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足下の豆を拾え




去年末に書いたことに関して、友人と語り合った。

彼女はその記事を読んで、「私はまず自分が成功したい。幸せになりたい。自分が成功してから余裕を持って他の人を助けたい」という意見だ。

議論するつもりは全くない。物事のやり方はみんな違っていて当然なのだから。


わたしの意見はこうだ。「いつか痩せたらおしゃれをする」「いつか自分の家を建てたら美しい生活をする」「いつかお金持ちになったら寄付をする」と、今の自分ではない未来の自分(つまり他人)に何かをさせるのではなく、今この瞬間、今のこの状態の自分から何かを始めることこそが小さな幸せにつながるのではないか、と。

もちろんわたしは去年末の記事の中で「成功しようとするな」と言っているわけではない。
でも、技術を売るにしろ、物を作るにしろ、何かを教えるにしろ、自分の成功や、名声や、賞賛を求めるだけでは、「幸せ」にはなれないのではないか。
やはりそこには人に対する気遣い、何かを贈る気持ち、共存共栄の気持ちがなければ、と思うのだ。

ええ、オマエが言うな、という感じですけれど...



格が違うが、娘が宿題で取り上げていたインド人の男性の話を(CNN1/2のニュース)。

彼は欧州で有名ホテルのシェフとして将来が約束されていた。ある日、インドに帰国して寺院を訪れたとき、高齢の路上生活者を目の当たりにして彼は大方向転換をする。貯金数千ドルを元手に、路上生活者に食事を提供するというボランティアを始めたのだ。
彼はこう言うこともできただろう。「欧州で十分働いて十分な貯金と十分な準備ができてからシェルターを建てる」と。
しかし彼はすぐに始めた。

今すぐに自分のできることで他の誰かが少しだけ幸せになれる、それよりも自分自身を幸福にできることは決して多くないと思う。

「足下の豆を拾え」という有名な格言を弄んで、「(ジャックと豆の木の)豆の木が天まで届くのを待っている間に」と蛇足しておこう。自分のために。

「(ジャックと豆の木の)豆の木が天まで届くのを待っている間に、足下の豆を拾え」

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タパス




わが家の近所、徒歩1分にホテルがある。


このホテルのバア、インテリアだけは好みではないが、居心地がよく、気心が知れていて、年中無休で夜中まで開いているから、よく行く。ほとんど毎日夕食前に行く。

16時に学校が終わる娘が、これまた徒歩2分の音楽学校(つまり、うち、ホテル、音楽学校は三角形を描いて位置している)に毎夕通うので、彼女を送って行ってからの1時間を夫とともに赤ワインを2杯ほど飲んで過ごすのだ。

ああ、このホテルとインターネットがなかったとしたら、わたしはブルージュでとっくに屍になっていただろう。死都ブルージュに死す。


で、娘は週末に限り音楽学校が終わってから来てもよいことになっている。
この11歳の少女、ケーキやパンナクック(クレープ)の類いは決して頼まず、必ず「タパス」を注文するんですな。


ここのタパスはタパスでもかなり立派なタパスだ。

レストランのキッチンの事情で毎回7、8品出てくる。例えば炙ったラングスティン、フォアグラのラビオリ、グースレバー、キャビア、グレーシュリンプの一口コロッケ、鳩のコンフィ、鴨、スモークサーモン、まぐろのタルタル、隅の方にオリーブ、ドライトマト、チーズ...そんな感じだ。ええでしょう。お酒の肴好きにたまりません。

りんごジュースやエビアンなどと共に、イッチョマエに酒の肴系を楽しむ...彼女もワイン好きの将来に向かって一直線に進んでいるのでしょうか。


そうなのだ、彼女が大人になって3人で飲めると思ったらもうワクワクする、ということを書きたかったの。
この近所のホテルでもだが、セイシェルの夕焼けを見ながらとか、NYで待ち合わせて、とか。
彼氏もいける口じゃないと困ります(笑)。

わたしの老後にはこういうささやかな楽しみが満載なのだ。

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j.s. bach








ミラン・クンデラ(裏切られた遺言)によるバッハ。

「バッハのフーガは存在の主観外的な美を表現させることによって、私たちに自分の気分、情熱と悲哀、自分自身を忘れさせたがるのに反して、ロマン派の旋律は私たちを自分自身のなかに沈み込ませ、恐るべき態度で私たちの自我を感じさせ、外部にあるいっさいのものを忘れさせたがるかのようである。」

娘がバッハをしつこくしつこくしつこく練習しているのを階下で聞いていると、いつも思い出すのだ。さすがクンデラ(わたしは彼の愛人志願をしている・笑)。


わたしが子どもの頃からずっと興味があることは「われわれは何者なのか」「われわれは世界をどう説明するか(あるいはどう説明したから人間になったのか)」につきるのだが、最近はキッチンで単純作業などをしながらバッハの断片を何度も何度も聞いて、絶対美についてとかそんなことを考えている。つまり、同じ曲の同じ断片を何百回と聞かされて頭がおかしくなりそう、ということです。

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青春18きっぷ




銀行で書類にサインをして、これで終了という時に、臨時で担当してくれた若い女性銀行員さんが言った。

「最後に個人的な質問をしてもいい? この春、初めて日本に旅行するの。絶対に行くべき場所のおすすめはある?」

これって難しい質問だと思いませんか?


