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今日はこれから








へ。
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そうだ、花を入れ替えよう。








昨日の続き(写真の色も揃えたつもり)。

旅行から帰って来て

部屋がよそよそしい
日常生活と自分の間に乖離がある

そういうときはロンドンへ逃げるより

花、花だよ。

うちは夫が花をどんどん買ってくる人なのだが
これは近所のスーパーの出来合いの花束、15ポンドなり。

帰宅した夜半、切らしていたスパークリング・ウォーターを
買いに行ったついでに買って来てくれた。
「ええーっ、スーパーの花?」
(<わたしはそんな価値の女なのかね、という批判を込めて・笑)
「かわいそうな花...花は花ですよ」


庭には満開の木蓮
テーブルには水色の花。
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そうだ、ロンドンへ行こう。








旅は日常生活から浮遊してきた人間を別の人間に変えてしまう。
いや、旅は旅から帰った人間を別の人間に変えてしまうと言うべきか。

久しぶりに戻って来た部屋がただの箱と化し
床から冷気が立ち上がるようにひえびえと、空気はよどみ、よそよそしいと感じるのは
部屋のせいではなく、帰って来た人の側に原因があるのだろう。


実は復活祭休暇の旅行モードから立ち直れず
夏の旅行の計画を立ててなんとか気分をもり立てようとしているのだが
まだ2ヶ月先のハナシだよ...


友達が送ってくれたブルータスのロンドン特集本をめくっていると
まるで別の星の都について見聞きしているようで

こういう本を参考にしながらロンドンへ行くと
旅行に来ているような気分になれるかもしれない。

そうだ、今日もロンドンへ行こう
(と、なるわけです)

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トラファルガー広場 午後6時








ナショナル・ギャラリーに額縁展、Sansovino Framesを見に行った。
額縁好きを自認するわたしが大きく想像したよりも展示内容は5割は小さく
ものの10分ほどで見学終了。

額縁、もっとアートの世界でも取り上げられるべきだと思うのだが。

現実の世界にぽっかり開いた芸術という名の「アリスのうさぎ穴」をふちどる額縁。
「はい、ここから先はアートです。現実じゃありません」という標識としての額縁。


見終わるとすでに17時過ぎだったこともあり、
額縁展とは大階段を挟んで向かい側の部屋にある印象派群の
大好きなゴヤとマネだけをささっと見に行く。


18時5分前、押し出されるようにトラファルガー広場に出たら、
そこはまるで額縁に入ったもうひとつの絵画のようだった。

夫から「アメリカン・バアまで来て」とメッセージが。

今年の春、ロンドンのお天気は(今のところ)上々。
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マルサ・アルゲリッチ




アルゲリッチは青い薔薇のようなひとだ。
永遠の憧れだ。

昨夜はバレンボイム・プロジェトのうちの一夜で、アルゲリッチのピアノ演奏を鑑賞した。於ロンドン・ロイヤルフェスティバルホール。

スタッツカペル・ベルリンのオーケストラが、特に後半のリヒャルト・ストラウスが、この世のものとは思えないほど美しかったのだが、わたしには音楽に関してはとても書けない(オーケストラ部員である娘も金管楽器の美しさに驚愕していた)...ましてやアルゲリッチの音楽に関してはとても書けないので、彼女のごく周辺のことを買いてみたい。

アンコールがアルゲリッチとバレンボイムの連弾で、2人が並んでリラックスして(<いるように見えた)、掛け合いを楽しみながら演奏しているのを見ていると、わたしも早く上手いこと老人になりたいとつくづく思ったのだ。並んで座る、偉大にして可憐な2人の音楽家...


昨今は死ぬまで若くありつづけることを望み望まれる時代だ。
しかし2人の姿を見ていると、老成することこその豊かさや喜び、人生の美しさ儚さを感じ、わたしも成熟を目指して人生修行をし、名実共に早く「媼(おうな)」と呼ばれるようになりたいわなあと思わされた。無為徒食の媼になるとしても、だ。

わたしがしょっちゅう見ているバレエの世界で中心なのは30代のダンサー達だ。アルゲリッチやバレンボイムのような70代のダンサーはいない。
シルヴィ・ギエムも50を目前に今年引退だし...バレエは若くして成熟することを要請される芸術なのだ。

媼になりたい、成熟したい、そして枯れた目で世間を眺めてみたい、と思わせてくれるロールモデルは現代では多くはない。

有り難い、有り難い。
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