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子育てが一段落して




わたしはかなり口うるさい母親である。
娘の挨拶の仕方、姿勢、食事の仕方、話し方など、言いたいことはたくさんある。


最近、13歳の娘(日本でいう中学3年生に在籍中)の態度が気にくわないことが多い。

笑。

ま、誰もが通る思春期/反抗期まっただ中なのだろう、天真爛漫で周囲からも本当に素直で楽なお子さんだと言われていたのに、あの子はどこでこの子に入れ替わってしまったのか?
いったんスイッチが入ると、わたしたち両親に向かって生意気なこと生意気なこと、慇懃無礼、もうその一言である。「ごめんなさい」という言い方ひとつにしても、「お前はエリザベス女王か!」というような感じ。

それで折に触れて娘を教え諭すようなことを言うわけだが、ある日ふと気がついた。
彼女の話し方はわたしの話し方とそっくりではないかと。
それでその旨を伝え、「母であるわたし自身が手本になって社会で使うべき話し方をしなければならない、今後気をつけるのであなたも気をつけて欲しい」と言ったらば、

「やっと分かってくれたのね。ありがとうございます」ときた。

火に油を注ぐのを忘れないような感じである。


このように娘の know it all 具合にイライラさせられるのはあるにしても、面倒を見る面での手は全くかからなくなった。
時刻だけを時報のように告げてやれば、宿題も試験の準備も楽器の練習も滞りなく済ませる。
わたしは美味しい夕食を用意し、洗濯物にアイロンをかけてやり、「もう9時半だから寝なさい」と言うくらい...


そうだ、ひとり娘が13歳になり、わたしには初めて「もう1人、子がいてもいい」と思える余裕が出て来たのである。
今までは夫の出張が多いという理由もあり、もう1人子を持つなどと考える余裕さえもなかったのに、だ。

年齢的にも絵に描いた餅のような話で全く実現味はないのだが、1人目の子から手が離れたことが、子供並びに育児が得意でないわたしにとっては自然なきっかけになったのだろう。もし10歳若ければ上の子と15、6歳年の離れた子を産んでいたかもしれない(笑)。

...あ、気づかれましたか、上の子と15、6歳くらい年の離れた赤ん坊と言えば、昔ならば孫だった、と。
ああ、これは心境的には「次の子」ではなく孫を迎える用意ができた状態なんだな、きっと!

適当に無責任で適当に教育熱心な気前のいい、いいおばばさまになると思うわあ。

(写真は-昔に拾ったので出典不明-ヴァネッサ・レッドグレイヴ。タメイキ。こういうおばばさまを目指してます・笑)
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ドン・キホーテは狂人か




英国ロイヤル・バレエ、カルロス・アコスタ(Carlos Acosta)による新プロダクション「ドン・キホーテ」へ。

アコスタを筆頭に、マリアネラ・ニュネス(Marianela Nunez)、平野亮一...と、タマラ・ロホ(Tamara Rojo)、アリーナ・コジョカル(Alina Cojocaru)等が去った後のロイヤル・バレエを牽引するダンサー達による豪華な舞台。

9月のガラのチケットを急なパリ行きで無駄にしてしまい、今回はいい席が手に入らなかったが、期待に揉み手をしながら馳せ参じた。


アコスタによる新プロダクションは、従来のドン・キホーテとは趣向の違う場面あり演出ありで興味深かった。
娘にとっては従来の演出よりもずっとおもしろかったそうである。

例えば舞台上でフラメンコの合いの手や掛け声、口笛などが頻繁に上がるのにはどっきりさせられ(バレエは従来マイムだけですべてを表現するのである)、ついには誰かが歌い出すのではないかと思ったほどだった。ジプシーの場面では舞台上でフラメンコギター生演奏され、それも他には見たことがなかった演出だった。

また、いわゆるストリートダンス系の踊りも取り入れられており、よくいえば時代に沿って進化したクラシックバレエ、という感じか。今後、芸術ジャンル間の垣根が取り払われて、新しいジャンルが生まれるのかもしれない。
それにしてもバレリーナって基礎ができているからか、身体表現の分野にあっては何にでも応用が利くんですね! 素晴らしいなあ。