「えっと、観光客が必ず行くのは、まず東京や京都だと思うけど。見どころもたくさんあるし。どういうプランなの?」

「バックパックで行くから全くプランはないの。1ヶ月後の復路航空券があるだけ。できたら観光客には知られていないようなところに行きたいわ。」


さらに難しい質問である。条件が何もない時に何かをおすすめするのは大変に難しいのである。
せめて「京都とその周辺で」「登山がしたい」「陶磁器に興味がある」など、興味の対象の具体例や、絶対に見たい物や、やりたいことがあればいいのだが。

「日本は観光スポットがすごくたくさんあるから、何に興味があるかを絞った方がいいと思う。例えば歴史が好きなら、奈良はいい。観光地だけれど観光スポットが広範囲に広がっていて、しかも交通が便利ではないから、観光客だらけでうんざりということもないと思う。自転車を借りて見て回ったことがあるけど、よかったよ。」
「伊勢もいいかも。日本の皇祖神を祭る伊勢神宮はおすすめ。行けばわたしがどうして行けと言ったか必ず分かるはず。」


もし日本が2度目ならば、出雲大社や宇佐八幡をすすめたいところだ。どうだろう。マニアックすぎるかしら。


わたしは関西人なので、外国のお客さんをもてなす時は地元神戸を中心に、大阪、京都、奈良、姫路、辺りでいっぱいいっぱいになってしまい、常々ええな、行きたいな、と思っている彦根や、倉敷や、金沢へも行けた試しはないのだ。

関東なら鎌倉なんかもええですな...富士山なども山岳好きにはたまらんスポットかもしれません。


本当に日本には見るべき物がたくさんありますな!(食べるべき物も!)
どうでしょう。みなさまならどうアドバイスされますか?

もしわたしが彼女の友だちかトラベルアドバイザーで、1ヶ月間旅行をプランしてあげるとしたら、まず簡単な日本の歴史の本を読むように進言するだろうが、そういう友だちって嫌がられそう(笑)。


結局、まずガイドブックを入手して、興味があるなと思う主要な観光地をピックアップしてから、そこを拠点に距離的時間的に訪問可能な場所の見当をおおまかにつけておけばいいのではないか、と言ったのだ...行き当たりばったりを楽しむ、というのもバックパックの醍醐味だし。


帰り道、ふと思った。青春18きっぷはまだあるのだろうか。
わたしも青春18きっぷ(中年女にはナイスミディパスか)を使って日本全国津々浦々をめぐりめぐってみたい。鉄道好きとしては。18キップは一日券なので、ユーレイルパスのように週単位で使える物があるとなおいいなあ。


「青春18きっぷ」というネーミングがロマンですよね。新発売当時少女だったわたしは、自分の未来へのきっぷを手にしたかのようにな気持ちになってCMを見てはウキウキしたものです。青春は遠くにありて思うもの、です。

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パリから寄り道 cassel




パリからの帰りに寄り道をするためには、
交通手段が車
時間と体力に余裕がある

の二つの条件が揃っていなければならない。

...すごいミッションを果たさんとするかのようですね(笑)。

パリから寄り道シリーズ3回目(番外編を入れたら4回目!)。


ファッション展示会で賑わうパリからの帰り道、ひさしぶりに寄り道をした。
北フランスに広がるフランダース平野にある街、カセル。北フランス最大の街リールから30分弱。

この小さな街に「フランダース美術館」が完成したと知るまでは、カセルのその名を聞いたこともなかった。
「フランスに残るフランダースの街」...次の寄り道はここやなと、ニュースを見て以来決めていたのだ。
 
フランスにあるフランダース平野地方は、その名前が表すように元々はフランダースに属していたが、17世紀のネーデルランド継承戦争でフランス軍に征服され、その後ずっとフランスにある。
カセルもその時に「フランス」になって以来350年近くが経つ。
この間の大戦の後にフランスになったのではなく、350年前の戦争によって...にもかかわらず、この街には、周辺の街に比較しても「フランダース」アイデンティティが未だに根付いているというのである。なるほど、小高い丘の上に造成された街だからして、地理的に隔離されているという偶然も手伝ったのだろう。


街を歩くとフランダースの旗(黄色地に黒の獅子。かっこいい旗だ)や看板が目につく。
レストランやカフェ、果てはドライクリーニング店など、「フランダースの獅子」と名乗る屋号がやたらとある。カフェには「フランダース風フィルターコーヒー」という見たこともないメニューがあり、デリではフランダース風パテや煮こごりなどの総菜が販売されている。
聞けばフラミッシュのラジオ局まであると言うではないか。
カフェの若オヤジはフラミッシュを話せたし。







人間のアイデンティティは「自分は何であるか」ということよりも「何でないか」ということを核に形成されると言う。「自分はフランス人ではない」「母国語はフランス語ではない」「自分の食べている料理はフランスの料理ではない」等々。つまり、ある日フランスという他者が玄関先に現れたとき、人はいままで考えなくても良かったこと:「自分はフランス人ではない。では何人なのか」という自分のアイデンティティを考え始めたのだ。

わたしとしては、フランス文化というのはメインストリームでマジョリティで、そのために破壊力も強いのではないかと根拠もなく思っていた。だから余計に、フランスというネイションに住みつつも「私らはずっとフランダース人さ」という人々の態度が、ええなあ...というのはおかしいかもしれないが、「外国」に住んで12年、年期入りの「異邦人」であるわたしにとっては非常に親近感が湧くストーリー、だったのだ。

ほら、もし元寇が攻めて来た時に日本の一部が完全にモンゴル化されていたとして、800年後の現在、その地方の小さな街でまだ日本語が話され、和食が食卓に上っているとしたら...なんか嬉し懐かし感じがしないだろうか。


美術館も期待はずれだったし、街にもこれと言って見るべき物はなく、二度と訪れることもないだろうが、よい訪問であった。
人生は「二度と○○することのない○○」であふれている...大切にしないといけませんね。

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