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夏の薔薇




暑中お見舞い申し上げます。


わたしはものごとの「もともと」に還るのが好きだ。

「当たり前だと思っていることの、そもそもの起源や理由、始まりは何か?」ということなんですけど...


この夏旅したギリシャは歴史が長いので、「そもそも」ネタはたくさんある。

例えばギリシャ神話や神々は他のどの神話から形成されたかとか、宗教の発生はいかにとか、古代ギリシャの彫刻はどんなだったのかとか、遺跡をありがたがる心情は当たり前ではないとか、葡萄酒はどこで作られ始めたのか、とか...

で、ブログ記事がどんどん長くなる。

そうしたら次は、「そういえばこの話はあの話じゃない?」という感じの芋づる式が発生する。

さらに長くなる。
自分を読者として書いているからだろう。

暑い夏に暑苦しくてゴメンナサイ。

で、今日は中休みで「短く」夏の薔薇、夏らしい色!...と写真を載せて終わろうと思ったのに、ほら、もうこんなに長いっ!!


......


世界はどんどん「短い」情報の山積になっている。
日本の新聞記事でさえ「そもそも」という視点が欠いていることも多い。

東京都知事選で、二位につけた石丸候補が集票したのは、それを利用したからだと思う。
「政治不信から無党派職の強い」と分析する知識人も多いが、それだけではないと思う。

つまり、政治に不信になるには、多少の知識が必要だが、石丸さんを支持した人にはそういうものを材料にして彼に投票したのではなさそうなのだ。

単に「2分間よりも長い話は聞かない・聞けない」「140字以上の文章は読まない・読めない」「知識はなくていい・ない」「読解力はなくていい・ない」「論理的な批判はしない・できない」「現状がどうであれ、なぜか自己肯定感だけは高い」人たちが、ショート動画を見て「いいね」する感覚で投票しただけでは? と...

だからといって、自分の長いブログ記事を擁護するつもりはない(笑)
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廃墟の女王



ギリシャのビーチに立つ、現代の廃墟


ギリシャのペロポネソス半島には、青銅器時代(ミケーネ)、鉄器時代(暗黒時代からアルカイック期)の遺跡から、ポリスが連立した古典期...

それ以降の遺跡・遺物も多く残されており、ナフプリオには特にヴェネツィア共和国時代の要塞を見に来た。


ギリシャの青銅器時代は紀元前3000年ごろから紀元前1100年ごろ、暗黒時代は紀元前9世紀ごろから、古典期は紀元前5世紀から紀元前4世紀。
ヴェネツイア共和国が要塞を改築したのは18世紀。

時間のスパンに頭がクラクラする。

時間って何...と頭をクラクラさせていたとき、現代の廃墟を見つけた。

18世紀に建築された、ヴェネツィア共和国最大のパラミディ要塞の近くに、である。
それが今日の写真。

1枚目の廃墟はビーチに沿うように、2枚目は、ビーチを見下ろす丘の上に立っている。
おそらく両方ともホテルだったのだろう。

日本や英国なら、「危険」ということで、取り壊されているようなシロモノではなかろうか。

夫は、古代ギリシャの遺物がその辺に転がっている国で、なぜわたしがこのような現代の廃墟に興味を持つのか理解できないという風だったが...
えええ〜素敵じゃない? 



現代の廃墟と
左手の山頂にヴェネツィア共和国が18世紀に建築したパラミディ要塞


わたしの出身地、神戸市には、『廃墟の女王』と呼ばれるかつての摩耶観光ホテルがある。

1970から80年代に何度か宿泊したことがある

あまりにも有名でメディアにも取り上げられているため、ご存じの方も多いだろう。
神戸の海を摩耶山の上から睥睨する船のような建物である。

「廃墟」とは、建物、集落、工場、鉄道や港湾などの施設が、打ち捨てられ、荒廃した状態になっているものを指す。
ものが朽ちていく姿に、われわれ人間は諸行無常、侘び寂び、時間の連なり、など、芸術的価値を見出す。


ギリシャでは、あらゆるところにむき出しの、そしてどこを掘っても貴重な遺跡が発見されるという。
わたしは遺跡が大好きでギリシャではそこれこそ行きたいところや見たいものが数えれらないくらいある。