伝統が時代の流れの中で生き延びるには、頑に古い型を守るだけでは不十分で、このような柔軟な変化が不可欠だと思う。「変わらないものは、常に変わっているものである」。言い得て妙だ。


だからこそ、敢えてわたしが感じた違和感を記しておこうと思う。

前にも書いたが、バレエ団にはそれぞれ「色」があり、同じ出し物を演じるとしてもストーリーの解釈や語り方、演出方法も全く異なる。世界が一色になるのを望んでいる人(主に資本家)もいるが、芸術の世界は多彩だ。

で、英国と言えば...ロイヤルバレエでも書いたように、ロイヤルバレエの特徴は、やたらと話を詳しく解説し、物事の因果関係をはっきりさせたがるところにあると思う。わたしが勝手に「ロイヤルバレエの(イギリス)経験主義」と呼ぶ所以だ。
なぜ魔法にかけられたか、なぜ悪によってひどい目にあわせられるのか、なぜこんな夢を見るのか、なぜ死なねばならないのか...全部説明し尽くしてくれるので、お話の筋の中に辻褄の合わないところはほとんどない。

まさにこのロイヤルバレエ的な要求が、アコスタ版「ドン・キホーテ」の中でドン・キホーテを完全なる統合失調症にしてしまったように思える。

以下ネタバレを含む。

ドン・キホーテはセルバンテスの語り様から、わたしは単に変わり者の老人、ドタバタ劇の主人公、と捉えていた。変わり者で頑固者で思い込みが激しいところはあるが、誇り高く正義感が強い、狂気すれすれの変人。あるいは人間誰もが持つ特定の気性の象徴的人物、時代のカリカチュア。また、そのように捉えないとセルバンテスの繰り出す風刺が読み取れないとも思っていた。
今まで見てきた数知れぬバレエ「ドン・キホーテ」も多かれ少なかれそのような解釈だったと思う。

しかしこのたびのロイヤルバレエは、ドン・キホーテが見ている「実際にある幻覚」としてのドルネシア姫、村娘キトリをドルネシア姫と取り違えるまさにそのリアルな感覚、徐々に大きくなる風車をすべて舞台上で見せてしまったのである(従来、ドルネシア姫は、ドン・キホーテの「夢」の場面に登場する。幻覚ではなく「夢」の場面に)。

小説や他の演出中では単に「ドン・キホーテの強い思い込み」「ドン・キホーテの願望」「ドン・キホーテのロマン」「象徴」に過ぎなかったかもしれないものをすべて「実際にある幻覚」として見せることによって、ロイヤルバレエは「ドン・キホーテは『幻覚』を見ている狂人」、というスティグマを押した(つまり、それ以外の解釈を許さない、ということ)。

こういう語り方をすることによって、「バレエってなんだか分かりにくい」という人々をもっと勧誘することは可能かもしれない。事実、ガーディアン紙も「これでドン・キホーテの動機が明確になった」と歓迎していたし。
しかし、「皆まで言うな、野暮」とかいう糊しろの幅の広さが芸術のおもしろみではないのか。自分なりに段階的に想像力を働かせることが知性を養ていくことのおもしろみではないのか。

いろいろな意味で次に見るプロダクションも楽しみ...


(写真は両方ともロイヤルバレエのサイトから。左下がドルネシア姫と踊るドン・キホーテ)
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「英国料理を擁護する」




ジョージ・オーウェルのエッセイ集の中に「英国料理を擁護する」という短文がある。

「擁護する」とタイトルを付けている次点で、英国料理がイケてないことを前提知としているのがおもしろい。

初めて読んだ時、オーウェルのことだから「擁護する」とは言いながら、なぶり殺しにする違いないと思ったが、かなりストレートに語られており、「世界中の人(英国人も含めて)が英国料理は最低だと認めているし、英国で味わえる最高の『英国』料理はフランス料理だよね。たしかに英国料理は悪名高いけど、すっごくおいしいものもあるんだよー。でも残念ながらそれは全っ部家庭料理で、外国人が味わう機会はないんだよね。あはっ、ゴメンねー」と、読者を煙に巻きながら、自国の料理を擁護なさっている。

