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Brugge Style
ヴァルプルギスの夜
今夜はあの世の扉が開く夜だ。
ヴァルプルギスの夜。
今宵、暗闇の季節が終わり、明日からは太陽の季節が訪れるのである。
これはケルトの一年の分割の仕方で、彼らは一年を「暗闇の季節」と「太陽の季節」の二つに分けて考えていたそうだ。
簡単に想像がつくように、太陽の季節の訪れを祝うのが4月30日のヴァルプルギスの夜なら、暗闇の季節の訪れを祀るのが10月31日のハロウィーンだ。
ヴァルプルギスの夜はハロウィーンほど知られてはいないものの、今でも欧州の一部では4月30日と10月31日の年二回、この世とあの世の境界が弱まり、悪魔や魔女が宴を催し、魑魅魍魎が跋扈するという古代の記憶がおぼろげに共有され、お祭り騒ぎが繰り広げられるのである。
「かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ、光と太陽が戻るメーデー(5月1日)を祝うことにつながる。
南ドイツの田舎では、ヴァルプルギスの夜に若者たちが悪ふざけをする文化が残っている。例えば隣人の庭をいじくったり、他人の物を隠したり、私的財産に落書きをする、などである。これらの悪ふざけは時に、財産に致命的な損傷を与えたり、他人を負傷させたりすることもある。」(ウィキペディア)
これはヴァルプルギスの夜について書かれた説明だが、そのままハロウィーンに当てはまる。
少し前、レヴィ=ストロースの「サンタクロースの秘密」を使って「なぜジブリでは、世界を救うのはいつも必ず少女なのか」ということを考えてみた。
それを書いている時に、去年11月に書いた「森の王としてのガイ・フォークス」への正解もこの本に書いてあるではないか、と思ったのだ。と、それは同時に、ヴァルプルギスの夜(とハロウィーン)の的確な解説にもなっている。
古代ローマの重要な祝祭日にサトゥルヌス祭というのがある。サトゥルヌス神というのはもともと農耕神だが、レヴィ=ストロースはこう語る。
「サトゥルヌス祭は「怨霊」の祭りだ。すなわち、暴力に寄って横死した者たちの霊や、墓も亡く放置されたままの死者の霊を祀るもので、その祭りの主催者であるサトゥルヌスの神」であり、
この祭りを起源に持つ諸祭りの特徴は(長いが引用する)、
「まずひとつの特徴は、人々の寄り集まりと、そこに実現される一体感の高揚である。このお祭りの間、階層や身分を分けて隔てる仕切りは、一時的に取り払われた。奴隷や召使いが、主人の食卓に座り込み、主人が彼らのために、お給仕をした。豪華な食べ物でいっぱいの食卓は、あらゆる人々に対して開放され、男女は、お互いの衣服を交換したのである。
だが、同時にそのとき、社会集団は、二つに分裂をおこす。これが、第二の特徴だ。このとき、若者たちは、自分たちだけの自立的な集団をつくり、「若者司祭」と呼ばれる、彼らの頭を選びだしたのだ。この頭を、スコットランドでは「狂気の司祭」と読んでいた。そしてその呼び名がしめすように、若者たちはこの「司祭」をリーダーにして、乱暴狼藉をはたらき、放蕩のかぎりをつくして、他の人々に損害をあたえるところまで、つっぱしっていったのである。この狼藉は、ルネッサンスの頃までは、神聖冒涜にはじまり、盗みから強姦をへて、はては殺人にまでいたる、極端な激しさをもったものだった。こうして、(中略)サトゥルヌス祭の期間と同じように、社会は「連帯の強化」と「敵対の激化」という、反対物の結合からなる、二重のリズムにしたがって、動いていたことになる。」
若者司祭、狂気の司祭としての若者、
「彼らは、いずれも、短い(中略)間だけ「王様」となることを認められた者たちで、ローマ時代のサトゥルヌス祭の「偽王」の性格を、正しく受け継いでいる。」
ここで不思議なのは、なぜ社会はわざわざこんな無礼講を許したのか、ということだ。
なぜ故意に秩序を乱すのか?単なるガス抜きか?アメと鞭?贖罪?
