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だるまちゃん、エレガンスを語る




わたしは娘とお茶に出かけるのが好きだ。


特別のイべントのない週末にもなんとなく華をそえてくれるし、平日の朝、「学校が終わったら、お茶に行こうね」と約束をするのも楽しい。
娘が赤ん坊の頃から時間を持て余すとティールームに逃げ込んでいたため、彼女にもはやばやとカフェ文化が身についたのか?
もちろん、子どもの存在がふさわしくない「大人の場所」には連れて行かないが。



昨日、友人とパンナ・クック(クレープ)のお茶に出かけた。

娘が黄金色に焼けたパンナ・クックをナイフとフォークで勢いよく切り分け、大きな切れ端を口に持っていったので、「一口サイズに切って食べた方がエレガントですよ」と言ったら...

友人が「普通7歳の子には”一口サイズに切って食べなさい”と言うよね~。」と、わたしの口調を指摘。
そうか、”エレガンス”などと子どもには馬の耳に念仏、ブタに真珠フレーズなのだ。

実はわたしは娘に注意するとき「もう少しエレガントに」などとよく言う。今まで他にいいフレーズを思いつかなかったのは、語彙が少ないせいかもしれない(彼女以外に同年代の子どもがいる場合は「もう少しお行儀よくして下さい」と意識的に言いかえる)。

指摘されて考えてみた。
”エレガント”という言葉は、使い方を間違えれば限りなく安っぽくなってしまうので気をつけなければならないが、わたしにとっては子どもに身につけて欲しい生き方を安直に表現した便利な言葉なのだ。
別に気取って使っている訳ではない。

説明するならば、公共の場で他の人たちを不快にさせぬよう、という気配りはエレガントだし、人にお礼を言うのもエレガントなことだ。食べようが話そうが、ポジティブな態度もエレガントだ。
○○しなさい!と言うよりも、子どもに矜持を持つよう願うならば適当ではないか、と(こじつけで)思う。



...などと言いつつ、今日から娘の学校では2週間の中間テストが始まったので、「早くしなさい!」で始まり終わった週末ではあった。

おかげで娘には「早く早くだるまちゃん(<なぜにだるま。でも彼女の口調だとかわいい)」というあだ名を付けられる始末。

が、たとえワタクシでも「もっとお勉強した方がエレガントよ~。」とは悠長すぎて言えない(笑)。








家の裏に来る白鳥。
水面を漂う彼らはエレガントだが、
餌を狙っているときや、
陸上を歩いているときは
また別の面(笑)を見せてくれる。



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永住したい街




ブルージュに住む...
街並の美しさ、落ち着き、静けさ、自分の時間。


わたしにとって、ここに住むということは最初から窮屈なことだった。
単調で退屈で濁りのない街!

世界中、どんな理想郷に住もうとも良い面/悪い面はあるし、住んで都にするのは自分自身の心の置き場所一つだ。
が、プラス面/マイナス面リストを作成して、ブルージュと他の都市に居住することとを比較してみても、現在のわたしにとっては転居する方が幸せなのではないかという思いを強めていた昨今...


昨夜、ブラッセルで友人たちと楽しい夕べを過ごし、めずらしく電車を使って帰宅した。

ブラッセル・セントラル駅23時30分初の鈍行列車はその名も「西の終わり」Oostend行き。
ブルージュ駅からタクシーに乗って、ダイニングの電気をつけたのは午前1時。
夫は出張中、娘はお泊まり、飼い犬だけがうれしそうに出迎えてくれたので、着替える前に長時間一人きりだった彼女を散歩に連れて行くことにした。


幸い暖かい夜で、街灯が石畳に落とす真珠色の光の中を、うれしそうに出たり入ったりする犬を見ながらゆっくりマルクト広場まで歩を進めると、こんな夜中に散歩が許される都市がいったい他にいくつあるだろうか、という喜びがこみ上げてきて、

そこからは急いで閉店間際のワイン・バアに駆け込み、カウンターで一杯サンテミリオンのグランクリュを飲んだ。



そう言えばかれこれ10年以上前、つれづれに「将来住みたい街」の条件を紙に書いてみたことがある。
あれは退屈な授業中だったか、あるいは飛行機の中だったか...