数日前の夜、夫がとうとうその章にたどりつき、ソファに寝転がりながらオーウェルが列挙する「英国うまいもの」を読み上げ始めた(夫はベルギー人)。
わたしは「あー先に言っておくわ。悪いけど、和食が無形文化財に登録されるらしいよ」と自慢するのを忘れなかった。


オーウェルの挙げる最初が "kipper"。これは魚の干物である。でも日本の干物とは違っていてよ。もっと雑な作りと言えばいいのか脂ぎっており、それがかなり臭う。
"yorksher pudding"。肉のローストに添えられる、分厚めのシュークリームの皮状の炭水化物。
"devonsher cream"。これはクロテット・クリームのことである。これが旨いのはわたしも喜んで同意しよう。でも料理じゃないよね(笑)。
"muffin" と "crumpet"。まずいとは思わないが、食卓が楽しみになるほどでもない。
"christmas pudding"。ドライフルーツがみっちり入った重ーい焼き菓子。

"treacle tart"
"apple dumpling"
"dark plum cake"
"shortbread"
"saffron buns"
...とケーキの名前が続く。どれも甘い甘いケーキ。そして「ビスケットは世界中にあると思うけど、英国のものが一番クリスピーだよ」って、ふーん、そうですか...

ジャガイモの料理方法の自慢。全く特別ではない。
次にソースが来る。西洋ワサビソース、ミント・ソース...パス。もっと美味しいソースがある。
ヨーロッパ・アカザエビ。これはベルギーではラングスティンといい、わたしの好物。でも料理じゃないよね(笑)。
チーズ。チーズはよい。英国のチーズは。スティルトン、「クサい大司教様」等。しかしながらフランスのチーズを英国向けにマイルドに、臭みを少なく作らせているらしいのはどうなのか。

そして最後にパンがとても旨いとおっしゃるのだが、英国のパン、ああ、もしかしたらオーウェルの時代はまだ街のあちこちに個人のパン屋があっておいしかったのかもしれない。現代では一番イケてないもののひとつだと思う。歯ごたえがないほど柔らかく、小麦やイーストの香りなく、そうでなければフランスパン等の種類も中がミッチミチで...

もちろんこれはオーウェルの個人的な好みとわたしの個人的な好みを戦わせているだけで、中には日本人でもハギスの味が分かってこそ大人とか、ズッキーニのジャムは connoisseur の味、とおっしゃる方もおられるだろう。わたしが和食の好物を「鮨」「天ぷら」「白飯」「冷や奴」と挙げて行くとして、オーウェルは「生魚を食べるなんて」「フィッシュアンドチップスとどこが違うのか」「白飯に味はあるのか」「大豆の汁で作ったぶよぶよの物体」と、笑うかもしれない。


ここでわたしも英国料理を擁護しておこう。わたしは自分で焼くローストビーフがかなり旨いと思うし、シェパード・パイやコテージ・パイもおいしく作れると自負している(料理をする日本人だったら誰でも上手く作れると思う)。だから、レシピの問題ではなくて料理をする人一般の腕、そして食べる人の味覚の問題、なのかも...
また、このブログにも何度も書いているが、英国のそれなりのスーパーや小売店にはかなりいい食材が揃っていると思う。特に肉はとてもおいしいし、野菜も果物も豊富だ(残念ながら島国なのに魚介類がそれほど好まれていないようなのは売り場のお粗末さを見ても分かる)。

それなのに料理下手で、季節感がほとんどないのはなぜなのか。いつかどこかで失われたのか。食材にあった調理方法が尊重されず、例えばどんな肉も徹底的に油を取り除き、鴨ですらも薔薇色に焼けているのが駄目(徹底的に火が通っていないといけない)な人が多いのは何か歴史的背景があるのだろうか。ご近所の大陸ヨーロッパ(特に南欧)では顕著な「食事は人生のうちで最も楽しいもの」という感覚が失われてしまっているようなのはなぜなのか。