でも、近現代の廃墟もいいよぉ。



パラミディ要塞から湾を眺める。
この湾に敵の艦隊が次々と入ってくる光景は...想像しただけでゾッとする



19世紀のロマン主義で、古代ギリシア、ローマ文明、その遺跡や文物に関心が集まったという。

産業革命が起こり、一般人の移動が容易になったことや、工業化や都市化に対する反動として、自然、過去、遠い異国、無意識、個人の内面、感情などに目が向いた。

また、帝国主義の反動としての民族主義は、自分たちのアイデンティティや「われわれはどこから来たのか」ということにも関心を持たせた。

ロマン主義というものが、「いまここ」ではない、どこか別の時間や空間を常に夢想するというのには十分理由がある。




わたしが旅を愛するのも、ロマンティストだからである(笑)!
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ナフプリオ殺人事件 - ヴェネツイア共和国の秘宝



ナフプリオの湾と、沖に浮かぶ小さな島(真ん中右寄り)。
その島に要塞が建っているのがご覧いただけるだろうか。
ではボートに乗って近寄ってみましょう...


去年の夏休み、ベトナムに旅行した時、滞在したホテルの一つが、メコン川の中島にひとつだけ建つ形式だった。

宿泊客とスタッフのみ、ボートでしか出入りができないホテルだったことから、アガサ・クリスティのミステリが好きなわたくしは、南国の午後の暇に任せて、ChatGPT に密室殺人系のミステリー作品を書くよう指示したのだった。

テキトーな荒いプロットを用意しつつ、小説の中に自分を美化して登場させたいものだなあと妄想し、ChatGPTが出力してきたのが紫藤(しどう)という美しく賢い日本人女性だった。

ChatGPT、なかなかよいネーミングセンスを持っている。



こちらが小島にあるブルツイ要塞


紫藤は彼女の家に代々伝わる「愚寓留」という分厚い百科事典を持っている(舞台は世紀末19世紀ね)。
しかも博覧強記を誇るベルギー人の大学教授の夫を持ち(理想だわあ!)、エルキュール・ポワロの旧友である...という夢のようなオハナシ! 
ChatGPT、冴えてるぞ。

夢を見るのはフリー、自由でかつタダなのである。

こういう話につきあってくださる方はどなたでもわたしの友達。

事実、Aさんは今年も紫藤の活躍を楽しみにしていてくださっているとメールをくれた。アリガトウゴザイマス。



ブルツイ要塞から、ナフプリオの街を眺める。
山頂の堂々たるパラミディ要塞を望む


今年、ギリシャ滞在中に、ナフプリオというヴェネツィア共和国の色が濃く残る街も絶対に訪れたかった。
理由は、わたしがヴェネツィア共和国の海外飛地にとても興味を持っていること以外にもあった。

ナフプリオは、古代ギリシャでアルゴスというポリスの外港としてすでに使われていた。
今に残るのは、ヴェネツィア風の洒落た街の背後を守るように山頂には堂々たるパラミディ要塞。
湾の沖には、小島に防衛のための水城が建っている。すでに写真で紹介したブルツイ要塞。

小島にある小さく美しいブルツイ要塞は、最初、15世紀にイタリア人によって建設された。
次にヴェネツィ人が来てさらに進化させ、敵船の進入を防ぐためにチェーンを取り付け、大砲を置いた。

現在でもボートでしか出入りできない小島の要塞であり、1930年ごろには12室のホテルとして使用されていたこともあるというのである。




ポワロが活躍するのにぴったりのシチュエーション!!




