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青い星の入江は隠れ家




午前6時の青い星。

隠れ家は青い入江。


『紅の豚』...彼の隠れ家はギリシャのザキントス島にある、こちらのナヴァイオ海岸がモデルになっているとか。




地球が青い星だというのはほんとうだったのだ。

7色の異なる青色(ザキントス人談)に彩られた美しい島。

海の底が島の岩の成分と同じ白い砂であるためだろうか、ウルトラマリンを流したかのように青い。
ただ栄養価は低い海であるのだろう。

どこまでも透明の水をのぞくと、白い砂に波がモアレのような柄を描いているのが見える。
海の青さは反射して、白い岩肌をステンドグラスのように染める。泳ぐ人間の体さえも青く染まる。

青は恐ろしいほど美しく、水底に誘われて引き込まれそうだ。
そこにはまだ見たこともない生き物、サイレーンが住んでいて...うん、信じられる。


青い海で身体を同じ色に染めて泳ぎ、真珠のような月が青い空に沈みゆき、太陽が東の岩間から黄金の光を放ちながら顔を出すのに感嘆した。




この島には無数にある、船でしか近づけないこういった洞窟や入江で泳いだり写真を撮ったりするため、どこもかしこも観光客のカラフルな船と水着であふれる...のを避けられたのは、クルーザーをチャーターしているおかげで、夜明け前から行けたからだ。

ナヴァイオ海岸はベースジャンピングのスポットとして知られていたが、2012年死亡事故が起きたため、現在は船からの水泳は可能だが、海岸に上陸するのは禁止になっている。


白い砂浜に座礁している船は、80年に沿岸航行船のパナヨティス号。ナヴァイオ海岸(navagio はギリシャ語で「難破」の意)と呼ばれるようになり、以来観光名所となったそうだ。
一部では密輸品を運搬していた船だという風説が流れ、ロマンに拍車がかかる。
シップ・レック・ビーチ(難破船ビーチ)とか、英語では「密輸者の入江」とも呼ばれているとか。




後ろ髪引かれつつ、入江を出た。
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『コリント人への第三の手紙』




第一章第一節。

「コリントのみなさま、ギリシャはどこで食べてもおいしい...なかでも、コリントで食べたご飯がいまのところ一番おいしかったです!」

『コリント人への第三の手紙』は偽典...というのはもちろん真っ赤な嘘で、わたしならこう書くかなあ、と(笑)。

パウロが第一と第二の手紙をコリントの信者あてに書いたため、コリントは現代でもキリスト教徒の聖地になっている。
古代コリント遺跡には、パウロが演説を打ったという舞台が残されており、わたしが訪れた日も、巡礼の方々の讃美歌が響き渡っていた。


なぜ特においしいのかしらん。

塩とレモンとオリーブオイルで味付けしたタコやイカ、とれたての魚、旬のスイカやアプリコット、トマトやきゅうり、蜂蜜やワインが最高!
豚肉が美味しいのは、豚肉を食すると、イスラム教徒である隣のトルコ民族が手出ししてこなかったからとか。




コリントはギリシャの首都アテネからなら西の方向に、ボトルネックのようなペロポネソス海峡をペロポネソス半島側に渡ったところにある。

このすぐ上の写真は、コリントのアクロポリス(ポリスの聖域)、アクロコリントスの頂上575メートルの美の女神アフロディーテ神殿跡から望んだもの。
左はコリントス湾、右はサロニコス湾...この海峡の先がアテネだ。

コリントはこの地の利を活かし、古来、交易や造船などを産業として力をつけ、繁栄した古代ギリシャ都市国家だった。

湾が左右にあり、長い歴史があり、文化文明の交差点であったことなど、食事がおいしい理由はいくらでも考えられる。




頂上のアクロコリントスには、わたし大好きヴェネツィア共和国時代の城壁が残っている...

ヴェネツィア共和国は、地中海全域で絶大な影響力を持つ海洋国家として、自らの交易既得権を守るため、ギリシャに多くの城壁を建てた。

戦略的に重要な地域には、交易と商業の拠点としての軍事的、経済的な支配を確立し、維持することが不可欠だったのだ。




アフロディーテ神殿跡まで上りつめる物好きはわたしたちの他にはいなかった。

まずはキリスト教徒が来て、美の女神の神殿の上に教会を建て、次にイスラム教徒が来てモスクを建て、今は石が転がるばかりだが、最も見晴らしのいいこの場所に聖域として美の女神に捧げた神殿があったというのは非常に感慨深い。

早起きし、暑くなる前に登ったのだ。途中までは車で、その先はヒーヒー言いながら。
こんなところ、なかなか参拝しづらっかったろうに...




