こうとした絵画」(4章)

おお、これこそが「タイトルの『絵画芸術』のいわんとするところではないのか、と。


ここには何度も描いているが、わたしはフェルメールをベルギーに住むようになってから特に好むようになった。

というのは、この画面にあるのは間違いなく、わたしが13年間住んだネーデルラントの古い家に差し込む光の再現だと思うからである(フェルメールの光についてはVlaams LichtHolands Licht)。
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頭上注意








英国・サリー州は豊かな自然が自慢で

ハイキング道が時間と難易度に合わせて無数に用意されている。

昨日の昼食後、腹ごなしに歩いたハイキング道は初めて行く道で

駐車場から円形に歩いて1時間半ほど

途中、イタリアン人経営らしいビストロパブを発見、次はここで食べよう...


どうやらマウンテンバイク乗りに人気があるルートのようだった。
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シューベルティアーデ








シューベルトはウイーンっ子だ。

オーストリアの音楽家といっても、モーツアルトもベートーベンもブラームスもヨハン・シュトラウス一家もみな「よそもの」らしい。
モーツアルトは当時独立国家であったザルツブルグの、ベートーベンもボンの、ブラームスはハンブルグ、シュトラウス親子も全世代まではブダペストの住民だった。

また話がそれて長くなっていくのだが、文化の発展には「人と金の自由な移動」が必要不可欠なのだ。つい最近も英国の学者らがブレグジットによって科学の発展が阻害されてはいけないと声明を出していたBrexit must not end free movement, Nobel scientists say 日本語は「科学には人と資金の自由な移動が必要」 ノーベル賞学者らがブレグジット懸念


アントワープに滞在中、友達が誘ってくれ、シューベルトを聞きに行ってきた。@deSingal。
「シューベルトは、ある種のグループの人気者であり、彼らのあいだで『シュベルティアーデ』と言われた音楽とワインに満ちあふれる会合がひんぱんに開かれた。そんなときシューベルトは、『短くて太い指がいうことをきかなくなる』まで弾きまくったという」

「その才能のちがいは別にしても、彼らの音楽にはおおきなちがいがある。シューベルトやシュトラウスの音楽には、モーツアルトのもつバロックないしロココの宮廷の華やいだ雰囲気はない。彼らの作品が宮廷で演奏される姿も想像しにくい。むしろ、芸術を愛好する一般の市民をまえに演奏する音楽であって、どこか庶民的な音楽という感じさえする」(以上、上田浩二著「ウイーン『よそもの』がつくった街」)


正直言うがわたしはシューベルトは好きな方ではない。ウイーン関係と限定しなくてもベートーベン、ブラームスが大好きだ。
しかしこの夜は当初予定されていたピアニストが負傷のためキャンセルになり、急遽21歳のピアニストAriel Lanyiが弾くというのと、ウィーン気分がまだ残っていたのでウキウキ行ってきたのだ。

6 Moments musicaux, D780 Schubert
Sonate in D, D850, opus 53 'Gasteiner' Schubert
Sonate nr 17 in d, opus 31 nr 2 'Sturm' Beethoven

特に内田光子さんのすばらしきシューベルトをロンドンで何度も聞いていて、ど素人なりにめちゃくちゃ耳が肥えているので、正直全く物足りない演奏ではあった。が、若い芸術家を応援すること以上の喜びがこの世に他にあろうか。


(写真はアントワープの市民劇場。deSingalの写真がないので...そういえばわたしはdeSingalの建物をまともに見たことがない。というのはいつもコンサートは暗くなってからだからだ!)
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