背後の山頂のパラミディ要塞は、1000年の歴史を誇った海の強国ヴェネツィア共和国が、息も絶え絶えで滅びんとするころの哀愁を物語る。

ヴェネツイア共和国は地中海貿易と政治の権謀術数で富をほしいままにしたが、大航海時代に入ると重要性が相対的に低下、またオスマン帝国の侵攻により疲弊、多くの領土を失いつつ衰退していった。




山頂のパラミディ要塞は、ヴェネツィア共和国が、海外に築いた最も大きな建築物である。
しかし、すでに国力の衰えは隠せず、パラミディ要塞を守るために常駐したのはわずか80人の兵士であったという。

1714年、オスマン・ヴェネツィア戦争が勃発した。
オスマン帝国はペロポネソス半島に侵入、コリントスを占領。

ヴェネツィア艦隊は、オスマン帝国の次のターゲット(モレア)の救援に向かうより、戦力を温存すべきという意見によって出撃が遅れてしまった。
やっと艦隊がモレアに到着した時には、ナフプリオをはじめ、他のヴェネツィア基地、モドン、コロニ、マルヴァージアはすでに陥落していたという。
1715年のことである。

ヴェネツイア共和国は、そのわずか80年後、1797年、ナポレオンによって滅びたが、その前年の1796年の時点でヴェネツィアが保有していた艦隊は4隻のガレー船と7隻のガリオット船のみであったという。

なんという悲哀。
あの海の大国が!




かつて大変な栄華を誇り、ついに玉砕した誇り高き海の大国...

わたしは海沿いにヴェネツィア共和国が築いた基地に、その象徴「聖マルコのライオン」を訪ね歩くのが大好き...!!


うむ、ミステリ的には、「ヴェネツィアの財宝」がどこかに隠されていてほしい...(実際はヴェネツィアにそんな余力は到底なかっただろう)


まあそんな妄想をしつつ、わたしの旅は続くから飽きない。退屈しない。暇はいっぱいある。
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略奪博物館! と、アポロ神殿は糾弾す 



アポロ・エピクリオス神殿(救済と加護のアポロ神殿)。
疫病の終息を祈願し建てられたという。


ロンドンの大英博物館が「どろぼう博物館」、「ぬすっと博物館」、「略奪博物館」などと異名を持つのはみなさまご存知だと思う...

今日はその話などを。


ギリシャはペロポネソス半島。
比較的緑が多いアルカディア地方...わが青春のアルカディア。楽園。

海抜1131メートルの高地に、アポロ・エピクリオス神殿(救済と加護のアポロ神殿)が建つ。上の1枚目の写真。

「聖地」は神々の世界として、肉体的にも精神的にも「到達が困難」な場所に作られることが多いという性格、そしてまた巡礼者が里から神殿を仰いだときの視覚的効果を考慮して、この高さが選ばれた。

世界遺産としてはギリシャでは最初(1986年)に登録された重要な遺跡だ。
ちなみにアテネのパルテノン神殿登録は1987年。
そして両方とも同じ建築家イクティノスによるもの(紀元前5世紀)である。



こちらアテネのパルテノン神殿。
現在、1日につき2万人に観光客を絞っているが、それでも常に大混雑だという。
例によって魔法を使ったので無人状態...


バッサイの神殿は、古代ギリシャの建築に伝統的な3つの様式、ドーリア式、イオニア式、コリント式を組み合わせた異例の神殿だ。
ちなみにパルテノン神殿はなくドーリア式のみで建てられている。

最もシンプルなドーリア式の柱が一番外側で周囲を取り囲む。
渦巻きが特徴のイオニア式はポーチを支える。
装飾的なコリント式の柱は内部を飾る。この神殿に残るコリント式の柱頭は、現存する中で最も古いものの一つだそう。



参考に...
こちらはエピダウロスに残るドーリア様式



こちらはオリンピアで見かけたイオニア様式



そして、コリントスで見たコリント様式


アポロ・エピクリオス神殿(救済と加護のアポロ神殿)というくらいだから、神殿の内部、ナオス(本殿)には、当然アポロの神像が祀られた。
また、イオニア式のフリーズの彫刻には、ギリシャ人と女戦士アマゾネス、ラピテース族とケンタウロス族の戦い(ギリシャ神話の中で理性と野蛮、秩序と混沌の対立の象徴)が描かれて...

描かれて...

え、ぐるりと神殿を回ってみてもどこにも見つからないんですけど...

それはそのはず、「略奪博物館」とか「ぬすっと博物館」などと悪名高いロンドンの大英博物館に展示されているから!!

