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bon-nou




「煩悩から逃れたいと思わないって?」

何だか重たそうなハナシで恐縮だ(笑)。


前回、「悟りには興味がない」というようなことを書いたから、また突っ込まれてしまった。

わたしの友人の一部は精神世界に興味を抱いている(理性的で狂信的ではない)人たちである。だからこの手のことを書くとすぐに反応されるのである(笑)。

事実、世の明かされていない事柄についてあれこれ考えたり、話し合ったりするのは楽しい。

死後に天国に行くのか地獄に落ちるのか。解脱するのか輪廻転生を続けるのか。
わたし自身は「無ですらない”無”」であると想像している、としか言いようがないが、別にニヒリズムのつもりでもない。



人間の一生は苦楽の間にあり、その苦楽に一切意味はなく、それでも生を自分のやり方で精一杯味わうことが人間として生きることだと思う。

わたしはここまで来て、何が起ろうと乗り切る自信があるから、悟りなどは必要ないのである。
ただそれだけのことだ。

こういう話題って、微妙...
やはり宗教(精神世界)の話題は政治の話題以上に避けた方が賢明だな(笑)。








世界の成り立ちと、その隠された秘密。

象徴として現されているとしばしば言いうが...
最近の「芸術や文書に隠された暗号」の解読や、カバラの流行もその手のひとつ。



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たいせつだと思うことなど




先日、「犬の散歩のために5時起き」という記事を書いら、意外なほどに反応を頂戴した。





ブルージュの青い朝




わたしが毎朝、2時間ほどの散歩時間を取れるのは、犬と一緒だと意外なほど歩ける、四季の発見が楽しい、身も心も目覚めて、やる気とエネルギーが湧いて来る、といった面があるからだ。
でも、寒くなるとベッドから出たくないし、雨でもぱらついていれば、当然「ああ...」と暗い気持になったりする。

それでもがんばって出かけられる一番の理由は、彼女が死んだ時に後悔したくないからだ。


わたしは今まで猫、犬、うさぎ、鳥、などと生活してきた。

彼らの寿命からして、人間はほとんどの場合彼らの死を看取ることになる。その時に「ああ、もっと一緒に遊んでやれば良かった」「もっと散歩に連れていってやればよかった」「健康管理をしてやれば良かった」などと悔いたくないのだ。
飼われている側は人間に生活をコントロールされているわけで、人間は自分の都合を押し付けている分、最低限の義務は果たしたい...

その点、ブルージュではすぐそこに公園があり、森があり、散歩道があり、動物を飼う環境としてはかなり恵まれている。しかし、わたしは別に森がなくても、住宅街や、開店前の繁華街の中を散歩するのも充分楽しいと感じる。
「お散歩は森の近くに住んでから行こう」ではなくて、今、できることをするのが幸せを感じるヒケツなのである。

自分や他人を喜ばすのは意外と簡単で、本当に気持の持ちようひとつである。



わたしたちは毎日、しなければならないこと、した方がいいけれど後回しにしてしまうこと、すすんでやりたいこと、やりたくないことなどに追われて生活している。
以前はわたしもいろいろな野望(?)を持っていて、これから先のために今を生きているような感じだったが、近頃では名声を得ることや自己実現などよりも、犬の散歩を適当にやりすごさない、などという普通~のことの方が大切に思えるようになった。

そんなわたしに友人は「それが悟るということよ」と言うが...せっかくですからごく一部悟った、ということにしておこうか(笑)。煩悩はまだまだたっぷりあるし、別に逃れたいとも望んでもいないから。



今朝は勢いついた犬が、50センチほどの高さの石の欄干を馬のように優雅に飛び越え、しかし2メートル下の芝生に落下...彼女、欄干をただの「しきり」(花壇の周りなどにある組み石)だと勘違いしたようだ。下が運河じゃなくてよかった。
でも彼女が水にハマるのは時間の問題に違いない(笑)。


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Dashing Clooney




おそらく世界で最もセクシーであろう『設定』の男は007ジェイムス・ボンドである。


その新ボンド役、ダニエル・クレイグが顔見せした時は、不細工だのずんぐりむっくりだの背が低いだの、さんざんな言われようで、ファンの期待を裏切ったとまで書かれていたが...


さて、今年も発表された「最もセクシーな男2006」。


毎年行われるこの選抜、米国基準では「最もセクシーな人」が見目麗しさ、「最も美しい人」が名なり功をあげた人、美しい生き方を貫いている人、という了解になっているようだ(古代ギリシャでは「美しい人」は容姿の美しさよりも、その社会的地位、名声、能力、出自の優位を指す言葉であり、「美しい人」とはポリスの市民としての規範を体現した「あっぱれな人」であったから、おそらくそこから由来しているのだろうと思われる。違う?)。

但し、欧米の美の基準というのは日本とは大きく異なっていると思う。
セクシー(=性的魅力のあるさま)であるということが基準の大きなファクターになっているのだから、それからして日本人の感覚とは少々異なっていると言えるだろうし、また、どちらかというと目鼻立ちの整い方よりも、全体のバランス/雰囲気/個性的なキャラクターを重視する、というのも事実であろう。


さて。
今年最もセクシーな男第1位に選ばれたのが、ジョージ・クルーニーである。
毎年「え???」という感じの若年の男どもが紙面を飾る中、(わたしにとっての)真打ち再登場。ええわあ、やっぱり。
もちろん見た目も好きだが、鷹揚で余裕のある男が好きなわたしにとって、時々耳にする彼のエピソードは微笑みを誘う...