この疑問にはオーウェルも答えてはくれない。
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噴水の音




わたし、水を使った装置が大好きだ。
代表的なものは「噴水」。
暑い土地で、目にも耳にも肌にも涼しい噴水を見かけると駆け寄って楽しみたくなる。
また、冬の枯れた噴水もいい。水のない噴水に枯葉等が吹き溜っているのもいい。

ベルニーニなどの豪華絢爛、ファンタジックな噴水デザインも大好きだが、写真のような控えめなものにもすごくすごーく惹かれる。ああずっと側にいたいなあ。

そして噴水とは違うが、やはり日本の添水の雅に勝るものはないだろう。

日本でもモダンな噴水はよく見かけるが、素敵なモダン・デザインの噴水を見たことがない。もしかしたら一時期、官主導で「噴水建設補助金」でも出ていたのだろうかと思うほどな作りなことが多い。添水系をデザインすればいいのにと、駅前広場や庁の前、ちょっとした公園などにあるモダンな噴水を見ては思う。
まあ巨大な獅子脅しを作られても...音がさぞすごかろう(笑)。


今の家、夜中になると隣家の庭から噴水の音がちょろちょろと聞こえてくる。
その音が最近止まったので本格的な冬の入り口を予感するこのごろ。
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みなみさんのケーキノート




久しぶりにタルト・オ・スリーズを焼いた。
(下層のアーモンドクリーム部分にチェリーを入れすぎて表面飾り用が足りなくなるの巻)

これは渡辺みなみさんのレシピ。
「みなみさんのケーキノート」は、わたしが自分で自分のために買った初めてのお菓子レシピ本だ。
それまでは母の手書きのレシピなんかを頼りに作っていたのです...

20年以上前の本ゆえか、家庭では扱いにくい生地や煩雑な手順満載なのだが、「キーライム・パイ」「ティラミス」「ベルジュロン」「ル・ミュルティフリュイ」そしてもちろん「タルト・オ・スリーズ」は何十回も作ったレシピだ。

最近は手軽に手軽でおいしいレシピがいくらでも手に入り、カスタードクリームをレンジで作ったり、バターもチョコレートも一気にレンジで溶かしてしまったりというアイデア満載、みなさんの発想の柔軟さには驚かされる。わたしが無精ながらも娘に手作りお菓子を作ってやれる母親でいられるのはネットで入手できるアイデアレシピのおかげだ。
でも時々は正統的なやり方でみなみさんのレシピに従うのもいい。


渡辺みなみさん...名前を聞いただけで、ああ、と思われる方はいらっしゃるだろうか。
「久米久のTVスクランブル」でアシスタントをされていたアナウンサー。
少女心に、「男性が好きそうな女性とはこういうタイプに違いない。清楚な美人で育ちが良さそうな雰囲気があり、知的で控えめ、芯が強そう」と思いながら見ていたのを思い出す。
そこまで分かっていたのになぜ彼女を目標にして路線変更しなかったのだろう。そうしたらきっとモテモテの20代を送れたのに違いないのに。悔やまれるなあ(笑)。

当時はバイリンガルの女性がメディアに次々登場していた時代で、母はわたしの方を振り向いては「あなたも英語を...」と言っていた。「(高円宮)久子様は英語でプロポーズを受けられたのよ!」とか、よく言われましたよ、うん。
母はある伝から依頼されて留学生を家に招いて頻繁にパーティーを開いており、うちには賢そうで行儀のいい外国人がしょっちゅう出入りしていた。母はそんな環境を与えてやってもぜんぜん英語のうまくならないわたしに憮然としていたのだろうか。
長じてわたしはとりあえず英語を話せるようになったものの、TVに出て活躍したり、プリンスからプロポーズされたりというチャンスには恵まれなかった。母にたずねたことはないが、きっと残念なことであると思っているだろう(笑)。


みさみさん、きっと今も綺麗なままでおいしいお菓子を焼いているに違いない。
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