住居から余裕の徒歩圏内に劇場、映画館、図書館、美術館、
そして3つ星レストランがあること。
街に歴史があり美しいこと。
街が水に近接していること。
車の便がいいこと。
森と海が近いこと。

他にも「山が見える」とか「おしゃれな百貨店がある」などと何かあったかもしれない。
ただの箇条書きマジックかもしれない。
が、「これってブルージュのことやん??」と膝を打ってしまった。


わたしは一生ブルージュに住むことはないと思う(断言)。
夫もわたしも完全な自由業のため、世界中どこに住むこともできるし。今までにもあちこちに転居を考えたし。
それでも未だブルージュに住んでいるのはなぜだろうか。


閉店するワイン・バアを追い出されつつも、ちょっとだけ、ブルージュに住んでいるということがかけがえのないこと、と思えた瞬間だった...


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楽しき雑貨




11月、Algenというクラフトをお玄関に飾った。


つい先頃その追加ピースが届き、現在はこのような状態。今では翼を広げたロットバルトのようにも見える。
とても気に入っている。
ここがお玄関でなければ、さらにAlgen面積を広げて、下にデイ・ベッドを置きたいところだ。


....こういうものを自宅に取り入れて喜ぶのみならず、創造する立場にあったらどんなに素晴らしかったろうとつくづく思う。
しかしまあ、恩恵に浴せるだけでもありがたい。




左の写真は夏のパリ、Ugly homeで求めたもの。


Uglyはいわゆる壁紙屋、これは壁やガラスなどに貼って楽しむステッカーである。

重厚な家屋と家具と、ポップで少々キッチュなものをあわせるのが好きなので、こういう雑貨はよくチェックする。

縦1m/横50cmサイズ、マントルピース上に貼るつもりだったのだが、ペンキ仕上げであるため(わが家に壁紙はなく、すべて漆喰)密着は難しいのではないかと不安になり、今日の今日まで放ったらかしにしてあった。もったいない。

一風変わった額装にして壁掛けにするかな...こういうあれこれを考えるのも楽しい。




この時、わたしの友人はこちらも素敵なインテリア・ショップ兼壁紙屋であるThe Collectionで、軸風のアートを購入。

このお店にもぜひ欲しいものがあったのだが、長らく品切れ中なのだ。近頃はTracy Kendall のOpen Featherも良いなあ、ぜひ寝室に飾りたいなあと...




やはりわたしは白黒の一筆書き風、影絵風のモノに強く惹き付けられるようで、最近コレクターと化しつつあるのがアートスタンプ(はんこ)。
はんこ?とあなどってはいけない。アメリカでははんこの専門雑誌も刊行されているほど、奥は深いようである(笑)。こちらはまたの機会に。


(右がリビングのマントルピース。天井まで続いており、高さは3m以上。)


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とめ薪(とめ炭)






日曜日の夜。
友だちとの楽しいひととき、
もうすこしだけ一緒にくつろぐために
暖炉に新しい薪をくべ、

「とめ炭」ならぬ、「とめ薪」。



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そして今日も同じ1日




今夜も悪しき習慣に飲まれてしまいそうになったが、心機一転、ここに何か書くことにした。









「大晦日にはクリスマス・イヴに飲んだシャンパーニュ5本以上を空ける!」と、日本から来た友人夫婦と誓い合ったものの、連日スキー合宿のノリで朝から晩まで滑りまくったせいで、大晦日の特別料理もデザートを待つのさえ辛く、23時には全員が倒れ込むようにベッドの中だった。

ホテルの庭で打ち上げられた花火の音を聞いたような聞かなかったような...


元旦も朝8時半から滑り始めたので、ごあいさつもそこそこ、落ち着いた話もそこそこ。
当然、新年への思いを描くことも表明することもなく、旧年から連続した時間の中をすいすいっと泳ぐようにして今日まで来てしまった。

それはそれで別にいいんじゃない?と思う...


わたしは自分の要領の良さを自負しているのだが、年末からはドタバタ続き、専業不良主婦のワタクシでこんなんやったら、いったい兼業の方はどうしてるんやろ。

あ、でもそんな中でも2時間お風呂に入ったり、身支度にも凝ってるからや!という突っ込みはやめて下さい(笑)。


人生はこの調子であっという間に終わりそうである。
命短し恋せよ...と言うわけである。


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