....


少し前、夫とその仕事仲間とモントリオールに滞在中、夕食の席でわたしが無精髭のクルーニーのことを褒めたら、翌日、男性全員(正真正銘全員!)が無精髭で姿を現したのには、つっこみをがまんするのが大変だった。

だからあ、「全体のバランス/雰囲気/個性的なキャラクター」が大切なのだってば。

誰でもクルーニーになれるわけではない(笑)。


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犬と




実家ではシーズを飼っていた。


ボジョレ・ヌーボー解禁の日に、母が友人の神父さんから頂戴して来たので、当時妹の彼だった男の子が「ボジョレ・ヌーボー」と命名。
ぼじょれ、と呼ばれていた。

毎朝、家族の誰かに玄関を開けてもらうと、勝手に門をくぐりぬけ1人きりで散歩に出かける犬だった。そう言えば彼が震災で助かったのも、1人で逃げて行けたから。もしかして何かの下敷きになっているのかも...と怯えていたら、何時間かして家族の元に帰って来たのだ。
彼も相当おバカさんだったけれど...


.....



ブルージュのわが家の子犬ももう6ヶ月半。

ドッグ・スクールのトレーニング(だけ)が得意で、トレーナーから「なんておりこうなんだろう」と絶賛されるも、家ではあいかわらず能天気、ノータリンぶりを発揮している。
バカな子ほどかわいい...昔の人は巧いことを言ったものだ。



彼女が来てから、わたしたちの生活ペースも変わった。
娘が誕生して以来の大きな変化である。
今までのように突然ブラッセルでお泊まりするなどもってのほかであるし、彼女が1人でお留守番をしていると帰宅時間も気になる。娘はおもちゃを床に広げることができなくったし、家から全く出ないゼイタクな日曜日も夢。


一番の変化は散歩の時間がさらに長くなったこと。
もともとわが家は、特に夫に時間があるとブルージュの街なかをぶらぶら散歩ばかりして(は、飲んで)いるメンバーなのだが、今まで車で行って帰って来たような郊外も、お天気が許せば彼女を連れて歩くようになった。


そして!
わたしは早朝散歩に出かけたいばかりに、午前中から予定のある日は朝なんと5時起き~。
まあ、雪でも降り出したら早晩挫折するだろうが、この季節、ブルージュの旧市街の周りを運河沿いに巡る豊かなグリーン・ゾーンを歩くのはほんとうに味わい深い。


断然ハイヒール派で、娘が乳母車に乗っているときでさえ、ブルージュの石畳を華奢な靴で歩いていたわたしも、さすがに散歩用スニーカーを購入した。最高に健康になったような気分。


今日は今まで車でしか前を通らなかった手作り帽子屋のウインドウをチェック。
真冬用に暖かい帽子をあつらえようか...


(写真のグリーン・ゾーンが緑緑しているのが季節感に乏しい感じがするが、今年は暖秋で、つい先週くらいまで、ほんとうにこんな色だったのだ)


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なずの木の さやさや




玄関を飾る、遊びっぽくて、簡潔なデザインから連想をさそうような飾りものはないかな?
と、ずっと探していた。


やっとあった、わたし好みのものが。

写真の壁の、これはVitra社のAlgen(海藻)という名のクラフトだ。
ベルギーのインテリア雑誌で見て、ずっと欲しいと思っていたら、アントワープのDonumで発見した。3ヶ月待たされてついに手元へやってきた。


1ピース約20cmX10cmの昆布形のパーツをピンでつなげ、自由に形成していくのだが、こういう一筆書き的なパターン(例えば他にはアラベスクとかカリグラフィとか)に強く惹かれるわたしの心を鷲づかみ。
ライトを落とすと深い影ができるので、ほんと、海藻のただよう暗い海の中にいるような...連想。








枯野を塩に焼き 其が余 琴に作り 掻き弾くや
由良の門の 門中の海石(いくり)に触れ立つ 浸漬(なず)の木の さやさや




写真は50ピースをつなげたもので、縦2m横3m弱の大きさ。このピース数でも壁から藻が生えているような立体感があるのだが、さらに厚みを出して天蓋のようにしたいので、50ピースを追加注文した。
全部で100ピースに形成できたらあらためて写真をアップしよう。

値段が手頃で、お遊びがお好きな方にはおすすめ。


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