違う。
「秋から冬にかけて、三ヶ月もの間、生者の世界への死者の来訪は、しだいにしつこく、威圧的なものになっていく。休暇をもらって生者の世界を訪問中の死者のために、生者たちは死者にお祭りを催してやり、自由に姿をあらわしてもよい最後のチャンスをあたえてやる。」
つまり、無礼講を働く奴隷、召使い、子供(彼らの特徴はイニシエーションを受けていないこと)、彼らを代表する狂気の司祭は「死者」(祖霊、そして神々)を表しているのである。
「このように、秋の始まりから、光と生命の救出を意味する冬至の日にいたるまで、秋という季節は、儀礼のレベルでは、弁証法的な歩みをともないながら、進行していく。そのうちの重要な段階は、つぎのようなものである。まず、生者の世界に、死者がもどってくる。死者は生者をおどしたり、責めタ立て、生者からの奉仕や贈与を受け取ることによって、両者の間に「蘇りの世界(モンド・ヴィヴェンディ)」が、つくりあげられる。そして、ついに冬至がやってくる。生命が勝利するのだ。そののちクリスマスには、贈り物に包まれた死者は、生者の世界を立ち去り、つぎの年の秋まで、生者がこの世界で、平和に暮らすことを認めてくれるのである。」
世界が今よりもっと自然のサイクルと寄り添い、あらゆる災いが予測不可能/防御不可能に襲って来た時代に、人々が世界をコントロールする知恵、世界とできるだけ折り合いをつけ、秩序を回復するために発明したやり方...と言ってもいいのかな。
今夜は魔が跋扈する夜。深夜の一人歩きはお気をつけて。
.....
最後にガイ・フォークスだが、彼は
「サトゥルヌスの王を演じて、一ヶ月の間ありとあらゆる過激な行為をおこなった後は、おごそかに、神の祭壇に生贄として捧げられた」狂気の司祭の人形(ひとがた)なのかもしれない。
ちなみにヴァルプルギスの夜のヴァルプルギスとは女性聖人の名であり、わたしがブルージュで一番好きな教会と紹介していた聖ワルブルガ教会の聖ワルブルガと同意。キリスト教当局がその常で、このケルトを起源にする祭りと、聖人の記念日をまとめたのである。
「」内はすべてクロード・レヴィ=ストロース「サンタクロースの秘密」(せりか書店)より引用。
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ハートランド・ビール
有り難いことに、日本からはいろいろな食材や雑貨を送ってもらうが、ガラスボトルのビールがEMSで送られて来たのは初めてだ。
その箱はずっしりと重かった。
夫がエビスビールが好きというのを聞いて、「じゃハートランドビールも好きなはず!」と送ってくれたのだ。
今夜飲むべきか、特別な日まで取っておくべきか。
U2 の Heartland という曲のサビを歌いながらボトルを冷蔵庫に入れる。
今夜飲んで今夜を特別な日にしてしまおうかな。
みなさまもよい金曜日の夜を!
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鍵
鍵モチーフが好きだ。
これは長さ30センチ以上もあるメタル製の鍵。形が定型的で美しい。
この大きさの鍵、いったい何の為に?
もうどこにもない庭の扉の鍵だったら楽しいなあ。教会の鍵はサイズが大きい場合が多かったような...実用にしては大きすぎやしまいか?
それとも小さくなったアリスが見た鍵か?
西ロンドンのお店で、錆のついたメタル製のガーデンチェアの上に飾られているのを見つけた一瞬、これにどんな由緒があるのかと高速で想像してみた。
値札の表示も手頃だったので、店番の姐さんに喜々として「これ頂きます」と言ったら、意外にもお姐さんは棚の中から同じ物を取り出してきた...
しかもそこには全く同じ段ボールの箱が山積み。箱には「中国製」のプリント。その棚の中はまるでウォーホルのシルクスクリーンのようだった。
鍵の本来の用途からしたら同型が大量生産されていては意味がない。ああでも、これこそが複製技術時代のゲージュツ。
そういう訳で大量生産品と知りつつ、持ち帰ったのです。
今の家ではコンソールテーブルの上に飾るしかない。
ブルージュの家だったら玄関のドア(これが高さ3メートルあった)にぶら下げても違和感のないサイズだったのにな...残念。
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ブルージュの熊はベルセルクか
昨日のプーさんは愛すべきかわいらしい熊だが、実際の熊というのは猛獣に違いない。
ブルージュの記念すべき1人目の市民でありかつ名誉市民の称号を持つのは熊だ。
ヤン・ヴァンアイク広場に沿って立つポータロス・ロッジの壁龕(左)に今もその誇り高き姿を見ることができる。プーさん系ではなくいかつい大熊だ。
以前、「ブルージュの熊」で、この奇妙な名誉市民についてのわたしの空想を書いた。
そして最近また気になることが...
