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パリへ




おしゃれの街へ。
しかしいったいこの季節、何を着ればいいのかほんとうに悩む。

カーディガンでは寒いし、ジャケットでは重すぎる。
サンダルでは寒々しく、ブーツには早すぎる。
タンクトップで歩いている人もいるし、革のコートを着ている人もいる。

革のスカートにシャツ、あるいはツインセット、そしてショールを羽織る、という感じだろうか。
米ヴォーグも英ヴォーグも競ってLadylikeなスタイリングを載せていたから、大きめのブローチでもつけてみようか。

悩む。

パリジェンヌを見て勉強しよう、といつも思うのだが、彼女たちの着こなしは参考にはできても真似はできない。
洋服を発明した人たちであるから当然彼女たちは洋服用に骨格がいい。だから何を着ても格好よく決まるのだ。
ま、見るだけ。これは得意である(笑)。


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朋有り、遠方より来たる




日本の大学で知り合った北欧出身の友人がブルージュを訪問してくれた。

幸い今日のブルージュは庭でランチをするのにもってこいの秋晴。

顔を合わせるのは実に6年ぶり、彼は今では日本の大学で助教授となり、来年早々には父親にもなる。


彼の記憶力の良さには始終赤面させられた。穴があったら入りたい。
わたしが話したことは全部、酔っぱらいの戯言さえ覚えているのだ。
彼曰く「象さんと僕は何も忘れない」のだそうな。
...ちゃんと話を聞いてくれていたのか、思うと嬉しいのだが、彼を夫にしたら大変にちがいない(笑)。

何年ブランクがあっても話の尽きない友人は貴重である。
わたしには勉強と研究を続けるように励ましてくれたし。

なつかしや。
英語が話せるからという理由で留学生センターの所長に駆り出され、なぜだか気が合った博士課程留学生の2人と、3人でつるんではよく遊び、よく学んだ。いや、彼らはたしかによく遊んで学んでいたが、わたしは遊んでいただけである。

「Design for Living」みたい?
いや、違うか。

ほんとうに楽しかったあのころ。

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London




10日間ほどロンドンで過ごし、帰宅すればもうブルージュはすっかり秋だった。

出かける前に庭に植えたラベンダーは順応できなかったのか、自然にポプリ化されてしまっていて、もの悲しい。

...

ロンドンは脳化/情報化された大都市であり、お金を出せばなんでも手に入る。
まさにサービス受け放題天国なのである。

わたしが一番楽しかったのは公園をゆったり散歩したこと。
家族各人、目のつけどころが違っていることに気付いたり、妄想をふくらませたり、思い出話をしたり...お金に換算できない至福の時(カード会社の広告のよう)だった。

7月末にブラッセルからロンドンへお引っ越しした友人家族も訪問できた。
すっかり落ち着いていて、安心した。


脳化/情報化はある意味で生活を豊かにするが、その中でも人間は人間同士の寄り合い世帯でさらなる幸福を汲み取る(しかできない?)のだ...
経験からはそう思う。


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神さまの壷




恥ずかしながら、ワタクシはかなりの”いらち”である。

商店主がお客の列にもかまわず、なじみの客と世間話に夢中になっているために手が動いていないことに腹が立つ。

乳母車に狭い道を譲らないカップルに説教したくなる。

日本にくらべて何もかもがゆったりのんびりしたベルギー、優雅でありたいと願う”いらち”にとっては試練の場なのである。
ああ、どうしたものか。


今となっては出典を思い出せないが、記事「神さまの壷」を読んだのは2、3年前だったろうか。

ああ、これぞ偉大なる発明!

腹が立ったり、あるいはネガティブな感情に襲われてしまたとき、思いの丈を紙に書きなぐり、そしてそれを「神さまの壷」の中に押し込む。
そして「この件は神さまがいいようにしてくださる」と唱えるのである。
別に神さまでなくても何さまでもいいと思うのだが、自分より大きな力に、行き場のない負の感情を委ねてしまうのだ。

すると不思議なことにすっきり気分を変えることができる。

本当にわたしの家にそんなツボがあるわけではないが、バーチャルなツボはわたしの頭の中にあり、無限に紙を飲み込んでいってくれるのである。

それともこのブログが「神様の壷」なのかも...

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アテネ・オリンピック




月並みな話題、アテネ・オリンピックの開会式。

たったひとつの理由で、どうしても開会式を観たかったのだが、のんびりしていて肝心なところを逃してしまった。

友人の会社が開会式用にスクリーンを製作したのに合わせて、日本からいらしたエンジニアの方のために3日間通訳をつとめた。

そのスクリーンに親近感が湧いてしまったのだ。


夜のニュースで解説をやるだろうとタカをくくっていたのだが、遠目にしか見ることができず。

ウェア・ハウスではあんなにも巨大だったのに、競技場では砂浜に落ちた結婚指輪のようにしか見えなかった(奇しくもリング型のスクリーンだった)...

しかし誰の目から見てもすごくお金がかかってましたな。
そのことばかりが気になった開会式であった。


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