19世紀初頭に英国の考古学者たちが遺跡を調査(以前から、フランス人やドイツ人が現場を訪れてはいた)、本殿のフリーズから彫刻をはがし、当時英国が宗主になっていたザキントス島に持ち帰った。

ペロポネソス地方のオスマン帝国総督であったヴェリ・パシャは、賄賂を受け取ってその所有権を放棄。
1815年にはこれらのフリーズは大英博物館が競売で購入した。



アポロ・エピクリオス神殿(救済と加護のアポロ神殿)、発掘修復作業は現在進行中。
また酸性雨などから守るため、こんなカバーがかけられている。
離れて全体像が拝めるのはいつになるのだろう...



大英博物館は現在でもその取得方法に違法性はなく(え?)、今後も大英博物館に展示されることで万人に開かれる遺産である、と開き直って、ギリシャの返還要求にも応えていない。
大英博物館が入場無料なのは、この正当化のための言い逃れでもある。
しかし、当時の西洋の盗人まがいの「冒険家」や「考古学者」の植民地主義、資本主義的な倫理観は議論されて然るべきであろう。

一方、大英博物館らは内心こう思っているだろう。
「われわれがそのままでは混沌としている世界に序列を与え、ものに価値をつけたのである。その価値を展示するのが博物館なのである、と」。
なんとなれば、「博物館」という概念は西洋の発明品なのだから、と。


なんとも寂しい、アテネの考古学博物館の展示物を見るたびにそう思うよ...

わたしが息巻いているだけでなく、こちらのバッサイのアポロ・エピクリオス神殿の案内板にも、かなり強い皮肉を込めて英国その他の植民地主義列強への批判が書いてある。
娘は英国の友達らに、その批判口調を送らずにはいられなかったほど...!
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イオニア海の神々の黄昏




ギリシャのペロポネソス半島は、東をエーゲ海(東はトルコ)、西をイオニア海(西はイタリア)、南は地中海(ずっと南はリビア)に囲まれている。

地を行くより海を行く方が断然早く、古代から交易や交流、移動が盛んだった。

例えば、ギリシャ神話の神々は、どこか遠くに起源を持ち、さまざまな文化のさまざまな神の姿が習合されている。

美の女神アフロディーテは、シュメール(メソポタミア)のイシュタール神、エジプト、フェニキア(レバノン)のアスタルテー神など、オリエント的な地母神と金星神としての性格を持つ。

そのこころは、豊穣と繁殖を司る神である。

「原始女性は太陽であった」(平塚らいてう)は本当なのである。

しかし、定住化など社会構造が変化するなかで、家父長的な男神(ゼウスやヤハウェ(エホバ)、エンリルやマルドゥク)がトップを奪う...

こういう話を解きほぐす海辺の夕暮れが好き。
(定住化の話は盛り上がり、娘に「ママ、声が大きい」と注意される始末)




当然、文化的な汽水域では食べ物もおいしくなる。

先日も、「ギリシャ料理は身体にいい」という話を日本の友人とメールでしたのだったが、オリーブオイル、野菜、ヨーグルト、チーズ、豆、果物、魚介、脂を落とすように焼いた肉、ワイン...バランスよく食べたら理想的。

わたしは揚げ物に目がないので全く理想寄りではない...
このひなびたローカルなビーチに立つ、紙のテーブルクロスが敷かれたレストランで、おやつ代わりに食べた、ホタルイカよりも小さいイカ(スペインではポルポと呼ぶやつ)と海老の唐揚げが忘れられない。
新鮮でパリパリで、海老の頭から尻尾まで食べた。

ギリシャ語で小さいイカはGonos、海老はGaridaki。
われわれはギリシャ語は読めず、ウェイター氏は甲殻類の違いを説明できるほど英語が達者ではなく、グーグルで調べても「小さい魚」としか出てこず、往生したしたが、大正解だった。今度は紙のテーブルクロスに絵を描いて見てもらおう。

どこでも必ずサービスしてくれるデザートのメロンやスイカの美味しいことよ。

観光客などひとりもいない、ゆったりしたレストラン。

そして、ビーチでいつまでも遊ぶ、子供のシルエットがどんどん濃くなっていく、夕焼けの美しさよ。

古代ギリシャ人も同じ夕焼けを見ていたのだろう。
豊穣と、天災も人災もないこんな日を寿いで。

旅は続く。
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