「到達するのが容易ではない、人間が住むには適していないところ」

「認識できる世界と五感を超越した世界との境目を越えるというか、教会領域を通り抜けるような感じ」

「危険を承知でたどらなければ見ることがたのか」ということが系ないような場所に置かれていることからして、そこは神聖な場所」(レザー・アスラン『人類はなぜ<神>を生み出したのか?』より)


鬼神(きしん)を敬して之(これ)を遠ざくるは、知と謂(い)うべし、ですな。
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太陽は天空を翔けるアポローン神の4頭立て馬車




太陽は天空を翔けるアポローン神の4頭立て馬車。
(アポローン神は、太陽神ヘーリオス神と習合、同一視された)


夏休み第一弾、今年はギリシャのペロポネソス半島へ来ている。

今日も暑い。

アポローンと馬車、黄金に燃えすぎ。


上の写真は、古代ギリシャ都市国家(ポリス)アテネやスパルタと並んで繁栄を極めたコリントスのアポローン神殿と、背景の山はそのアクロポリス(都市国家の神聖なエリア。コリントスではアクロコリントスと呼ばれる)。

しかも575メートルの頂上には17世紀のヴェネチア共和国時代の要塞が残る...ご覧いただけるだろうか。


この山頂の要塞の壁は、朝光とともに銀色の姿を表し、刻々と色を変えていく。
夕焼けに染まり、月明かりに照らされ、闇が訪れ、ただ受け身で、孤高を主張するかのようにそこにある。

まるで一種の日時計を見ているような気がする。

アポローンが朝、東の空から馬車を出し、西の空へと駆け抜ける、その単位の無限の繰りかえしを、要塞が犠牲的に受け入れているかのようだ。

人間界の時間の流れとは全く別に、これまでも、これからも、永遠の神の時間の流れの中に存在しているようで、去ることは決して許されない...見放されてしまったこの感じ...
どこか悲しみを誘う。見飽きない。
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モーゼル ワイン祭り




昨日の続きです。

ドイツ、モーゼル川沿いの最も愛らしい街と聞いて訪れたコッヘム、多少期待はずれかと思いつつも、川を遊覧するガラガラの観光船に乗って大いに楽しんだ後、街の中心部へもどると、民族衣装をまとった子供が歩いている。

かわいいっ

この時点では、個人的なお祝いとか、慣習的なものなのかなあと思っていた。

そうしたらその数がどんどん増えてきて...


モーゼルのワイン祭りが始まったのだ。
4日間の初日。
なんてラッキーなの!

上の写真はダンサーの皆さん。
フォルクスクンデ(Volkskunde)、ドイツ的である!
ダンスが始まる前にもちろん白ワインを召し上がって気合を入れておられる。

さすがに写真は遠慮したが、民族衣装の3歳くらいの子供たちのグループ、もうもう、可愛かった!




広場にワイナリーの屋台が出、モーゼルのワイン(有名なのはリースリング)をみなで痛飲して楽しむのだ。
一杯3ユーロから3.5ユーロ、まず最初にグラス代3ユーロ分を含めて支払い、グラスは返却すれば3ユーロ戻ってくるシステム。

わたくしは禁酒中だが、こういう機会には多少の飲酒を許している。
この日もリースリングを2杯だけ飲んで、民族衣装の人たちとほとんど一緒に踊りだしそうな「踊り上戸」。

おつまみはもちろんカレーウォースト(カレー粉のかかったトマトケチャップベースのソースをからめて食べる焼き白ソーセージ)。




こちらはこんなの初めて見ました「ワインの自動販売機」。
購入には年齢確認のためIDが必要だ。

でも、白ワインを飲んでる8、9歳くらいの可愛い女の子いたよ...
リースリング、甘いから!


予備知識なしで訪れたため、次の旅先があり、後ろ髪をひかれつつ上機嫌で去った。

夫は「こんなお祭りがあると知っていたらここに宿をとったのにねえ!」と。




モーゼル川沿い、山肌にまで広がる葡萄畑...
この写真はそれほど急な坂ではないが、山羊しか登れないのでは...というような急な山肌にも葡萄が植えてあり、おどろいた。

機会があったら収穫が始まる9月から11月にかけて来てみたいなあ
オクトーバー・フェスの時期でもあるし...
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モーゼル川沿いの「最も愛らしい街」・コッヘム




ドイツを流れるモーゼル川(ライン川の支流)沿いには、山肌に張りついた葡萄畑、山頂の城、かわいい村が点在している。

川にはたくさんの客船や観光船が行き交う...


そのなかで「最も愛らしい街」と聞いてやってきた西部のコッヘム。

山頂の城も近代のもので、マルクト広場も小さく、多少期待はずれかと思ったが、モーゼル川をゆく観光船に乗ったりして楽しんだあと(結局楽しむのである)、街の中心へ戻ってきたら、にわかに街の中心が賑やかになってきた。

さてさて何が...
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