ベルセルク、「狂戦士」という意味の古ノルド語(古北欧語)だ。
わたしが初めてベルセルクという言葉を知ったのはエッダを読んだから
と言いたいところだが、告白すると高校生の頃、妹所有の漫画「クリスタル・ドラゴン」を読んだからだ(笑)。
柄谷行人の「意味という病」の初めの方でたしかエッダが引用されており、それで一度は読んでみたいと思いながらもクリスタルドラゴンで満足していた女子高生であった。
英国へ転居したという単純な理由から最近ケルト神話などに再び興味を持っていて、それで思い出したのだ。あの漫画を。
さてウィキペディアによると、ベルセルクとは
「軍神オーディンの神通力をうけた戦士で、危急の際には自分自身が熊や狼といった野獣になりきって忘我状態となり、鬼神の如く戦うが、その後虚脱状態になるという。」
周辺住民を困らせたという「ブルージュの熊」は「熊」そのものだったのか、それとも「熊のように強い人間」だったのか。
この謎がなぜか強力にずっとわたしの心を捉えて放さないのだ。
もし動物の「熊」ではなく、「熊のように獰猛で強い人間」だったとすれば、それは「危急の際には自分自身が熊や狼といった野獣になりきって忘我状態とな」ったベルセルクだったのかもしれない。
古代からブルージュは北欧に強い影響を受けており、例えば現在の研究では「ブルージュ」という地名も古北欧語起源であると分かっているくらいなので、北欧の人間が入植をしていたり、神話が持ち込まれていてもおかしくはない。
あるいはキリスト教が伝来する前のベルギーの土着信仰が北欧のものと似ていてもおかしくはない。
今度ブルージュに帰ったらあの熊に会いに行ってみよう。
そして「あなたはベルセルクなのですか」と問いかけてみよう(<世界ウルルン滞在記の下條アトムの声でお願いします・笑)。
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pooh corner
昨日の記事、アリス・ショップがオックスフォードのクライスト・チャーチ前にしか許されないならば、プー・コーナーはアッシュダウンの森前にしか許されないお店である。
ミルンの語ったのどかで愉快な「くまのプーさん」の世界は実在*するのである。
あ、何でも金儲けのネタにする商業主義的なテーマパークとしてではないのでご安心を。
うちから車を走らせること約1時間と少し、イースト・サセックス州の自然の中にプーの世界は今もゆったり広がっている。
森の入り口には「プー・コーナー」という、ここ以外にはありえないお土産物屋さんがちんまりと建つ。
ムーミン谷にムーミン・ショップはあるのだろうか。
ネバーランドにはピーターパン・ショップはあるのだろうか。
森にはプーらが棒落としゲームをした小川と橋や、砂のくぼみやらがひっそりあり、あのネズミが大使を務める魔法の国とは違って想像力を要するが、誰もが「すてきな子ども時代」を思い出し(実際すてきだったかどうかは関係ないのである)、自分が自分のプーさん達とお別れしたのはいつのことだったろう、お別れしてからこんなに遠くにまで来てしまったよ、などと考えてしまうのである。
森歩きをしていて黄色の物体が(実は農場のフォークリフト)木陰に見えたとき、「あっ(プーさん?!)」とはっとしたのはわたしだけではあるまい。
*ミルンは妻と子のクリストファーを伴ってロンドンからハートフォードに転居した。仕事の都合で彼は平日をロンドンで過ごすことが多く、週末ハートフォードに戻るごとに、息子クリストファーが森でナニーに付き添われてどのように遊んでいるかという話を妻から聞いた。
実際に彼がその森を散歩してみると妻のお話通りで、文筆家だった彼はそれをまとめて出版社に打診した。が却下される。
しかしある日、編集者が別件でハートフォードを訪れ、ミルンがこの森をあの「お話」とともに案内したところ、たちまち出版の契約が整ったと言う。
(以上、プー・コーナーで確認したハナシの筋。英語版ウィキペディアの解説(クリストファーの回想が元?)とは内容が異なることを断っておく。また、「くまのプーさん」はクリストファーのために書かれたなどという美談もあるが、ミルンはこの時点で文筆家としての成功と名声を欲していたに違いなく、そういう大人の事情も多分にあったと思う...想像が下衆すぎますかね)
「くまのプーさん」はこの実在の森のおかげで日の目を見たのである。
ええ話ですな。
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